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一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

7月1日(火)の「開運!なんでも鑑定団」に刮目せよ

2014-06-28 12:42:22 | 愛棋家
27日(金)にKun氏から入手した貴重な情報である。
テレビ東京の人気番組「開運!なんでも鑑定団」に、将棋ペンクラブ幹事にて観戦記者の、湯川博士さんが出演する。
放映日時は7月1日(火)午後8時54分から。番組ホームページでの紹介は以下のごとくである。

明治時代、日露戦争で武勲を挙げた後、小笠原に渡り木工職人になった祖父が現地から持ち帰ったお宝に驚きに鑑定結果が!一体何故?

どうも、将棋関係のお宝ではないようである。
私はふだん当ブログで、湯川さんのことを「鬼瓦」と表現しているが、実像はどうなのか。今回は読者が確認できる、絶好のチャンスである。もっとも実際の湯川さんはとても気さくで、話していて楽しいオジサンだ。
ささ、これを読んだ皆さん、早速ビデオ録画のご用意を。
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山田史生氏、逝去

2013-07-12 01:12:41 | 愛棋家
将棋ジャーナリストの山田史生(ふみお)氏が、7月9日、亡くなった。享年76歳。
山田氏は元読売新聞文化部の記者で、1971年より十段戦(竜王戦の前身)の担当となり、各方面で活躍した。当時の観戦記は陣太鼓氏(山本武雄九段)の独壇場で、翌年、山帰来氏(太期喬也)が加わったものの、山田氏の観戦記はそれほどなかったと思われる。
私が十段戦の観戦記を読み始めたのは1979年からだが、山田氏のそれを初めて読んだのは、同年の第18期十段リーグ・大山康晴十五世名人対桐山清澄八段の一戦だった。
当時山田氏が読売新聞の記者だとは知らなかったが、ペンネームではなく本名で書いていることにまずは好感を抱いた。その文章は抑えた筆致で表現も的確、ひじょうに読みやすく感じた。
その山田氏が読売新聞の記者と後年分かり、さもありなんと思った。記者は文章を書くのが仕事だから、文章表現に長けている。棋士や専門の観戦記者とは一味違う、格調の高さがあるのだ。
その後も山田氏の観戦記は年に1、2度しか読む機会がなかったが、そのどれも安定感があり、抜群におもしろかった。
そんなある年の観戦記で、「感想戦」とサブタイトルをつけた最終譜に、感想戦をろくに聞かない記録係(奨励会員)に苦言を呈したことがあった。山田氏にしては珍しいが、棋士や将棋関係者の顔色ばかり窺ってゴマスリの観戦記しか書かない観戦記者とは一線を画した、実に小気味いいものであった。
山田氏は竜王戦の創設に尽力し、読売新聞社を退社し会友になったあとは、観戦記者の仕事のほかに、「囲碁将棋チャンネル・まるごと90分」の司会も務めた。将棋ペンクラブ大賞では、2007年の第19回に佳作を受賞しているが、このとき会報に載ったのが、当時囲碁将棋チャンネルに出演していた児玉多恵子さん、戸塚貴久子さんとの3ショット写真であった。そしてこのふたりがミス日本級の凄まじい美しさで、口元の笑みを抑えきれてない山田氏を、このときほどうらやましく思ったことはなかった。
なお将棋ペンクラブ大賞の「佳作」は、このときの山田氏の提言を採用し、以降「優秀賞」と名称を変えた。
山田氏とは将棋ペンクラブ大賞贈呈式で、何度かお目にかかったことがある。私のような観戦記マニアには雲の上の存在で、口を利くのも憚られるが、何度かお話をさせていただいた。
ここ数年は、竜王戦七番勝負の第2局での観戦記が多いようですが…と問うと、七番勝負では好きな局を書いていいって言われていて、それで第2局をたまたま選んでいる…というようなことを答えられた。それはふだんの文章に似て、実に穏やかな口調だった。
それから私は、十段戦や竜王戦の観戦記者を何人か挙げると、その方々の観戦記うらばなし、のようなものも聴かせていただくことができた。その内容は、もちろん誰にも教えない。
そんな山田氏は、最近は観戦記の執筆もなく、私は好きな将棋を趣味に、悠々自適の生活を送られていると理解していたから、今回の訃報はただただ驚いた。
私事になるが、父と山田氏は同年代で、名前の読みが同じである。なんだか心の父を喪ったようで、さびしい。
あの世には、一足先に旅立った将棋関係者がいっぱいいる。いまごろは大勢の人と、再会を懐かしんでいるのだろう。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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「近代将棋」元編集長・永井英明氏を偲ぶ

