今の時期、多くの家の庭で見られる。昔しは、薬用として、栽培されていたようだ。常緑の葉には、抗菌作用がある物質があるという。毎年、早苗饗と刈り上げの祝いで、赤飯をいただく。その赤飯に、葉が添えられている。生葉を5グラムほど、コップ一杯の水で、煎じてうがいをすると、消炎の効果があると、読んだ。薬効があるのは、赤いナンテンよりも、白実南天の方で、咳止め、咽頭炎、歯痛に効果があると、読んだ。花の咲く頃に、蜘蛛の巣がかかると、実ができないとか。花暦には、27日がナンテン、花言葉は、「福をなす」、「よき家庭」とある。縁起のいい樹なのだろう。あちらこちらと、ぺらぺらとめくって、書きました。
画像は、初冬の風情の、木立。別の事。或る日の昼下がり、ピンポーンと、音が鳴った。玄関戸には、人影がなく、いたずらかなぁと、戸外に出た。すると、辛そうに、外壁に寄りかかるように、近所の女性が、「あれーっ、どうしたのぉ」と声をかけた。「タクシーを頼むので、電話を借りたい」という。20メートルほど先の家なので、「タクシーですかぁ」と、再度問うと、通りに出た先の、パーマさんへ行くという。ならば、すぐそこ150メートルほどの先の、通りに出た所なので、「送っていきますよ。歩けますかぁ」と、「歩ける」という。女性のバックを預かり、よろめくので、右腕を抱えこんで、歩きだした。5、6メートル歩くと立ち止まる。「手を握って下さい」と云うので、左手を握った。よろめく瞬間に、握り返している。立ち止まっては、歩く。途中の電柱には、持たれるかかるようにしている。パーマ屋さんに着き、椅子にもたれて、座った。腕を抱えてる時は、もたれかかられると、支え切れないなぁと思いつつ、手を握ると、よろめく度に、ちからが伝わってくる。身の安全を確保するのに、手先に強い力が働くものだなぁと、感じた。女性は、一人暮らし、一年前ほど前に、立ち話しただけで、朝のごみ出しをしているのを、見ていたので、元気にしていると、思っていた。このことがあった翌日、娘さんが、世話になったと、菓子折りを持って、礼にきた。
ばあちゃんの、おせち料理は、18日頃届く。いつものご飯も、元気でいるので、旨そうに、口をパクパクしながら食べる。食べさせがいがある。普段の食事の際、半分眠っている時、「食べないと、痩せきれっちまうよぉ」とか、「食べねぇど、死んちまぅぞぉ」と、声をかける。返事はしないが、聞こえている。耳を、そば立てている。昨日から、なにやら、お喋りをしている。口をすぼめて、澄まし顔をしてみたり、しかめっ面をしたり、薄笑いしたり、ほっほっほぉとか、笑っている。楽しいことを、思い出しているのかも。ばあちゃんの顔を覗きこんで、「なにか楽しかったのげぇ」と、聞いてみた。近々、ばあちゃんの生家の近くの神社へ、祝百八歳の神札を、申し込みに行く。宮司さんも、「ほおおー、たいしたもんだぁ」と、今年も云うのかも。まずは、元気で、正月を迎えられる。
画像は、夏目漱石ついでに、載せました。月に一回、本屋さんへ行く。ほとんど、月刊誌と週刊誌を買いに、ついでに、棚を見廻す。目に入ったので、購入をしたもの。ぺらぺらとめくって、そうなんだぁと、読んだ。いつもの、拾い読みで、積ん読く本だぁと、苦笑をしている。似顔絵の本は、学研版、「明治の古典」。「吾輩は猫である」と「倫敦塔」と「夢十夜」が、綴らりて、カラーさし絵や写真がいっぱい載っている。装丁や風土記や「漱石の作品世界」、「年譜」や「作品小辞典」が綴られている。漱石のことが、すべて載っている。眺めて楽しんでいる。
画像は、夏目漱石の、「道草」の表紙と外箱。積ん読本なので、眺めているだけ。大正四年に発刊のを、昭和50年に、日本近代文学館が刊行とある。434ページなので、分厚い。漢字には、ふりがなが、付けてある。読むことはできるが、読解ができない。
画像は、言わずと知れた、「吾輩ハ猫デアル」の、初版本の復刻版の表紙。前掲の「夢十夜」を、ぺらぺらとめくっていたついでに、ひろげた。重ねて積んで置き、眺めでいるだけ。普段は、数巻まとめて、埃除けに、ラップを巻いておく。
