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一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

12月11日の大野金曜教室(前編)

2020-12-23 00:42:14 | 新・大野教室
11日は久し振りに大野金曜教室に行こうと思った。前の週に大野八一雄七段やW氏から電話をいただいたということもあるが、ちょっと将棋で癒されたくなった。
当日はちょいと所用があり、教室に入るのが遅くなった。川口のエキナカで立ち食いソバをたぐったりして、教室に入ったのは午後8時40分ごろだった。金曜夜だが生徒は多く、堀彩乃女流1級ら女性が3人もいた。ふた昔前は考えられなかった光景である。
私がスーツを着ていたからみなは驚いたが、この服装が長く続かないことを、私は本能的に気付いていた。
W氏としばしおしゃべりし、まずは対局待ちの青年と指す。和室を覗くと、佐藤氏、Shin氏、Ok氏らがいた。こっちは誰もいないと思っていたのでビックリ。今夜はどうしたのだろう。
洋室の隅で青年と対峙する。彼とは以前指したことがあるのだろうが、私はすっかり忘れている。
振駒で私の先手になった。▲7六歩に△8四歩と来たので、▲6八銀。私は矢倉を目指したが青年も追随し、正統相矢倉となった。双方の脳裏に、6日のNHK杯(渡辺明名人VS羽生善治九段戦)があったのかもしれない。
私は▲3七銀から▲4六銀。本当はスズメ刺しが好きなのだが、現代将棋では立ち遅れる。

第1図以下の指し手。▲3七桂△4五歩▲同桂△4四銀▲1八飛△4五銀▲同銀△3七角成▲6八角△3三桂▲4六歩△4五桂▲同歩(第2図)

私は何も考えず▲3七桂と跳ねたが、すかさず△4五歩と突かれて参った。これは▲同桂と取るしかないが、△4四銀と上がられて忙しい。私は▲1八飛と寄ったが、馬を作られてしまった。
ここで▲4六角は△4七馬があり不可。よって▲6八角だが、この1回休みは痛かった。
△3三桂には▲3四歩も考えたが、まあ、ない。そこで▲4六歩と突いたが△4五桂と取ってくれたので、被害は最小限で済んだ。

第2図以下の指し手。△3六馬▲7九玉△8六歩▲同銀△1八馬▲同香△4九飛▲8八玉△9四桂▲4四桂△同金▲同歩△8六桂▲同角△同飛(第3図)

第2図の△3六馬はこう指すところなのだろう。私はよろこんで▲7九玉と寄る。
△8六歩に▲同歩は△8七歩がある。矢倉が弱体化するが▲同銀はやむを得ない。ここで青年は1八の飛車を取って王手だが、私は脅威の馬と蟄居の飛車を交換してくれたのでありがたかった。
△9四桂の瞬間に▲4四桂を一発利かす。△4二金寄とも逃げにくく、青年は△同金。この判断はよかったと思う。
△8六桂に▲同角は後手玉が詰めろではないが、相当危ない。騎虎の勢いで△8六同飛も当然であろう。

第3図以下の指し手。▲8六同歩△8七歩▲同金△7八銀▲2一飛△3一桂▲7八玉△6九角▲7七玉△8七角成▲同玉△8九飛成▲8八桂△7八銀▲9六玉△6七銀不成▲6一角△8四桂▲8五玉△7六銀不成(投了図)
まで、青年氏の勝ち。

第3図で私は当然のように▲同歩と取ったが、▲4三銀も考えた。でもさすがにないか、と▲同歩。しかしついに△8七歩が実現し、これで先手敗勢である。▲8七同金に△7九銀▲9八玉△6九飛成でも相当受けにくいと思ったが、青年は△7八銀。玉の腹から銀、でこれでも後手勝ちだ。
私は▲2一飛と王手したが、△3一桂で盤石になってしまった。してみると▲2一飛では▲6一飛だったか。しかしこれも強く△5二玉で負けだ。
以下は青年の寄せを見るのみとなった。

