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(朝鮮)(韓)半島の歴史をおさらい 知ればわかるかも 

2015年09月15日 18時12分23秒 | 韓国.北朝鮮.台湾.中国

帝国日本の力によって建国されたという満州国

その満州の地、2000年以上前にチュモンという王が高句麗を建国したといわれる

多分に神話的要素も多いが、とにかく高句麗は誕生した。

この位置を根拠に、今の中国では高句麗は半島人の国ではなく

中国の国だったと言うのだろう

半島の南は韓民族の国が有り、新羅があり、百済があった

半島の南東部は新羅が制圧して、百済や高句麗と三国時代に入る

この頃、倭国(日本)は百済と友好的で、百済の敵だった新羅や、高句麗と戦った

その時代は日本では神功皇后の頃から天智、天武天皇の頃

高句麗は国境を隋、唐の漢民族と接していたので常に中国と戦争状態であった

隋は高句麗征伐に入れ込みすぎて大被害を被り、2代で滅んだ

続く唐も高句麗に攻め込んだ、今の韓国ドラマでは逆に高句麗が攻め込んだというのもある

一方、新羅はそんな唐に接近して後援を取り付け、百済を攻め滅ぼした

しかし、この頃から半島人は漢民族の影響下に置かれるようになった

多くの上流百済人はその文化や技術、仏教と共に日本に亡命して帰化人となった

その後、新羅と唐は高句麗を挟み撃ちして、とうとう滅ぼしてしまった

高句麗人はちりじりとなったが、その一派が後に渤海国を築いたともいう

渤海は高句麗に加え、今の沿海州にまで及ぶ広大な国だった

 

新羅はついに半島を統一した、北の渤海、南の新羅で南北時代とも言う

渤海は半島人と無関係ともいう

大陸人の事は、なかなか日本人にはわからない

それから200~300年、西暦900年頃になると新羅は国家が怠慢になり

その間に北では後高句麗が、西には後百済が誕生した

どちらも乱世の英雄である、後三国時代

しかし後高句麗では横暴な指導者に対して内紛が起き、王建が新たな指導者になった

戦闘力が無くなり貴族化した新羅は、後百済に攻め込まれ、危機を感じて王建に従属した

後高句麗と後百済の2強対決が始まる

優勢だった後百済だったが、海戦で大勝利した後高句麗が優勢となる

すると後百済の中で王子が王と兄弟王子を襲うクーデターが起きた

その時、百済王はなんと敵の王建を頼って、後高句麗に逃げ込んだ

若い王建は、年長の百済王に親子の礼を尽くして接したという

この後、王建は後百済を滅ぼし、半島を統一、高麗を建国した

936年と言われる

ここまでが半島民族自立の時代、これから今に至るまで半島人苦難の歴史が始まる

 

日本では平安時代の真っ只中、藤原純友、平将門の乱が相次いで起こった頃だ

貴族文化優美な平和な時代だ、半島とも平和なつきあいが続いていた

中国では5代10国の小国乱立混乱の時代で、半島に関わるどころではなかった

北方の満州、旧渤海、内蒙古、さらに奥地では強力な騎馬民族が動き始めていた

 

                                                つづく