ー続きー。画像は、学研版の「明治の古典」、夏目漱石編の中からです。絵は、青木繁画、「輪転」、明治三十六年。日輪をめぐる創世期のどろどろの姿、とある。辞典に、「夢は六腑の疲れ」とある。六腑とは、胃、胆、大腸、小腸、膀胱、三焦のこと、と読んだ。夕食を食べ過ぎると、消化が悪くなる。なるほど、就寝をしても、六腑は、動いているのだろう。ならば、夕食の量を、少なくすればいいのだろうと、素人考えをしている。働いていた時は、朝食も昼食も、軽めで、夕食は、栄養補給と明日の活力にと、食べていた。五臓六腑も、動いていたのだろう。この歳になると、五臓六腑も、老化をして、動きが悪くなるのかも。こんな素人考えで、最近は、朝食は、しっかりと食べる。昼食は、麺類。夏場は、ソーメン。今の時期は、蕎麦で、寒くなると、暖かい蕎麦か、ラーメンとしている。昼間のおやつは、美味しくい、しっかりと満足して、食べている。我が身の、不気味な恐ろしいほどの、夢をみたのから、漱石の「夢十夜」を、思い出して、載せました。あっちゃこっちゃは、ご容赦のほど。
画像は、夏目漱石の復刻本の「夢十夜」の最初のページです。年表に、四十一歳の時、朝日新聞に発表とある。小生は、かれこれ十年ほど前に、学研版「明治の古典」の第九巻、夏目漱石、「吾輩は猫である」に、綴り込んであった「夢十夜」を、ちょっこっと読んだ。不気味な恐ろしさや、難解でもあるし、全部は読んでいない。夢は目覚めると、ほとんど忘れるのが普通のこと。最近、我が身の夢が、すえ恐ろしいことがある。意識して、覚えることもある。夢の中で、車で交差点で停止、確認をして走り出すと、左右、前方の車が、突然現れて、大事故。わぁ、どうしょうと、目を開ける。また、川添の景色を見ようと、停車。ブレーキがかからず、谷底に、真逆に転落。ああ、どうしょうと、目を開ける。また、徒歩で、食料品を買いにいく。行けども行けども、スーパーには、たどりつかない。明日からの食べ物はと、はっと目を開けてしった。不思議な夢をみるので、昨夜は、こんな夢だったと、意識をして、覚えいた。おかしな夢は、体調が悪いときのようだ。辞典から、「夢は五臓の患い」と読んだ。肝臓、心臓、肺臓、脾臓、腎臓は、これと云って悪い箇所はない。ならば、夕食の食べ過ぎかもと、考えた。ー続くー。
画像は、夏井川溪谷の篭場滝の少し上流。昨秋に撮ったもの。当地方、午後の三時を過ぎると、日が傾き始める。当地方の、日の入りは、午後四時19分頃になる。ことわざに、「秋の入り日と年寄は、だんだん落ち目が早くなる」がある。身に染みて、実感をしている。深刻な病は、今のところは無い、ほどほどに、生きている。十二月になって、来年は、なんて考えると、憂鬱になる。現在の状態からは、身も心も、経済的にも、マイナスになっていく。身は、老化が進む。心は、「心の仇は心」と、云うので、自分で収めるのだろう。「口に栄耀、身に奢り」と、ことわざにある。ほどほどの生活であればいい。「栄耀」、「奢り」とも、ぜいたくの意。残りの人生を、何かプラス思考して、生きていくべきなのだろう。
画像は、玄関先に掲げた。昨夜半からの大雨が、9時過ぎ頃から、小降りになり、お昼過ぎに、晴れてきた。古い資料では、過去の12月は、「冬至寒波」、「冬型は一時的」、「暖冬南岸多雨」、「前半寒く後半暖か」、「クリスマス寒波」などとある。日本の季節区分には、12月28日ころに、「年末の悪天」という、特異日がある。当地方いわき市小名浜での、日中の最高気温の平年値は、上旬が12.2度、中旬は10.8度、下旬は9.8度。予測では、ちょっと高めなのかも。22日は、冬至になる。太陽の光と熱が、最も弱くなる。これが、立春頃に表れるというので、立春ころが、一番寒い。冬至の22日は、旧暦では11月19日で、来年の冬至の日は、旧暦で、11月29日になる。季節が早めに、訪れるのかも。鬼が笑っている。本格的な寒さの到来を、旧暦の十一月一日とすれば、四日からになる。果たしてそうなるのか。あたり外れは、ご容赦のほど。「冬来たりなば春遠からじ」、寒くなってないのに、早すぎるべぇです。