感想戦。第1図からの▲3七桂はやはり悪く、△4五歩からは一本道で後手優勢。青年は第2図からの▲7九玉に△6九銀を考えたというが、本譜△8六歩でいいと思う。ただ、安易に△1八馬と飛車を取ったのは反省していた。
私の主張は第3図で▲4三銀(参考A図)の是非だ。△8六飛を無視しての着手だから青年も驚いたが、△4三同金▲同歩成△同飛成▲8六歩にやはり△8七歩が厳しく、▲同玉△4九竜(参考B図)で後手優勢、の結論になった。


参考B図以下一例は、▲7九金打△9五桂▲9六玉△7九竜だ。
結局、敗着は▲3七桂となった。

アマ1級、と自称する少女と私が大駒落ちで指しそうになったが、彼女は青年と指すことになり、私は大野七段の前に座った。久しぶりの指導対局である。「新宿将棋センター以来ですね」と大野七段。それがいつだったか忘れたが、その間大野教室では指導対局を受けていなかっただろうか。
いつも通り角落ちでお願いした。

初手からの指し手。△6二銀▲7六歩△5四歩▲5六歩△5三銀▲2六歩△4二玉▲2五歩△3二玉▲4八銀△4二金▲2四歩△同歩▲同飛△2三歩▲2五飛(第1図)

いつも通りの出だしで、私は△2三歩に▲2五飛。いわゆる「一公流▲2五飛戦法」で、大野七段は「懐かしい」とつぶやいた。私は角落ち戦で年中採用しているので、これは△8五飛の形そのものを云ったのだろう。

(つづく)
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8月16日の4時から男(後編)

2020-09-06 00:28:22 | 新・大野教室

第4図以下の指し手。▲5四銀△6四飛▲6六歩△4五歩▲同銀△6三桂▲5七金寄△8五銀▲7七金△8四飛▲5六銀△7四歩▲6七金左△7三桂▲6五歩(第5図)

私は▲5四銀と打ったが、迫力がなかった。だがほかの指し手も分からなかった。
Og氏は△4五歩と突き捨て、△6三桂。これが控えの桂の好手で、損した桂を絶妙の場所に設置され、ほとほと困った。
次の△5五桂跳ねが厳しいので私は▲5七金寄と先逃げしたが、そこでOg氏の△8五銀が実戦的な手だ。Og氏はこの類の手をよく指す。
私は受けてるような受けてないような手を続けたが、▲6五歩に次の手が痛かった。

第5図以下の指し手。△3一角▲8六金△同銀▲同歩△同角▲8七歩△5九角成▲6八銀△6九銀(投了図)
まで、Og氏の勝ち。

第5図で△3一角がトドメの一手。こんな角にまで活用されてはもうダメである。最後は8筋から殺到され、△6九銀(投了図)まで私は投了した。

感想戦。Og氏は、序盤の△9四歩▲5六銀には、中央で立ち遅れる心配があったが、△9五歩と突いたという。これで先手の▲9七角がなくなり、だいぶ楽になったという。
進んで第3図の▲7七桂は、Og氏も△7三桂と対抗できないから、こわかったと言う。だが6五の地点は後手の駒も足りていて、駒損したのは私のほうだった。
問題は第4図で、ここでOg氏は▲3二金(参考A図)を恐れていたという。奨励会時代、佐藤秀司八段に似た局面で打たれたことがあるらしい。

