八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

懐古している

2018年03月28日 20時06分32秒 | Weblog

40年も前。はるか昔のこと。小生もこんな時代があったなぁと、懐かしがっている。当時は、のし紙の表書きは、毛筆で書いた。数年後、印刷機を購入して、毛筆の小文字書きは終わった。その間、近所の文房具店に誘われて、習字教室で、習っていた。所属したていた支部の展覧会、本部の展覧会などへ、出品で、面白かつた。前掲の、パソコン画と、拙ブログに載せた筆文字を、拾い出して、小冊子を作る。50頁か60頁になるかも。自慢げなものなど、見てくれる人は無いべぇ。なので、発行部数は、40冊かなぁ。作るかどうかは、これから。している大きく出たと、自嘲をしている。

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パソコン昔話

2018年03月28日 19時28分35秒 | Weblog

手前味噌の昔話。画像は、Windowsが登場する以前の、MS―DOSというOSで、パソコン導入して、業務のデーターの、入力の手順の方法が一段落して、ひま潰しに描いたもの。今のパソコンでは、IMEパットを使い、文字の検索を、手書きするマウスで書くようなもの。ソフトのペイントでも、描ける。エクセルのマス目を使って、模様を描いている方もおられる。当時のマウスの動きは悪く、一筆で一気に書き上げるには、苦労をした。マウスが、思うように、動かなかった。はるか昔に、毛筆を使って、下手の横好きで、文字を描いていたこともあった。懐かしさがあり、マウスで、文字を描いた時もあったなぁで、まとめてみた。保存は、当初、フロッピーで、30頁が必要だった。後々は、10頁になった。原本は、フロッピーの時代が終わり、破棄してしまった。当時の情報誌の表紙を、コピーして、編集をしました。「老いの繰り言」でした。

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放射線は

2018年03月26日 19時55分36秒 | Weblog

仙台からの帰り道。春の陽気に、窓を開けて、気持ちよく走行していた。あっ、そうだ、ここらあたりは、原発事故のため、避難している地帯だった。平地の開けたあたりは、フレコンバックが、積み重ねしていたり、工事中の場所もあったりしている。発電した電気を、関東地方に送る送電線の鉄塔が、多く見られる。テレビで、チカチカと光る夜景を、見ることがある。電気の光の、ありがたさを感じるのだが、怖さも感じている。

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雪山

2018年03月26日 19時40分11秒 | Weblog

常磐道の鳥の海、パーキングで、一休みして、カシャッとした。はるか彼方の山々には、まだ、雪が残っている。いわき市から、北上したので、車外は、冷たいのかと思っていたが、暖かかった。彼岸明けの、二十四日で、一年の中で、過ごしやすい頃。桜の花の満開のニュースが、テレビで報じている。無為な日常生活が、早く時が過ぎていく。

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日の出

2018年03月26日 19時25分38秒 | Weblog

画像は、先日、二十四日の、いわき市四倉海岸の、日の出の、午前5時38分。日の出の定義は、太陽の上端が地平線に接した時というので、まさにその瞬間だった。車は、道路が陸地から、海岸に抜け、新設のバイパスが、山手の陸地を走行する。走行中は、わき見は禁物で、水平線から出る太陽は、見られなかった。ここで停車しても、発進して、一、二分で、トンネルの中を走行して、山間の道路を走ることになる。普段の日常生活では、日の出をみることはない。

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紅梅

2018年03月21日 20時36分34秒 | Weblog

春分だが、冷たい雨が、降り続いている。画像は、先17日の、閼伽井嶽薬師、常福寺の境内の、紅梅、満開だった。今日は、二十四節気の春分。太陽が、真東からのぼり、真西に沈む。春分点といって、太陽が、赤道を南から北へ通過する点という。二十四節気の表をみると、「二月中気」とある。なんか、陰暦からのように、思える。季節を感じるのは、旧暦のほうがいいと、旧暦礼賛している。「こよみと天文.今昔」をぺらぺらと読むと、「゛陰暦は、単に一部の人の、懐古趣味を満足させるだけのもので、暦法上の必要性は失われている」とある。太陽太陰暦は、4000年も前に、考えだされて、使用していた。まあ、ひとりよがっているので、いいべぇ。

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彼岸の中日

2018年03月21日 19時55分45秒 | Weblog

同じだった。前掲の浄土宗の宗主、法然上人の宗歌が、本堂の前に、建立されていた。貰いものだが、我が家と縁があった。宝国寺は、彼岸の中日で、墓参りの人々で、賑わっていた。今日は、国民の祝日。春分の日は、「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」という。お彼岸は、仏事で、先祖の供養をする日という。ひがん=彼岸=向こう岸で、お先祖様の霊が安らかにしているという。向こう岸があるので、こちらの岸があり、こちらの岸は、娑婆の世界という。生、老、病、死の、四つの苦がある世界という。生きることも、苦。老いることも苦。病も苦。死も苦。現世には、楽がないのか。そうじゃない。「安」を考える方が、一番大切なのだろう。「安心立命」ということもある。「安」という字は、女が家の中にいる形という。極楽往生をして、向こう岸に往きたいと願う日でもあるという。あちこちと、拾い読みして、載せました。

