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一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

大いちょう寄席(後編)

2017-11-13 09:53:31 | 落語
この後は3時半から懇親会である。スタッフの誰かが、「このまま帰る人は、近くで芋煮会をやっているので、それを食べていってください」と言った。湯川恵子さんが来て私に芋煮を勧めてくれたが、私は懇親会に参加するのだ。でも本当に、帰っちゃおうかと思った。
湯川博士氏が来る。
「あれっ? 大沢君、キミ、ここで寄席があることをどこで知ったの?」
「は? 先生、先生からお知らせをいただいたんですが」
「ああそうだったそうだった」
どうも私は、まだ正確に認知されていないらしい。「いやほかの会員から出席の連絡が来ないから、どうなることかと思ったよ」
この落語会は、事前の連絡が必要だったのか? 知らなかった。
懇親会は隣の部屋に席が設けてある。将棋ペンクラブ会員の島があり、私はそこに案内された。しかし、知己がいないのは前述の通りである。
それでも50人以上は集まっただろうか。開会まで時間があるので、周りの人と何となくしゃべる。同じペンクラブ会員でも温度差があって、会員だけど湯川氏の編集後記しか読まない、という人もいた。
まずは寺本俊篤住職の挨拶。お寺で落語は珍しい試みだったが、成功に終わってよかった、という感じだった。
続いて乾杯となる。私の向かいにはいつの間にか湯川氏が座っていた。乾杯の音頭は地元の人だったが、ちょっと話が長い。
将棋ペンクラブでも、大賞贈呈式でみんなにグラスを持たせたまま長々としゃべる手合いがあるが、乾杯の挨拶は一言でいいと心得てほしい。
私たちの前にはつまみが並んでいるが、この庭で取れた銀杏が数個串に刺さっている。これを一粒食せば寿命が10年延びるという。
酒が入ればみんな席を移動する。ちなみに私は不動を貫くほうである。木村晋介会長が一升瓶を持って私の前に来た。
「この酒が美味いんだよ」
とついでくれて、恐縮である。ちなみに私は、ヒトに酒をつぐことができない性分である。
木村会長には4年半前、湯川氏を通じて、矢内理絵子女流五段の指導対局+桂扇生の独演会に招ばれたことがある。だがあの時は軽く挨拶をしただけで、とくに話はしなかった。
ヒラの会員と会長の関係はそのくらいのモノである。同じ理屈で、私のようなアマ棋客が棋士と話す、というのも、本来はもってのほかだと思う。住む世界が違う。
「先生今日は素晴らしい噺でした。私も思わず笑いました」
「そうかいありがとう」
「噺の途中で何回か爆笑があったでしょう。それほどおもしろかったということです」
「客の笑いは分かるからねえ。ああここでウケるのか、と思ったりした」
「今回の噺は先生が自ら選ばれて?」
「『片棒』は湯川さんのリクエストだった」
「和光市の長照寺とか浅草今半とか現実のモノが出てきて、あの脚色が素晴らしかったです」
「あれは行きの電車の中で、ここにあれを入れようとかこれを入れようとか考えてね、ウケてよかったね」
木村会長も満足そうである。
「先生、先生のご著書に、推理小説の不備を見つけて指摘するのがありましたよねえ。あれは笑いました」
「『キムラ弁護士、ミステリーにケンカを売る』だね。あれは題材にしている小説を実際に読んでいる人のほうが笑えるんだよ」
「……」
私は図書館から借りて軽く読んだだけで、批評されている小説もほとんど読んでいなかった。しかも借りたのがずいぶん前で、記憶が風化してしまっている。私は余計なことを言ったかと後悔した。「先生、でも松本清張のような大御所は批評されませんでしたよねえ」
「したけど…読んでない?」
「ヒッ…」
「ああ、松本清張は2作目だったかな。『キムラ弁護士、小説と闘う』ね、こっちでやったかもしれない」
2作目があったのか。どうもさっきから微妙に会話が噛みあわず、私は会長本の未読がバレそうでヒヤヒヤしている。
「先生お好きな作家はどなたですか」
「宮部みゆきはよく読むね」
「ああ、あの方は江戸の推理物も書いてますしね」