2012-09-26 00:02:20 | 愛棋家
9月24日、「近代将棋」元編集長・永井英明氏が亡くなった。86歳。
「永井英明」といえば、「近代将棋」が代名詞である。昭和25年、英明氏が編集長となって、同誌を創刊。英明氏24歳のときだった。執筆陣には木村義雄名人、大山康晴八段らトップ棋士。すでに創刊されていた「将棋世界」とともに、この2誌は将棋専門誌のツートップとなる。どちらもためになったが、個人的には、硬派なツクリの「近代将棋」のほうが好きだった。
1980年代まで、「近代将棋」「将棋世界」は互角の勝負をしていたように思う。しかし「近代将棋」はその後、赤字将棋誌を引き受けたり、雑誌の判型を変えたりして、やや迷走を始める。
英明氏を語るうえでもうひとつ、NHK杯将棋トーナメントの司会を忘れてはならない。
英明氏は、NHK杯が50人制になった、昭和56年の第31回大会から登場。それまでNHK杯は、番組進行と将棋の聞き手は別々だったが、この回より統合。司会の重要度が各段に増した。
英明氏は、最初の2~3か月はオープニングでガチガチだったが、回を追うごとに固さも取れ、実に落ち着いた語り口になった。
「本業」の聞き手はお手のもの。英明氏は元奨励会員。その辺のアマチュアよりよほど強いのだが、それはおくびにも出さず、つねに初級者の視線に立って、棋士の解説を引き出していた。それゆえ視聴者の中には英明氏を、ただの将棋好きのおじさん、と見る向きもあったようだ。
英明氏が最も引き立ったのは、英明氏が敬愛する大山十五世名人の解説のときだった。
大山十五世名人は、自分で大盤の駒を動かさない。英明氏と視聴者の中間ぐらいのところに視線を合わせ、「4五歩、同歩、同桂、4四銀…」とやる。以前は、この解説に聞き手がついていけずまごまごする場面もあったが、英明氏は手馴れたもの。大山十五世名人の指し手に合わせ、テキパキと駒を動かした。その名コンビは、木村十四世名人と佐藤健伍六段のそれと双璧だった。
そんな英明氏が将棋を指すシーンを一度だけ観たことがある。NHKのお好み対局で、講師の引き継ぎの回だった。ペア将棋で、英明氏は青野照市八段と組んだ。青野八段、▲5五歩と仕掛け、後手ペア△同歩。ここで英明氏は▲5五同角。青野八段は▲4五歩と突いてほしかったふうだった。英明氏、指し手も中級者を演じていたようだ。
英明氏の司会は、10年続いた。これは異例の長さである。これも視聴者の強い支持の表れであった。
「近代将棋」は結局、平成20年、惜しまれつつ休刊になった。英明氏に心残りがあるとすれば、これであろう。執筆者や読者に迷惑を掛けたと、最晩年まで口にしていたようである。
「近代将棋」の父、永井英明アマ八段。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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偉大なる将棋バカ