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浄土宗の宗歌

2018年03月20日 13時23分22秒 | Weblog

女性の知人から、いただいた。数年前に、ご主人がキリスト教徒で、亡くなり、その葬儀に参列をした。知人も、キリスト教徒と、思っていたので、これが目に入ったので、不思議に思った。近々、転居の予定もあり、家財の整理をしていたようだ。知人は、京都生まれのようで、ひとり暮らしの兄の世話をするので、京都に行くという。数か月で戻るか、転居になるのか、また、確定はしていないという。知人が、ずうーっと前に、盆の送り火の、京都の「大文字焼き」を、目前で見た事を、語ったのを聞いた。そんな関係で、知人宅にあったのかも。小生の我が家の菩提寺は、浄土宗、「宝国寺」。寺の本堂前に、この宗歌を刻したのが、建立されている。明日の彼岸の中日の、墓参の折り、よく見てくることにしている。いただいたのが、不思議な縁だなぁと。

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肩の荷を下ろした

2018年03月15日 20時36分43秒 | Weblog

先日、零細企業だった会社の、当座預金の口座を、解約した。67年間の、長年の生業としていたのを、悔いが無く終わりにした。当座預金の口座番号は、50番だった。かれこれ、十年も前のある日、銀行の営業担当の方と、雑談をしたことがあった。営業担当の方は、「50番という口座を使っている会社は、どんな会社だろうと、訪ねてみたことがあった」と云う。「それはそれは、どうも。なんか失礼なことをしました」と、謝した。担当者は、「支店の開設にあたり、取引を願い、初日に開設されたのかも」だった。当時の口座開設の約定書は、カーボン紙を使った複写の手書きのものだったのが、残っていた。「終わりよければ、すべてよし」と、自足をしている。

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蟻の一穴

2018年03月10日 19時46分41秒 | Weblog

ちよっと前に、棚の整理をして、ぺらぺらめくっていた。昭和59年に、日本経済新聞社が、刊したもの。当時は、会社の決算額の利益に応じて、税を納付していた。従業員に支払った給与から、天引きした税は、納付期限より、一日でも遅れると、税金の横領ということで、「横領罪」になっとぉと、言われていた。この歳になると、少々の税は、預金口座から、引き落とされている。我が家の、昨年の消費税の総額は、家屋内の修理や、改善があったので、ざーっと計算をすると、478.134円になる。今年は、節約、節約で、消費税の負担を少なくする生活をする。昨今、「もりとか、かけとか」の報道が多い。昨日は、国税庁長官の辞任の報道。政治のことは、あっちの事だっぺぇだが、「蟻の穴から、堤も崩れる」との、ことわざもある。

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久しぶりに

2018年03月08日 20時27分41秒 | Weblog

先日、実家での法事があり、そのあと、斎があった。普段は、疎遠をしているので、せめて法事には、集まることにしている。一昨年以来の、談笑だった。それぞれが、年齢なり元気で、来年も、法事があるというので、一年後の再会を楽しみになる。以前は、法事の翌日は、兄弟ゴルフをした。「また行くべぇ」と、誘われているが、「そのうちに」と、断わった。別のことだが、物入れ棚を整理していたら、ゼクシオのボールが一ダースでてきた。陽気が良くなったら、「いつでもいいよう」と言ってくれている弟に、誘ってくれるように、頼んでみっかぁと、考えている。

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おりおりにと題して

2018年03月08日 19時57分26秒 | Weblog

昨年、写経会に参加しものを、拙いブログから拾い出して、小冊子を作った。上手い下手はさておいて、冊子を作る楽しみがある。綴り込む順番から、構成を考える。色調を見比べる、試作をしてみる。40ぺージになった。印刷所に依頼したとすると、そのコストは、1000円に、プラス製本代になると思う。自分でカラーコピーをすると、インク代と紙代で、550円くらいのようだ。写経会の皆様と、知人に呈するだけなので、50冊を作る。今は、ゴルフにも行かないし、飲み会もない。それを考えると、安いものだぁ。何かをすることの、楽しさはある。

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香典の返礼

2018年03月08日 19時31分15秒 | Weblog

ちょっと前に、葬儀に参列をした。その時の、香典の返礼品が、せんべいの詰め合わせだった。葬家が揃えた。ざーっと100枚はある。葬儀にしては、ちょっと珍しい、返礼品だった。ずーっと以前の返礼品は、晒の反物からタオル手拭になり、バスタオルからシーツに、変遷をしたと思う。その後は、お茶になり海苔になり、それらの加工品になり、その後も、それらの、詰め合わせの物になったと思う。現在介護中のばあちゃんは、近い将来、葬儀をするようになる。どのような返礼品を使うか、考えなくてはならない。葬儀に際しての、諸々のことを考えて、準備しなくてはならない。例えば、葬列の順序はどうするかだ。昨年、親戚の葬儀では、三家で、葬列は省略していた。若い世代になっているので、そうゆうものは、無くしている。葬儀にしか、顔を合わせるだけなので、当然のことなのだろう。

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満月

2018年03月04日 18時59分03秒 | Weblog

夕暮れ時の月の出を、カシャッとした。先日まで、強風が吹き荒れていた。三月に入って、穏やかな日だった。日没はしていなかった。見た目は、明るい月で、大きく見えた。うろ覚えだが、「菜の花や 月は東に 日は西に」という、俳句があったかなぁ。菜の花の時期には早い。満月の時は、地球上の夜を、明るく照らしている。ことわざに、「月満つれば即ち虧く」というのがある。蓄えていたエネルギーが、放出される。そうだ、満月に風邪をひくと、治りにくいとか。カシャッとした夜、風邪気味。以前の残りの内服薬を服用、早寝をした。また、「月の前の灯」というのがある。小生のブログのことのようだ。「りっぱなものに比べて、ひどく見劣りがとてしまうことのたとえ」だ。ご来訪の皆様は、どうでもよいことのたとえ言葉、「人の女房と枯れ木の枝ぶり」だぁですね。またまた、自嘲をしている。

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