その後木村会長は高村薫「マークスの山」の序盤の不備などを熱っぽく語ってくれたが、私は相槌を打つので精一杯だった。木村会長も、話し甲斐のないヤツだなあ、と訝ったことであろう。

閉会は5時だが、その前にみんなそろそろと帰り始める。私も中座することにした。
美馬和夫氏の姿があったが、知己ではないので挨拶しなかった。
表へ出ると門の前に湯川恵子さんがいて、再び芋煮を勧められた。それは向かいの敷地でやっていた。
ここまでけっこうつまんだから腹も一杯なのだが、タダだからついいただいてしまう。芋煮は大鍋で煮られていて、お椀に大盛りでくれた。
味はサッパリしていて、美味い。汁を全部飲んでも塩分摂取過多にはならないだろう。
近くに大きな柿の木があるので愛でていると、オジサンがやってきた。話のスジから、この柿の木の持ち主らしかった。
ウチにも桃の木があるんです、と私は言って話も弾み、意外と楽しい懇親会となった。
というわけで、大いちょう寄席も終了。平日の開催なら私はもう参加できないが、地元密着のイベントなので、これからも継続するだろう。
ただ将棋ペンクラブ会員としては、年末の風物詩だった「将棋寄席」を、復活してもらいたいと思った。
帰りは駅まで徒歩、電車は東武東上線を利用した。
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大いちょう寄席(中編)

2017-11-12 01:48:16 | 落語
10、11日は、血圧が上がる大失敗を立て続けにやってしまった。
こうも巡り合わせが悪いってことがあるのかねえ。すべては自業自得なのだが、他人から見たら大した出来事ではないので、「そのくらいなんだよ」と片づけられそうなのが悔しい。
この話は、後日アップします。

(きのうのつづき)
高座の両脇に第1部の出演者が揃う。まずは司会・石川英俊氏のスピーチ。
「明日11月1日は何の日かご存知ですか」
11月1日は、鹿野圭生女流二段の誕生日だが…。「それは古典の日です。今日は古典芸能を楽しみましょう」
続いて寺本俊篤住職の挨拶。まだ若く、30~40代であろう。
「こういう畳の席での寄席は珍しいと思います。畳に触れる、ということが大事なんですね。皆さん休憩の時は、大の字になっていただきたい。畳の良さを味わってください」
鳥飼八五良氏は、ここ長照寺で寄席が行われる経緯を述べた。
なお本日はJ’COMのカメラが入っており、後日ニュースで放送されるとのことだった。
それにしても、客は年金生活者ばかりだ(失礼)。そこに現役バリバリでいなければならない私が闖入しているのがおかしく、私の場違い感は否めない。
しかも周りを見れば知己が一人もいない。これで3時半からの懇親会に出るってどうなんだろう。和光市の人と親しくなっても意味がないのだ。せめてこの出欠伺いが仲入りの時に行われていたらと思うが、それを言っても詮無い。
第1部は構成吟「奥の細道」。松尾芭蕉が「奥の細道」で詠んだ句を、行程に沿って吟じていく。ナレーションは森田美風さん。
吟者は8人で、一番手は湯川恵子さん。恵子さんは知る人ぞ知る美声の持ち主である。
「くさのとも~」
私はのんびり聴くのみ。以下寺本住職「行く春や」、石川氏「あらたふと」と続く。
私は「出演者・演目紹介」のプリントをもらっているが、さらに構成吟の内容文を持っている客もいる。これは私はもらわなかった。要するにプリントがなくなってしまったのだろう。
以下、「夏草や」「閑かさや」など、私でも知っている句が吟じられ、束の間の旅気分を味わった。
ここで仲入り。スタッフさんが、演目紹介のプリントを配っている。これは数を刷ったものの、それすらも途中でなくなってしまったということだろう。
第2部は「落語」。トップバッターは仏家シャベル(湯川博士)「粗忽の使者」。
「私は学生の時に和光市に越してきまして、以来50年が経ちました。もうすっかり和光の人間です。ウチで落語を演る時は20人くらいお越しいただくんですが、本日はお陰さまで100人以上のお客さまに来ていただきました」。
そんなに来たんじゃ、プリントもなくなるわけだ。
マクラの後に演題の内容をサラッと紹介し、落語が始まった。
「粗忽の使者」は、「じぶたじぶえもん」という侍が上司の親戚筋に挨拶に行くのだが、家老が挨拶に出ると、じぶえもんは「口上の内容を忘れてしまった」と言う。