2012-09-19 00:49:36 | 愛棋家
Fuj氏が中をパラパラと見せる。見覚えのある文面が並んでいる。しかしモノスゴイ分量だ。これだけの文章を、誰あろう私自身が書いたわけで、それもスゴイことだと思う。
よく見ると、文章のいくつかに下線が引かれていた。これは画面上のブログをそのままプリントアウトしたのではなく、Fuj氏がいったんワードに落とし、気になった箇所に、下線を引いてからプリントしたものらしい。
読者のコメントは基本的に削除しているが、面白いものは残し、自分なりの一言コメントを記していた。何とも手がかかっているのだ。これを制作?するのに、いったい、何時間かかったのだろう。
聞くと、Fuj氏は9日(日)に、テレビの将棋を観たあとから「作業」を開始。最後のコメントを書き終えたときは、翌日の午前4時になっていたという。それまで彼は、私のブログを見続けていたのだ。そしてプリントは翌日、まとめて行った、とのことだった。
それにしても…と思う。Fuj氏がこのブログを愛読しているのは知っている。しかしプリントアウトまでするものだろうか。
例えば、棋士では米長邦雄永世棋聖や渡辺明竜王のブログが有名だが、それをまるごとプリントアウトしたなんていう話は聞かない。それがふつうである。
しかしFuj氏は、その「まさか」をやった。その感覚が、私には理解不能だ。
「だって大沢さん、この前のジョナ研で、私に『まだブログの読み込みが甘い』って言ったじゃないですか。だからまとめて読もうと思って…」
とFuj氏がつぶやく。ああ、そんなことを言ったかもしれないが、それを聞いてブログをプリントアウトして読み込もう、とは誰も思わない。
私としては涙が出そうなくらい光栄なことなのだが、目の前にある印刷物がこの世の物に思われなくて、的確な反応ができないでいた。
「一公の将棋雑記まとめ」は、すでにW氏らに見せていたらしい。反応はみな同じで、「そこまでやるか!?」というもの。W氏によると、Hanaちゃんなどは、目を丸くしていたらしい。まあ、そうであろう。
午後7時15分、私たちはとりあえず、夕食に出た。店は久しぶりに、駅前にある「ガスト」。参加者は大野八一雄七段、植山悦行七段、W氏、Fuj氏、私の5人である。この組み合わせも、最近はなかったように思う。ふだんはここに、Minamiちゃんが入っているのだ。
5人中4人がおトクなセットメニューを頼む。食事を待つ間、食事の間、将棋界の話題は出るのだが、傍らでFuj氏が例の束を取り出し、何かというとブログの話に持っていってしまう。
「大沢さん、ここでこんなことを書いてましたけど、これはどういう意味ですか」
と聞かれても、こんなこと書いたかなあ…と、ポカンとするだけである。一応答えはするが、Fuj氏の熱心さに呆れる…恐れ入るばかりだ。
ところで女流棋士の話になって、大野七段が、室谷由紀女流初段を知らないと言ったのには呆れた。
パーフェクト室谷女流初段は、女流棋界の時代を担うエースである。その彼女を知らないとは…。大野七段が女流棋士に関心がないのは知っているが、ここまで無知だとは思わなかった。
「ムロヤさんとムロタさん?を間違いちゃいまして…」
と大野七段。名前云々より、室谷女流初段の顔を知らない、ということが信じられない。
…と、そのそばから、またもFuj氏がブログネタにすりかえる。
「3時休みにこの冊子を見せようと思ったんですけど、植山先生との将棋をピリピリムードで考えていたんで、声を掛けられませんでした」
「そりゃそうだよ。あの将棋は気合入れてたから」
「何ですかそれ!(苦笑)」
それぞれFuj氏、私、植山七段の言葉だったのは、説明不要であろう。
と笑っているそばから、また当ブログの話になる。
改めて、冊子がモノスゴイ量だ。「数は力」というが、こうやってまとめられてみると、立派な書物に見えるから不思議である。眠いときも、辛いときも、旅行中も、年末年始も、体調が悪いときも、1日も休まず書いてきた。その集大成がここにある。
手前味噌だが、米長永世棋聖や渡辺竜王のブログよりも、面白い自信がある。
しかし…ここまでブログに注力したものを、何か別の物――いまの仕事の知識に替えていたら、私はもう少し親孝行ができたに違いない。その意味でこの冊子は、「現実逃避の産物」と云えなくもなかった。
それはともかく、この冊子を見るFuj氏の眼が、少年のようにキラキラ輝いている。これからはパソコンがなくても、自分の好きなときに好きな箇所を、思う存分読むことができるのだ。それは例えば、DVDのBOXセットを購入したときの満足感、達成感に似たものではなかったか。
先にも書いたが、束には、黄色い付箋がビッシリ付けられていた。Fuj氏はKyoto大学の出身である。この冊子の中に、一流学校に合格するためのノウハウが詰まっている気がする。
テーマ別に分類する。気になった箇所に下線を引く。太線にする。自分なりの感想を書く。付箋を付ける。分からないところは人に聞く…。回答を得れば、メモをする。
W氏が、「何だかきょうは、Minamiちゃんに来てもらいたかったね」と苦笑交じりにつぶやいたが、その通りだと思った。
Fuj氏は言う。
「将棋バカの話が出たとき、私は大沢さんに大駒1枚敵わないと書きました。それはこのブログを読んだからです。ここまで圧倒的なブログを書く人に、私が勝てるわけがありません。私が将棋バカを名乗るのは10年早いです」
しかし私も思う。これだけの分量をワードに落として、それぞれにコメントを書く熱意と根気。私もこれだけのエントリをよく書いたと思うが、Fuj氏の作業は、それに優るとも劣らないものだった。
Fuj氏はまた、
「今年の年末の、『一公ブログカルトクイズ2012』が楽しみです」
とも言った。
冗談ではない。Fuj氏はすでに、答える側から出題する側に回っている。たぶん、私より当ブログが頭に入っているだろう。彼こそが出題者に適任である。
今年の年末は、Fuj氏に枠を差し上げるから、私が唸るようなクイズを出題してもらいたい。
偉大なる将棋バカ・Fuj氏に、乾杯(完敗)。
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梨沙帆(後編)