これに角をタダ取らせるわけにはいかないから△3三角だが、▲同金△同桂▲4三角△8五飛▲6四歩(参考B図)がOg氏の読み。

これに△6二歩は反撃の△6六歩がなくなるから打ちづらい。それでも△6二歩なら、そこで▲3四角成。次に▲3三馬とすれば、これは先手が駒得となり、有望である。
私も▲3二金の筋は気付いたが、それは数手あとのことだった。私は桂損して若干戦意が萎えていたのだが、まだ手段はあったのだ。
また結果論だが私の▲4六歩も不要の一手で、のちに▲6六歩と突くのなら、▲4六歩は要らなかった。
感想戦の最中、Og氏は何度も、▲9七角がないのが大きかった、と言った。実は私もそうで、こちらの角出がないから、中盤は随分苦労した。
いずれにしても、もっと研究をしなければいけないと思った。
これで今日の対局は終わりである。プーのくせして、土日とも遊んでしまった。
ライターの佐藤氏は前日に続いて、昔のアマ名人戦予選の棋譜解説を、大野八一雄七段にお願いしている。このコロナ禍でアマ棋戦が軒並み中止になり、地元紙の将棋欄に空きが出てしまった。それを埋めるため、過去の名局を振り返る企画を行っているらしい。
Og氏に
「大沢さん、ひと月に3回の来場は珍しいんじゃないですか」
と言われる。確かにそうで、ブログを見れば確認できるが、2017年2月以来の気がする。この時も会社の廃業が決まり精神不安定だったが、私の場合そういう状況に陥ると、こちらにお邪魔する機会が多くなるようである。そして将棋にも負け、さらにどん底に落ちるのである。
傍らでは、W氏が「将棋の勝ち方」を手にしている。池田書店の大山康晴名人快勝シリーズで、これはその1である。私が3年前に捨ててしまったもので、懐かしい。大野教室での講義では、この本を参考にしたこともあったらしい。
ちなみに昭和40年代は棋書の数が少なく、昭和40年初版、昭和53年発行のこれは、重版を100以上も重ねていた。
さて、食事である。幸い、雨も止んだ。今夜も佐藤氏は帰り、参加者は大野七段、W氏、Og氏、私の4人となった。今回は趣向を変えて、川口駅東口前食堂街の「一番館」という中華料理屋に入った。大野七段らはおなじみらしいが、私は初入店だ。
いろいろメニューがあって迷ったが、私は初めて入る中華料理屋はラーメンと餃子に決めている。今回も「かけラーメン」(税込290円)と焼餃子6ヶ(税込200円)を頼んだ。
かけラーメンはスープにもう一工夫欲しかったが、麺のほかにもやし、挽肉が乗っていて、これで290円は安い。餃子も美味かった。W氏によると、この店は人気がありふだんは入れないそう。コロナ禍の恩恵がここでわずかに出た。
食後はコーヒーチェーン店でゆんたく。ざっと見たところほかに客は1人。飲食業界はどこも厳しい。
やっと一息ついたが、私は心身ともにボロボロである。やはり26年前のことが尾を引いているからだが、これは時が経てば解決するのだろうか。
今日の教室も子供たちが多かったが、私が1局目に指した少年は秀才で、将来の東大も十分可能性があるという。そんな少年と指して私が勝てるのも将棋の醍醐味だが、次に指す時はビビってしまうかもしれない。
ところで今月は教室で、9.000円の出費になってしまった。これで仮に21日の金曜教室に行くと、合計12,500円の出費になってしまう。
しかし大野教室では1ヶ月パスポートも新設していて、12,000円だという。これで土日教室4回、金曜教室2回の計6回、大野七段に教えてもらえるから、かなりお得だ。
だが私は、それを利用するほど将棋に熱中していない。9月は再び、行く回数が少なくなると思う。もちろん、まったく行かない可能性もある。
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8月16日の4時から男(中編)

2020-09-05 00:16:20 | 新・大野教室
5局目はSai君と。前日も指した子だ。Sai君の先手で、私は四間飛車に振った。
左では、佐藤氏とT君が戦っていた。佐藤氏の振り飛車にT君が銀冠。この戦いが面白く、私は自分の将棋そっちのけで見入ってしまう。
そうして自分の将棋に戻ると、どこか違和感を覚える。現在Sai君が考慮中だが、先手のSai君が12手指しているのに、後手の私が13手指している。これでは私がどこかで2手指ししている勘定になるが、それはいかんだろう。
私はSai君に手番を聞くが、これで合っているという。だが初手からやり直すわけにもいかないので、得した私が動揺してしまった。
Sai君は急戦の作戦を採ったが、私は一手先に受け損ねる。そしたら▲4六銀から▲3八飛と回られ、受けがなくなってしまった。
その後私も何とか捌いたが、駒損と▲4二のと金が大きい。しかしここでの投了は哀しすぎてできない。
しかし▲7一角打△7三玉▲8五桂△8四玉と引っ張り出されてはもうダメだ。