じぶえもんは、自分のお尻をつねってくれれば思い出すかもしれないと、家老につねらせる。
シャベル氏の話はふだんの語り口とそう変わらないので、こちらも構えずに聞ける。酒の席での世間話の延長のようだ。
お尻をつねるくだりは多分この話の山場で、シャベル氏の身振り手振りも熱が入る。私たちはクスリとさせられる。
下げも決まって、シャベル氏安定の出来であった。
2人目は参遊亭遊鈴(女流)「赤とんぼ」。プロフィールには「茅ヶ崎在住。落語研究会主宰」とある。茅ヶ崎からの遠征とは、よほど湯川氏に出演を熱望されたのだろう。
「赤とんぼ」とは、桂文枝の創作落語らしい。この類の寄席で、創作落語は珍しい。
話は、ある会社の社員が、仕事中に童謡を口ずさむ。すると同僚が、「そんなのを上司に聞かれたら大変だぞ。上司は異常な童謡好きだから」と言う。
結局彼は上司に童謡好きがばれ、上司と童謡酒場に行くのだが…。
遊鈴さんは女性らしい語り口で、こちらは落ち着いて聴ける。
話の中でいくつかの童謡が歌われるが、その歌詞に「間違い探し」の趣があって、私たちは歌詞のうろ覚えにハッとするのだ。
私たちは郷愁を感じつつ、しみじみ聞いた。
トリは木村べんご志(木村晋介)「片棒」。
木村べんご志氏は本業が弁護士で、今をときめくタレント弁護士の走り。土曜の昼に放送されていた「7人のHOTめだま」では、毎回ユニークな持論を展開していた。
先日の社団戦にも元気に出場していたが、勝敗はどうだったのだろう。
話は、ある大問屋の主人・ケチ兵衛はその名の通りケチで有名。ある時3人の息子・金太郎・銀次郎・銅三郎を呼び寄せて、もし自分が死んだらどんな葬式を出すか問う。三者三様の考えがあって、その違いがおもしろい。
べんご志氏は葬儀の寺に長照寺を入れたりして、爆笑を得る。浅草では「浅草今半」の名前も出てきた。実座の店舗が出ることで、私たちも親近感が沸くのである。このあたりのカスタマイズはうまい。
べんご志氏も身振り手振りを大仰に交え、客席は爆笑の渦である。J’COMのカメラマンも、撮影に力が入っているように思えた。おもしろい。
下げも見事に決まって、やんややんやの大喝采。私は何度かべんご志氏の落語を聞いているが、今回はいちばんの出来だった。
(つづく)
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大いちょう寄席(前編)

2017-11-11 02:05:38 | 落語
将棋ペンクラブ幹事・湯川博士氏から封書が届いたのは10月12日である。
中を見ると、バトルロイヤル風間氏のイラストによる、「大いちょう寄席」の案内だった。場所は湯川氏の地元、埼玉県和光市の長照寺。開演日は10月31日(火)。演者は将棋ペンクラブ会長(弁護士・作家)・木村晋介氏、湯川氏、湯川恵子さん、参遊亭遊鈴さんらである。
長照寺は昨年、湯川氏のご母堂が他界された際法要が行われたところで、私もお通夜に参列した。その縁で今回、連絡が来たと思われた。
それはありがたいことだが、開演日が平日というのはどうなんだろう。将棋関係者ならともかく、普通の人は平日、仕事をしている。私が自営業なのを湯川氏が承知して送ったのならいいが、あいにく私は求職中の身で、31日にはどこかの会社で働いているかもしれない。
そう、私が最初に職安を訪れてから3か月。さすがに就職を決めなければならない時期に来ていた。

ところがその後も職安では、これといった企業が見つからなかった。
ある企業の編集募集では、実技試験でワードの早打ちがあった。
私はブラインドタッチはできないので、タイプのスピードは遅い。企業内容は魅力的だが、これでは申し込むのを憚られた。
ほかにも編集者募集の企業はあったのだが、やはり「編集経験者」の条件で阻まれて、応募するまでには至らなかった。
もう編集希望は封印して、一般業務にも申し込もうかと考えた。たまたま見つけた企業は、自社施工ビルのメンテナンスだった。1日数軒、自社ビルを回って瑕疵の有無を点検するのだ。
これはおもしろそうだったが、仕事にすればいろいろ雑事が多く大変だろう。
まあ仕事はどれも大変なのだが、私の欲する業務でないように思われた。