2012-04-22 01:07:03 | 愛棋家
「給与明細アフター」は、タテ16cm、ヨコ9cmの小欄。「なぜかいつの間にかお金が消えてしまう女の子のお金と人生の悩みを解決する」コーナーである。FPマツオカという、正真正銘のファイナンシャルプランナーがインタビューアーを務め、「今月の相談者」から生の声を引き出している。
ここでの梨沙帆のプロフィールは、「趣味:バレエ、クイズ。特技:将棋、デザイン、英会話。」とある。英会話は英検準1級だから偽りはないが、将棋を特技としているのは微苦笑、というところ。趣味の欄に入れてはいけなかったのだろうか。
では以下に相談の模様を一部記す。目次欄には「本誌掲載記事の無断転載を禁じます」と書かれてあるが、「引用」ということで大目に見てもらいたい。

FP「業界初の将棋アイドルだとか?」
梨沙帆「初段です。スカパー!の囲碁・将棋チャンネルとか将棋雑誌に出てます」
FP「英語も得意と聞きましたが?」
梨沙帆「TOEICで820点取ったことが」

梨沙帆はスカパー!の「囲碁・将棋チャンネル」内の「将棋まるごと90分」に、2008年10月から出演していた。アマ初段の棋力というのは怪しいが、そこは目をつぶる。
しかし上に書いたとおり、英語の実力は本物である。TOEICは990点満点だから、820点はすごい。
以下、給与明細の相談に続く。梨沙帆は、物が捨てられない性分らしい。ただ、流行が一回りして、むかしに買ったモノがいままた着られるようになった、と述べている。

梨沙帆「さすがにはけないジーンズとかは、スカートにリメークしたりしてます」
FP「エコな感じが素晴らしいんですよ。ゆくゆくは、デザイナーとかもいけるんじゃないですか。将棋、英語、リサイクルと、なんかNHK教育テレビ的な感じで、ブレークするのでは」
梨沙帆「歩からと金を目指します!」

最後は梨沙帆が力強く締めて、相談は終わりになった。
現在のブログを読むと、梨沙帆は普及指導員を目指しているという。普及指導員になるには、男性はアマ三段、女性はアマ二段の免状を取得することが条件だが、梨沙帆の情熱があれば大丈夫、実力アマ二段にはなれる。
以前LPSAのファンクラブイベントに行ったら、キラッと光る女性が参加していて、よく見たらそれが梨沙帆だった。後日そのときの模様が「近代将棋」に載ったが、やはり彼女の存在は群を抜いていた。タレントのオーラとは、そのくらいのものである。タレントが将棋を趣味(特技)にし、普及してくれることは、ただ将棋を指しているだけのプロ棋士より、数倍のチカラになる。私が「将棋世界」の編集部員だったら、すぐにでも梨沙帆に連載を持ちこんでいるところだ。いますぐにでも日本将棋連盟は、梨沙帆に二段免状を授与するべきである。
棋士ドル・梨沙帆のますますの活躍を期待したい。
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