部分図は△7五同香まで。ここでは冷静に▲7六歩でもSai君の勝ちだが、彼はじっくり考える。やがて▲7五同角と、力強く応じた。
△7五同玉に▲7六歩が継続手。以下△同玉▲7七香まで、私は投了した。Sai君はにっこり笑い、彼もこんな顔をすることがあるのかと思った。
Sai君がW氏に結果を聞かれる。
「勝ちました」
「…ええ勝ったの!?」
なんだかさっきも聞いたセリフだ。実は前夜の食事会で私は「Sai君とは飛車落ちでいい勝負じゃないか?」と大口を叩いたのだ。それが平手で負かされたんじゃ、プライドがズタズタである。
ほかに対局相手がいなかったので、Sai君ともう一局指すことになった。今度は振駒で、私の先手。▲2六歩△8四歩から、私のタテ歩取り(▲3六歩)となった。
ここでは△3三金が定跡だが、Sai君は△3三角! たぶんSai君はひねり飛車の定跡を知らなかったのだろうが、△3三角もなかなかの手で、微妙に▲7六歩と開けづらくなっている。
やがて私の飛車が四段目で蟄居してしまい、また不利になった。これじゃこっちが駒を落とすどころではない。彼に平手で連敗か、と思うと目の前が暗くなった。室内はクーラーが効いているが、表は通り雨がすごく、肌寒くなっている。形勢も悪けりゃ天候も悪い。体調も悪けりゃ将来も暗い。まあ目の前が暗いのはいつものことなので、ここから踏ん張る。そこでSai君の緩手があり、私の飛車は何とか自陣に戻ることができた。
Sai君は△1六歩▲同歩△同香と、強引に香交換にくる。私は▲3四香と、角金の田楽刺しに打つ。しかしSai君も△8三香。なるほどこれがSai君の狙いで、次の△8七香成(角金取り)が厳しい。が、この一瞬は私が攻める番である。ごちゃごちゃやっているうちに、誤魔化すことができた。
「負けました」
とSai君。
「いや~、こっちが悪かったね。途中じゃ勝ったと思ったでしょ?」
Sai君もコクリと頷く。
まあ、あと数年も経てば、こっちが連戦連敗だ。いまのうちに花を持たせてほしい。
ここまで○○●●●○の3勝3敗。初戦に四段の高校生に勝って気分をよくしたが、3局目にKob君に叩きのめされ、すっかり調子が狂ってしまった。

最終第7局は、Og氏(元奨励会初段)に教えてもらう。
指導対局なので私の先手。ただ、持ち時間は設定した。時計を使っていないと早指しになり、急所の局面で考えることが憚られるからだ。
私の居飛車明示に、Og氏は四間飛車に振った。私はここまできたら、5筋位取りである。

第1図以下の指し手。△9四歩▲5六銀△9五歩▲4六歩△8二玉▲5七銀△6四歩▲6六歩△6三金▲6五歩(第2図)

そこでOg氏は△9四歩。私は早く中央に手を掛けたいので、▲5六銀。Og氏も意地で△9五歩ときた。これは大きな手で、私は▲9七角のノゾキがなくなった。
▲6五歩に次の手は。

第2図以下の指し手。△6二飛▲6八金直△5四歩▲同歩△同銀▲6四歩△同金▲5五歩△6五銀▲6七金右△7四銀(第3図)

第2図で△6二飛。さすがにOg氏で、一般アマとは応手が違う。ちなみにここ、▲9六歩と突いてある形で△6五同歩▲同銀△6二飛の手順前後だと、▲6四歩△同金▲同銀△同飛▲9七角で先手指せる。
Og氏は△5四歩▲同歩△同銀として全面戦争。なんだか森安秀光九段みたいだ。
▲5五歩に△6五銀も、こうすりこんでくるところだろう。大して私は▲6七金右。これに△5六銀なら▲同銀で、先手に悪い道理がない。
Og氏は△7四銀と撤退し、次の一手は。