ほかにもいくつかあったが、私は度重なる不採用にすっかり怖気づき、結局何も進展がないまま、寄席の日を迎えてしまった。ああ…。

最寄り駅の和光市には、自宅最寄り駅からJR山手線、東武東上線と乗り継げば早い。しかし401円かかる。東京メトロを使えば時間はかかるが、2度の乗り継ぎを経て278円で着く。差し引き123円の節約は大きい。それで地下鉄を使った。
和光市駅に着いた。まずは腹ごしらえである。長照寺方面の反対側出口は開けていて、松屋があったが、サラリーマンでいっぱいである。
さんざん迷ってココイチに入った。トッピングはおカネがかかるので、ベーシックなポークカレーにする。
待っている間、案内をもう一度見た。湯川氏手書きの地図が添付されていた。長照寺へは路線バスが通じていて、私も昨年、行きは利用した。案内には「タクシー・ワンメーター」とあったが、ワンメーターとは、初乗り料金で着くのか、1回料金が上がるのか。もし上がるのなら2キロ以上ある。
しかし前回バスを利用した時は、意外に早く着いた記憶がある。歩いていければいちばんいいが、万が一道を間違えたらマズイので、行きはバスを使うことにした。
それに現地まで歩いていくには、もう時間がなかった。
ポークカレーを流し込んでバス停に行くと、13時05分発のバスが出るところだった。開場は1時、開演は1時半だからちょうどいい。
2つ目の「下井戸」で下車した。ここまでせいぜい4~5分しかかかっておらず、これで175円とはアホみたいである。電車賃の123円をケチって30分近くロスしたのに、ここでバス代を散財しては意味がない。何でこの区間も歩きにしなかったんだろうと後悔した。
下井戸から長照寺へは距離があったが、道を間違えてはいなかった。その途中、道の塀に案内が貼ってあった。何だかこの寄席は、地元のこぢんまりしたイベントに思える。私のようなヨソ者がお邪魔しても、浮いてしまいそうだ。
長照寺は客殿で行われるようで、受付には列ができていた。そのほとんどが還暦過ぎの御老体である。もちろん地元の方だ。庭には大いちょうがそびえており、この会の名前の由来はここから来ていると察せられた。
受付には写真家の岡松三三さんがいたから、将棋ペンクラブと無縁ではないらしい。奥から恵子さんが現れて、「あらあ大沢さん、来てくださったのオ」とソプラノで言った。知己に会って、やや落ち着いた。
それにしても受付が遅い。こんなもん、木戸銭の500円を払うだけだからチャッチャッと済ませられそうなものだが、何をモタモタしているのだろう。住所とか書かせているのだろうか。
途中から記入用紙を2枚にしたようだ。やっと私の番になった。住所の記載はなかったが、懇親会の出欠の欄があった。参加費は1,000円だが、ペンクラブ会員は参加するのだろうか。まだ客殿には入っていないが、確実に少ないとは思う。
私はとりあえず「○」を付け、なにがしかのお土産をもらい、中に入った。
ぶち抜き2間の和室には、先客がいっぱいいた。年齢層は前述の通り還暦越えで、年金暮らしが多そうだ。これでは平日の開催でも支障はないわけである。
ペンクラブ会員はやっぱり見当たらない。私は年末の「将棋寄席」をイメージしていたから、アテが外れた格好だ。
席は座布団席と椅子席の混合。ただ住職は、椅子は使ってもらいたくない雰囲気だった。私は座布団の上にかしこまった。
受付時にいただいた「出演者・演目紹介」のプリントを見ると、仏家シャベル(湯川氏)の項に、「自宅で社会福祉サロンを毎月開催」とあった。その常連と思しき客がいろいろしゃべっており、どうも今回の落語会は、そのサロンの発展形と思われた。
1時半になり、開演である。出演者の面々が舞台に現れた。
(つづく)
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桂扇生の落語を聞きに行く

2013-04-17 00:05:21 | 落語
14日(日)は、午後1時に家を出た。新大久保駅で降りて、大久保通りを大久保駅方面に歩く。ちょっと遠回りになったが、大久保駅の南口に着いた。めざす店は「とくちゃん」だ。
南口から徒歩1分とのことだったが、それらしき店は見当たらない。ためしにスマホで検索してみるが、その店が現われない。どうなっているのだ?
