一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

羽生棋聖の「▲6二歩成」

2015-07-17 00:50:17 | 将棋雑考
15日(水)は第86期棋聖戦の第4局があった。本局はタイトル戦なので、無料中継がある。私は仕事の合間に、スマホで観戦した。
先手の羽生善治棋聖は初手▲2六歩。以下2筋の歩を交換し、▲2八飛。私ならノータイムで▲2六飛だが、プロはいまや▲2八飛だ。
後手の豊島将之七段は左桂を跳ね、右銀を繰りだした。
以下相居飛車の手将棋になったが、私には手の善悪は分からず、ただただ鑑賞するのみ。
羽生棋聖は69手目▲6三歩と、金頭に打つ。歩による金取りなので、豊島七段は△6一金と引く。
ところが次にスマホをいじったら、羽生棋聖が▲6二歩成としたので、私は唖然とした。
PCの入力ミスではないらしい。つまり、羽生棋聖の純粋な1歩損である。
「歩を打った直後の成り捨ての是非」といえば、有名な将棋がある。舞台は1968年の第12期棋聖戦挑戦者決定戦・▲高島弘光五段対△中原誠六段戦だ。一手を争う終盤戦、高島五段が▲2四歩と打ったが、これが失着。▲2四香と打つべきだった。
しかし幸運だったのはこの局面、▲2三歩成と成り捨てれば、元の局面に戻る。すなわち、1歩の犠牲で指し直しができるのだ。
ところがそれを知ってか知らずか、高島五段は別の手を指し、結局敗れた。
局後に関係者がこの局面を聞くと、高島五段は
「そんな手(▲2三歩成)は死んでも指せん」
と言ったらしい。歩の無駄死にを潔しとしなかったのだ。これが世にいう「高島美学」である。これに感銘を受けたのが芹沢博文九段で、ことあるごとに「あいつは偉い」と吹聴していたという。
まあそれはそうである。本局は挑戦者決定戦。勝てばタイトル戦登場である。青年五段にとって、またとない舞台だ。▲2三歩成と指し直せば勝利が手中に入るのだから、普通の人間は、わざわざほかの手で勝とうとは思わない。私だったら絶対に香を打ち直す。
しかし高島五段は、おのが美学に殉じたのだった。
もっともこれには別の意見もある。高島五段は、▲2四香に最後まで気付いていなかった。あるいはそれに気づいたのはだいぶ経ってから、という説である。
確かに高島五段がカッコよすぎるからで、これも十分説得力がある。ただ、この将棋を機に、歩の成り捨ては見苦しい、という見解が将棋界に浸透したのは確かだろう。

そして47年後の2015年、タイトル戦の大舞台で、羽生善治がそれをやった。
それだけでもう「事件」なのだが、不思議なのはこの局面が終盤戦ならまだしも、まだ中盤戦の難しいところで、いくつか代替手が考えられるところだったからだ。
しかし羽生棋聖は先の先まで見通し、恥を忍んで歩を成った。本局を負けたら防衛があやうい――。豊島七段の実力を認めた瞬間だったかもしれない。
そして後手の豊島七段もさる者。△6二同金と応じず、△7七桂不成(王手)から反撃したのだ。
だが数手進んでみても、それほど後手でかしていないと思う。むしろ局面がほぐれて、先手が指しやすくなったようにさえ思えた。
豊島七段は結局△6二金と手を戻したが、これなら最初から△6二同金としたほうがよかったのではないか。▲6二歩成が王手でなかったことが、微妙な心境の変化を生んでしまった…。
ま、まさか羽生棋聖、ここまで読んでの歩成だったのか?
だとしたら、大山康晴十五世名人を彷彿とさせる、恐るべき勝負術と言わねばならない。
ちなみに私だったら▲6二歩成の局面、ノータイムで△同金と取る。そして「▲6三歩△6一金▲6二歩成△同金」の不思議な手順を、後世に記録してしまうのである。
本譜はいろいろやった後の△6二金だから、▲6二歩成の恥の部分がかなり緩和されている。また羽生棋聖には歩もたくさん入ったし、さしてダメージを受けずに、将棋を指し継ぐことができたわけである。
反対に豊島七段は、▲6三歩~△6二金のもやもやを抱いたまま、指し手を進めたのではなかろうか。
果たして本譜は以下、羽生棋聖の勝ちとなった。勝因は、「▲6二歩成」だと思う。
羽生棋聖の棋聖位は8年連続14期目。連覇記録は大山十五世名人の7を越えた。タイトル総数は92で、現在も四冠を保持しているから、100期も時間の問題である。
いったい羽生棋聖はどこまで走るのか、もはや想像すらできない。
コメント (4)
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