第3図以下の指し手。▲7七桂△6五歩▲6六歩△同歩▲同銀△6五歩▲同桂△同銀▲同銀直△同金▲同銀△同飛(第4図)

ここは▲6六銀もあった。以下△6五歩▲7五銀△同銀▲同歩△同金に▲5四歩が気持ちがいいが、△5二歩のあと、△6六歩の突きだしが厳しく、やめた。
私は▲7七桂と力を溜めたが、角道を塞いでよくなかったかもしれない。
△6五歩には▲6六歩とこじ開けていく。以下桂損になるが、6筋の圧力を解消し、ギリギリ指せると思った。
ここで次の手がどうだったか。

(つづく)
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8月16日の4時から男(前編)

2020-09-04 00:32:51 | 新・大野教室
8月16日(日)は前日に続いて、大野教室に行った。前日のShin戦での逆転負けがひどかったので、モヤモヤを払拭したかったのだ。
今日は川口駅の立ち食いソバ屋で、かけうどんを食べた。午後3時45分に教室に入ると、けっこうな人がいた。しかしその大半は子供である。Taga氏、Og氏の姿はあったが、彼らは年間パスポート(12万円)を持っているので若干事情が違う。Shin氏の姿はなかったが、それは織り込み済である。
早速対局に入り、1局目は高校生っぽい少年と。四段の棋力があるとかで、私とは振駒である。私は自分の棋力が分からないが、せいぜい三段であろう。この少年に勝って自信をつけたいと思った。
少年が振って、歩2枚、と2枚、1枚は立った。振り直すと、2枚が横になり、2枚がと金だった。この場合3枚を計算して、私が先手だという。ホンマかいな。
▲7六歩△3四歩▲2六歩△4四歩。最近の若者はここから雁木にするが、少年は四間飛車に振った。私は趣向を凝らし、5筋位取りに出た。現在は絶滅している戦法だが、大山康晴十五世名人や中原誠十六世名人は得意にしていたから、悪い戦法ではない。
▲6五歩△同歩▲同銀。この筋の歩交換は意外に大きく、角筋が通るほかに、▲6九歩の底歩が利く。
少年は私の▲3七桂に狙いをつけ、△3五歩。これには▲2六飛と上がり、数手後▲4六銀と増員した。こうなれば▲5五歩が後手の角出を抑えているのも大きく、さらに数手後、▲3三歩成△同桂▲同飛成と駒得&竜ができては、私が優勢になった。
とはいえ少年も△7五歩と嫌味なところを突いてくる。数手後私は▲4三と(第1図)。こちらは金持ちケンカせずで、歩だけで勝つつもりである。

△7五歩に▲8六金と寄らされた。そこで△7七桂成とし、▲同桂△8五歩▲同桂△8四歩がイヤだったが、少年は△6六歩。これは大して厳しい手ではなく、最後は私のと金攻めが決まり、快勝した。少年は、素直に指しすぎたと思う。少年は、「△3五歩が動きすぎだった」と反省の弁だった。
2局目は少年と平手戦である。彼とは以前指したことがある気がする。
少年の振り飛車に、ここでも私は5筋位取りを採用した。

第1図は私の手番。ここで私は△7四歩と突き、少年は▲6六銀。私は△7六銀とすり込み、以下駒得して快勝した。
戻って▲6六銀では、思い切って▲7四同銀と取る手はなかったか。以下△同銀▲6二飛成△同金▲8二飛。これには△7二銀で耐えていると思ったが、実戦でやられたら、けっこうビビっていたかもしれない。
3局目はKob君と。前局は中盤で私が失着を指し形勢を損ねたが、終盤では私にも勝機が出たものの、ねじり合いの末敗れた。また序盤の仕掛けでも、私の四間飛車+△4三銀・△6四歩には▲4六銀で先手有利、とKob君の主張があり、それを払拭したかった。
私の後手で、四間飛車。△6四歩、△4三銀にKob君は▲4六銀ときた。そうこなくちゃいけない。
Kob君のパンツから伸びる脚はけむくじゃらだ。私も体毛は濃いらしいのだが、Kob君もすごい。
▲3五歩に△4五歩(第1図)。角交換すれば何とかなるだろうと思ったがそうでなく、▲3三角成△同飛▲4五銀で指す手がなくなってしまった。