よく分からぬが、これは南口から思いっきり近いんじゃないかとフンで、改めて探す。と、ある雑居ビルの入口に、「桂扇生独演会」のチラシが貼られてあった。
ここだったか、と思う。しかし店の名は「としちゃん」だった。湯川博士幹事の字が達筆で、私が間違えていたのだ。
迷路のような通路を進むと、突き当たりに「としちゃん」があった。これは完全な居酒屋だ。
数席あるカウンターの手前に、広さ十数畳の和室があり、すでに何人かの客がすわっていた。ここが独演会の会場である。
どうしたものかと戸惑っていると、木村晋介将棋ペンクラブ会長(職業・弁護士)が現われた。将棋関係者は500円引き、のおかみさんの指示に従い、木戸銭1,500円を払う。私もそれに倣う。
しかし座敷は知らぬ顔ばかりである。ほかにペンクラブ関係者はいるのだろうか。なんで自分がここにいるのか、よく分からなくなってきた。
2時になった。傍らで寛いでいた扇生師匠がいったんフロアに降り、ラジカセの出囃子に乗って、改めて高座に上がった。
落語開始。きょうは将棋寄席ではないので、マクラはふつうである。
「例年ならいまごろは桜の季節なんですけども、今年はそんなことをいえなくなっちゃいましたね。それで用意してきたマクラがパーになっちゃった」
「1月は松、2月は梅、3月は桜でしたけども、太陽暦が採用されて、桜が4月になっちゃった。だけど地球温暖化で…」
フムフムと私たちは聞きほれる。達人の噺は、マクラでも聞かせるのだ。
その後方には、「第三十八回 桂扇生独演会」の張り紙がある。この店で、それだけの回数の独演会があったということだろうか?
書き遅れたが、当ブログでは、扇生師匠はお馴染みだろう。年末に行われる「将棋寄席」にレギュラー出演してくださっている、落語協会所属のベテラン真打である。将棋でいえば、順位戦B級1組在籍の九段というところか。
と、自衛隊限定のお菓子を持って、新たな客が入って来た。扇生師匠は、それまでもネタに使ってしまう。このへんの頭の回転の早さは、さすが落語家だ。
そこからいつの間にか噺に入った。粗忽者の息子と、そのオヤジのやりとりをおもしろおかしく描くものだ。
扇生師匠の噺は定評があるところで、きょうの噺もおもしろい。傍らの椅子席では、木村会長が真剣な表情で見入っている。落語を楽しむのはもちろんだが、扇生師匠の話芸を盗もうと、一言一句聞き逃さない姿勢である。
扇生は、バカ息子とそのオヤジのキャラクターを巧妙に使い分ける。将棋棋士と落語家。どちらも体ひとつで稼いでいるところ、扇子を使うところは同じだ。あと、伝統文化の継承者という役目も担っている。
最後も巧妙な下げだったのだろうが、私にはちょっと分からなかった。一席目が終了。
小休止だが、扇生師匠は先ほどの自衛隊菓子に興味津々だ。これはどこで買ってきたのか、かのお客に詳しく聞いている。
二席目開始。今度のマクラは、その自衛隊菓子だ。これ、陸自、海自、空自と、買う場所が違うと、中身は変わらないのに、○○限定菓子として売り出される。そこを扇生師匠は論破し、客から笑いを取った。身近な題材で、即興でマクラをこしらえるとは、さすがプロだと感心した。
二席目は、鹿を殺めてしまうと死罪になってしまった時代の、奈良地方での噺。
ある正直者の爺さんが、誤って鹿を殺してしまう。しかし奉行所にも情けがあり、お奉行様は白洲の場で、なんとか爺さんを無罪放免にしようとあの手この手で助けようとする。
しかしその意が汲み取れぬ爺さんは、その度に「へえ、私が殺しました」と認めてしまうのだ。この辺のやり取りが実におかしい。
これも下げの意味がよく分からなかったが、めでたく大団円となった。
時刻は3時半を過ぎたところ。同じ場では引き続き打ち上げが行われるが、私(たち)は参加しない。4時からその一隅で指導対局が行われ、私はそちらに参加するのだ。そしてその講師は、かの美人女流棋士・矢内理絵子女流四段であった。
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聖夜の将棋寄席・ブログバージョン(後編)

2012-12-30 00:08:13 | 落語
中に入ると、年配の演者がマジックをやっていた。「大山十五世名人が…」とかやっている。将棋寄席では、ネタの中に将棋を盛り込むことが必須になっているのだ。
