一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

ある大棋士の運命を変えた男

2016-01-22 00:24:04 | 男性棋士
21日放送の「和風総本家」。神棚に関する問題が出たが、拙宅には立派な神棚があるので、この答えはすぐに分かった。しかしその意味するところが、今回初めて分かった。

   ◇

かなり旧聞になるが、昨年の12月5日、関屋喜代作八段が逝去した。享年、盤寿の81歳。
1955年、四段昇段。四間飛車を多用し、軽い捌きを得意とした。山岳写真家でもある。
目隠し将棋で3面指し、早指しの名手、60歳でNHK杯本戦初出場などいろいろエピソードがある。河口俊彦八段の著書によると、関屋八段らが棋士仲間と冬山登山をした時、道に迷ってしまったという。ある棋士が雪道を進もうとすると、「待て!」と関屋八段の声。ためしに雪玉を投げると、その一角が崩れていった。そこは「雪庇」だったのだ。
関屋八段の鋭い洞察でみなが救われた、私の好きなエピソードである。
また関屋八段は。1978年から80年まで「週刊少年キング」に連載された、つのだじろうの名作漫画「5五の龍」の、詰将棋と次の一手コーナーを担当していた。よって当時の子供たちは、A級棋士の名前は言えなくても、関屋八段の名前は知っていた。
関屋八段は1979年度の第38期順位戦C級2組で降級したが、当時はフリークラスという呼称はなく、強いて言えばC級3組の扱いで指した。だが第40期順位戦からC級2組は降級点制度がなくなり、その後もほかのC級3組の棋士が引退したりして、C級3組の棋士が関屋八段だけになってしまったことがある。いわゆる「孤高のフリーランス」(週刊将棋の見出しより)であった(C級2組の降級点制度は、第46期に復活した)。
1994年、現役引退。

なお関屋八段は、ある大棋士の運命を変えたかもしれないのだ。それは1979年3月16日に指された第37期順位戦C級2組最終局の、関屋六段対谷川浩司四段戦である。
この時点で関屋六段は2勝7敗で降級点が決定していた。一方谷川四段は7勝2敗で、勝てば昇級という大一番だった。
後手番関屋六段の四間飛車で始まった本局は、谷川四段が左美濃に構える。中盤、関屋六段の玉頭攻めが奏功し、優勢。

しかし第1図から▲5五馬△6四金打▲8三歩△同銀▲4三飛△7三桂▲5九歩△5五金▲6三飛成(第2図)と進み、谷川四段がおもしろい形勢になった。

「将棋世界」平成14年9月号付録「谷川浩司九段1000勝までの歩み」によると、▲5五馬には△6四歩でよかったらしい。また▲8三歩には△同玉でよく、以下▲7五桂△同歩▲5六馬△6五桂▲2九馬△7六歩(参考図)で後手勝勢だった。

結果も谷川四段の勝ち。嬉しい昇級となった。
しかしもし、この将棋に谷川四段が負けていたら…。実際の谷川四段はC級2組で1年足踏みしたものの、その後はノンストップで名人に駆け上がっていた。よってこの期に昇級できなかったら、「谷川名人」も1年は遅れたことになる。
となると、現在名人5期の谷川九段は4期になり、永世名人の資格を取得できたかどうか、怪しい。
勝負事にタラレバを言っても意味がないが、こういう想像もおもしろい。
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2 コメント

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よく指した形です (Og)
2016-01-22 23:20:05
関屋谷川戦ですか。懐かしいですね。
私はこの将棋が指された年の秋に
奨励会に入りましたので、この将棋は研究しました。

四枚美濃に対して玉頭から攻めていくんですね。
天守閣の四枚美濃には有効な作戦と思います。

私も参考にして、振り飛車を持ち、
奨励会で三局くらい指しました。
二回は勝った記憶があります。
(一人は現在の某高段棋士)

谷川先生は85歩同歩同桂の仕掛けに
86銀と上がりましたが、
88銀と引いて歩で桂を取りに
来る人が多かったです。

もう36年くらい前の話になるんですね。
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難しい (一公)
2016-01-23 16:19:01
>Ogさん
おお、そうでしたか。
左美濃にはおっしゃる通り、△8五歩の攻めがイヤです。
私の高校時代の実戦で、私が居飛車を持って、△8五歩▲同歩△同桂▲8八銀△6五歩▲同歩△8六歩▲9八玉△9五歩で、ボコボコにされたことがあります。
居飛車は作戦の幅が広くて、難しいです。
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