△4五歩では、△5四歩だった。またこの形に拘るなら、△3五同歩▲同銀△4五歩もあったかもしれない。しかしこれは△6四角の筋がないので、やはり振り飛車が悪いか。
本譜は私が敗勢になったが、戦意喪失の△4九角に、Kob君が▲2八竜と引いたのでクサッタ。Kob君、こんなに受け将棋とは思わなかった。
以下、いくばくもなく投了。局後はOg氏も含めて感想戦になったが、「△6四角がないのが痛いね」。やはり強豪は見るところが鋭い。Og氏はそれでも私を持っていろいろ指すが、どうやっても私が悪くなるので、検討は打ち切らせてもらった。
私の棋力など、しょせんこんなものである。だが▲4六銀の局面、大山康晴十五世名人なら、△3二銀と引いた気がする。それでも▲3五歩なら、△4五歩▲3三角成△同銀で、これは振り飛車も指せる。Kob君とは再戦したいところである。

4局目は、またも少年と飛車香落ち。前日、2局指した少年だ。
対局開始。中盤まで私が手厚く指し、本局も誤魔化せると思ったが、少年に▲4四馬と銀を取られ、△同金▲同飛と捌かれてしまい、少年優勢。それでも私は△4二歩の上に△4三銀と打ちまだまだと思ったが、▲2四飛と回られて形勢を損ねた。
もう飛車成を受ける手はないので私は攻め合いに出るが、▲2四竜(投了図)まで少年の勝ち。

少年は、やっと勝てた、という面持ちで、「ありがとうございました」と深く頭を垂れた。
ここに真剣勝負の醍醐味がある。前の将棋も私が思いっきり指して少年に勝っていたから、本局、少年は心からよろこんだのだ。
少年がW氏に結果を聞かれる。
「勝ちました」
「ええ勝ったの!?」
ううむ……。どうも面白くない。少年、次は負けないぞ。
(つづく)
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終戦記念日の4時から男(後編)

2020-08-26 00:06:19 | 新・大野教室

第7図以下の指し手。▲2二と△1三香(投了図)
まで、Shin氏の勝ち。

第7図で△1四歩▲同玉△2五角以下の詰めろがかかっており、▲1二とも△1三香▲同と(▲同角成もある)△1四歩で負けと読んだ。ここでも△3二桂が、うまい具合に2四歩を支えているのだ。
といって▲2六歩と指す気も起こらず、私はヤケの▲2二と。Shin氏の△1三香に投了した。
途中までは敗勢だったが、終盤は逆転して私の勝ちだった。心の整理がつかないまま感想戦となる。焦点は第4図の▲4三歩で、△同金ならShinの勝ちだったと思う。
ところが局面が飛び、Shin氏が
「(第7図からの)▲2二とでは、▲6三銀成△同玉▲6四角成(参考A図)であぶないと思いました」
と吐露したから驚いた。