ところで将棋寄席といえばあっち亭こっち氏(長田衛)が一番手と決まっている。氏の軽快な落語を聞きもらしたのは痛かった。
年配の演者はアタチ稔氏(後藤稔)。いただいたプログラムには「Mr.マリックの素人弟子です」と書かれていたが、その芸風はマギー司郎の弟子といった趣であった。
私は小さくなって、最後方右の席に座った。右の塀際のベンチには、M幹事がいた。そして私のナナメ前には窪田義行六段が座った。いつになく服装が地味だが、米長邦雄永世棋聖の告別式に参列してきたのだろうか。
今回私は手ぶらで来たのだが、筆記用具を忘れてきた。ブログ用にいろいろメモをしたかったのだが、こうなったら、要所は脳裏に刻むしかない。しかしこの「忘れ物」が、後に大きな後悔になるとは思わなかった。いや、嫌な予感はあったのだ…。
ところでプログラムを見ると、将棋ペンクラブ会長・木村家べんご志氏(木村晋介)とバトルロイヤル風間氏の名前がない。ともに将棋寄席以上の予定があったのだろうが、二枚看板の欠場に、寂しさは否めない。
3番手は、第6回から参加の桂扇生。落語は「幇間腹」。ペンクラブ会員の落語もうまいが、真打ちの落語を聞くと、さすがにプロは違うと唸らされる。
続いては神谷広志七段の「辛口トーク」。聞き手は湯川恵子さん。恵子さんはピンで落語がしゃべれる実力者だけに、贅沢な配役である。神谷七段は、米長永世棋聖、加藤一二三九段らの大御所を肴に、爆笑トークを繰り広げる。それでいて泣けるパートもあり、短時間ながら中身の濃いトークであった。
仲入りでは、入場券の半券で棋書などが当たる抽選会があった。私は今年もダメ。どうも将棋寄席ではヒキが悪い。
ここで2次会の参加が募られる。私はどちらでもよかったのだが、まだ空きがあるとのことだったので、申し込んだ。参加費3,500円也。
仲入り後は、お囃子担当の鶴田やよいさん。ふだんは裏方だが、どうしてどうして彼女の演芸が絶品だった。三味線の合間のおしゃべりが、キレがあって楽しい。顔よし声よしスタイルよし。お囃子にはもったいない、いいオンナであった。
トリは、我が仏家シャベル氏(湯川博士)の「藪入り」。シャベル氏の落語を聞くのは2年ぶりだが、シャベリに格段の磨きがかかっていたのに驚いた。シャベル氏は人情話をやらせたら天下一品だ。
最後は演者が勢ぞろいし、将棋寄席恒例の3本〆で幕となった。
2次会は、歩いて5分のところにある居酒屋で行った。神谷七段夫妻、窪田六段も参加。将棋ペンクラブを応援してくださる棋士はいっぱいいるが、イベントがあるたびに参加してくれる窪田六段の精神は尊いものがある。
私は奥の方に座ったのだが、湯川幹事が来てくれた。
「おお大沢君、きょうはありがとう」
「はあ、どうも」
「そうだ大沢君、きょうのレポート書いてくれよ」
うわっ。来ましたか…。私は3年前にも「将棋ペン倶楽部」に将棋寄席のレポートを書いたことがあるが、それはどうなのだろう。だから「もういいんじゃないか?」などとは言えない。あの顔で頼まれると、断れないのだ。「2頁でいいよ。あとは彼女(写真家の岡松三三さん)の写真で何とかするから」
「……」
「3頁でもいいよ。好きなだけ。じゃあよろしく頼むよ」
「はあ」
いやー、しまった。ここにきて、筆記用具を忘れた弊害が出た。レポートをしようにも、重要な事柄はほとんど喪失してしまった。〆切りは1月末日。どうしようか…。
乾杯のあと、幹事の長田氏が、参加各者にきょうの感想を聞く。神谷七段夫妻は浜松に帰るべく席を辞していた。それでも私は、あっち亭こっち氏の落語を聞けなかったことと、神谷七段のトークが面白かったことを話した。
説明が前後するが、私のナナメ前は「近代将棋」元編集長の中野隆義氏。正面の女性は誰かと思いきや、中野氏の奥さんだった。私の左はOs氏。関東交流会などでよくお見かけするが、対局はもちろん、しゃべったこともない。名前もうろ覚えだった。
しかし鍋を囲めば何とかなるもので、2つ3つ話をした。みんな酒も入って、にぎやかな会となった。
散会は10時半。やや色気はなかったが、将棋ペンクラブならではの、楽しいクリスマスイブであった。
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