「エッ、そんな手があった!? ▲6四馬の形になって金銀があれば詰むでしょ。△7二玉に▲7三金で」
以下△6一玉▲6二銀△5二玉▲5三銀成……。簡単な追い詰めである。「詰んでた!? じゃあ▲2二とが敗着か!!」
私は再び叫ぶ。いやこれは久々にやってしまった。だが▲6三銀成が見えなかったのだからしょうがない。
「私は(大沢さんとの対戦成績の借金を)ひとつ返せてホッとしましたよ」
とShin氏。
改めて感想戦を続ける。終盤の▲4三歩には△同金が正着であろう。以下▲5二馬には△3二銀がピッタリだ。Shin氏は△4三同金に▲4四歩を気にしたが、それも△同金で構わない。私は金1枚では何もできない。
それなのに▲4三歩に△3一銀打はココセっぽく、流れは私に傾いた。
第5図からの△1七金でも、△1七歩成がベターである。だが私は△3二金も気にしていた。検討では▲4三桂△2一玉▲4四銀くらいで先手勝ち、と結論づけたが、そこで△2二金打と強防してどうか。これでもShin氏が残していたと思う。
本譜△1六歩には▲1八玉を検討すると、わずかに詰まなかった。だがソフトに掛ければ、意外な筋で詰むかもしれない。
第6図からの△3二桂には、▲同香成△同玉▲4四桂△4三玉▲4二角成△同玉▲3一角(参考B図)以下詰みで先手勝ち。そこを▲2三桂はひどかった。

いや、最後の最後にヘマをやって、私はボヤキまくった。
さて、私は次、誰と指すのだろう。
ところがShin氏は早速Og氏と対局をし、ほかの4人も対局もしていて、私ひとりが残ってしまった。仕方ないから今日はこれで上がりとし、対局観戦である。
Shin氏はOg氏の振り飛車にエルモ囲いを採り、相変わらずの作戦巧者ぶりである。ほかの2局も面白い。
Og―Shin戦は、終盤はShin氏が二枚飛車で必勝形だったが、Og氏が△9三玉で耐える形で、最後にうっちゃった。この辺が元奨励会初段の剛腕で、私たちオジサンはなかなか勝ち切れないのだ。

全対局が終わり、少し雑談。Yos氏は還暦を過ぎているが、現在再就職先を探しているという。確か警備の仕事をしていたと思うのだが、そこは辞めたらしい。私はYos氏に就職先を世話してもらうことも考えていたから、誤算だ。
「私の職場なら、履歴書を出せば即採用ですよ」
「そうですか。私はでも、まだ営業の仕事に拘っているところがあるのです。でも歳がいってて」
「大沢さんはいくつなの?」
「50代です」
「なんだまだ若いじゃない」
「……」
長崎県川棚「あんでるせん」のマスターは、「50代の人には40代の人が、60代の人には50代の人が若く見える」と言ったが、その通りらしい。
さて、食事である。佐藤氏は帰ったが、それでも総勢8人で、久々の大人数である。熟年夫婦が営業している定食屋に行った。お盆期間だが店は開いていて、客は私たちだった。これで十分にソーシャルディスタンスを取れる。
ではここで、席の配置を記しておこう。

出入口
   Yos    大野  Shin
壁   □    □    □
  Taga Tok Og W 一公
     壁

ここの定食はどれも美味いが、私はから揚げ定食を頼んだ。美味しくいただき、食後はゆんたくである。
私は夏子さんのことを話したが、まあ、私の席の周りは当ブログの読者なので、新たな情報はない。ただ、私とOg氏との会話に熱が入ってしまって、間にいたW氏は若干迷惑だったようである。
帰り道はShin氏、Yos氏、Tok氏と駅まで一緒だ。私は夏子さん絡みの話を続ける。
「当時は20代(後半)で結婚なんて、早すぎると思ってた。30代でもどうか、っていうところ。40代で結婚してもいいと思ってたよ」
と私。するとShin氏が
「いまの(晩婚の)風潮ならそれもアリですけど、私たちの若いころって、その認識がありました?」
「……」
Shin氏、私の強がりにサラッと流してくれればいいのに、そこは厳しく衝いてくる。昨年就職した会社は、ミーティングでの社長の追及が厳しかったが、あれを思い出した。「あ、ああそうだね、オレも1988年前後の女性の平均初婚年齢を調べたけど、25.7歳だった」
「じゃあ男性となると」
「27、8歳だろうね」
「じゃあ……」
20代で結婚しても、早くないじゃないですか、というわけだ。傷口をえぐるわぁ、Shin氏。
あー、26年前の9月15日の渋谷に戻りたいと思った。
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