八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

七十路徒然なるままに

2009年02月28日 19時27分59秒 | Weblog
前回、携帯電話について、計画性云々は、普及し始めた頃のことであって、今はその機能の便利さを享受している。個人個人での、情報収集も細分化されている。企業もそれに対応しているのだと思う。固定電話から、携帯電話に、IP電話に、インターネットと変化をしている。小生が使い始めたのは早かった。電話機のショップが無かった頃、人の集まるスーパーとかで、「電話機は無料ですよー」って、勧誘されたこともあった。ひやかしに話を聞いて「俺のはこれだよ」って、古式の携帯電話機をみせたものだ。セールスマンは、しげしげとながめていたっけ。小生、単細胞の脳なので、持っていても電話の対応しかしていない。昔かぁーしの、話をするようになったので、自分も歳だなぁと、自嘲している。
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七十路徒然なるままに

2009年02月26日 19時40分54秒 | Weblog
携帯電話機の便利さは言うまでも無い。小生使い始めたのは全国何処でも使えるサ-ビスが始まった、ひと昔ふた昔も前の時だ。ある時、出張で新幹線に乗車してて、大雨の影響で2時間遅れてしまった時、連絡がとれなく、困ったことがあった。全国何処ででも使えるようになった時、すぐ、使い始めた。今では珍しくない、固定電話からの転送、新幹線の中での、居眠り、マナーモードで起こされた。当時、携帯電話機を製造していた会社では、使用を禁止していたとか。料金も高かったこともあるし、仕事のちよっとした事でも電話ですませてしまっては、計画性も無くなってしまう事でもあったようだと記憶している。仕事場では、私用に気もとられることもあるだろうし、使用本人は、注意していたと思っても、散漫になったり、何か欠落してしまうこともある。経験からでも、そう思う。「りこうと鋏はつかいよう」大昔かぁーしから、言っていた。
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七十路徒然なるままに

2009年02月21日 11時12分20秒 | Weblog
ちらっと見た菜根たんの中に「人の過失を責めるときは、過失の中でも、過失でない部分を探し出して、暖かい目でみてやると、それによって責められた人も、心は平静となって、いうことも聞いてくれる」との訳があった。国会議員の方々が、総理大臣と指名をしたのだから、その責任を真っ当させるのが、民主主義国家なのだろうと思う。否定ばかりしていては、後ろ向きと思う。物事を肯定すれば、前向きになるのだろう。前に進むには、どうするか。それを考えるのが、議員の方々だと思う。「駄目だ、駄目だ」とゆうのが、議員の役目なのかなぁ。よってたかって足の引っ張り合いにしか見えない。「あっちはただだ」「こっちもただだ」結局は税金を使うのだろう。どうせなら「税金もただだ」なあぁぁんて言うわけないかぁ。
給付金の支給に反対している議員を選出したところへは、支給を見送る、あれぇ前回もブログしたっけ、糠味噌脳なので、ご容赦を。
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七十路徒然なるままに

2009年02月19日 20時37分12秒 | Weblog
国会は大臣の辞任とか、本会議は欠席とか、支持率が低下しているとか、解散すべきとか、賑やかだ。総理大臣は、どんな形にしろ、その時点で、国民の支持があって、党首になり、国会で総理大臣に、指名された、とゆうのが、民主主義だと思う。選挙で、国民の意思を付託する議員に、投票する。国民の意思を付託された議員が、総理大臣を指名するし、政策の遂行をするのだと思う。その政策を支持するのが、民主主義だと思う。給付金の支給に反対する議員がいれば、国民が意志の付託をされているのだから、その議員に投票した国民は支給されなくてもいい、と思う。まぁた単略的ですがねぇ。アメェバーの小生考えてもしょうがないことと承知をしている。日本人は、足の引っ張り合いをする民族のようで、足を引っ張れないようにと、神様は足を短く作ったようだと、山形の牧師さんの話を、パクリました。
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七十路徒然なるままに

2009年02月18日 19時50分09秒 | Weblog
カレンダーに今日は雨水とある。先日春一番が吹いたのに、冷たい強い風だ。別の話。バアレンタイデーとかで、チョコレートを食べた。立春には、恵方巻きとかの、太い海苔巻を食べた。年末には、ケーキを食べ、正月に、雑煮を食べた。ややっこしいなあと思うか、いろいろ食べれて楽しいなぁと思うのか。恵方巻きとは、「何ぞや」と、パックのいわれを見ると「恵方を向いて無言で食べるべし」とある。屁理屈を考えて食べると、ご利益も半減かなぁー、なあぁぁーんて思った。それにしてもいろいろな物が、食べれていい。人生85歳かなぁとすれば、あと十一年もあると思うのか、十一年しかないと思うのか。美味しいものを食べてるのか。粗食にするのか、それとも「かすみ」を食べる悟りをするのか。そう言えば、2006年12月に「さとり」と「ゆとり」をブログをしたっけなぁ。「さとり」をしてないので、「かすみ」を食べられないなぁ。今の時世、「かすみ」で体がもつならば、生活費がたすかるなぁ。残りの人生、ちよっと複雑な気持ちになる。
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七十路徒然なるままに

2009年02月13日 21時35分31秒 | Weblog
民営化が、賛成だったの、反対だったのと、TV報道を目にする。今更どうなのと。三年経ったら見直すと、あるのだからと云う。それにつれて、給付金の支給は、いかがなものか、なぁぁんて聞こえる。いっそ、支給に反対している議員を、選出しているところには支給しない。賛成しているところには、予算額を山分けして、支給する。そうなればいいのになぁ、と、単細胞的に願望をしている。格好なブログの材料にしている、と、又、又、又苦笑をしている。人に笑われたらおしまいだ。そうゆう小生は笑われている。
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七十路徒然なるまに

2009年02月11日 15時32分05秒 | Weblog
先日、国会の審議の中継放送を、ラジオから聞いた。「年寄りが、持っているお金を使わせるような、政策をして、景気を回復させろ」と、口から、泡を飛ばすような口調で、質問をしていたのを聞いた。泡が飛んでいたかどうかは、見てないので、そんな風に感じた。質問の主旨も、違っていたらご容赦ください。納税に関しては、100%、国と県と市に、把握されている。ちょっとばかり、納税の義務ははたしている。議員の先生方が、何かやると、税を使うのだと思う。単細胞の小生は、納税のほかに、金を使えと、言っていると、曲解してしまった。金を奪われない、自己防衛をしよう。日々の暮らしに、窮窮しているので、余分なお金を使う余裕はない。余裕がないのだから、こんなブログはいらない。取り越し苦労もいいとこだ、と、またまたまたぁ、苦笑している。
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七十路徒然なるままに

2009年02月05日 19時45分26秒 | Weblog
国会の審議のニュ-スで、「詐欺ではないか」と、総理大臣に質問をしているのを見た。首相に対して使うのは、いかがなものかなぁ-と、考えてしまった。どこかの党のマニィフェストとかに、高速道路料金を、無料にする、とかがあるとゆう。莫大な建設費用の、支払いは、税金でするのだろう。高速道路を使わない人も、税の負担をするようになるのだろう。ことわざに「ただより高い物はない」とゆうのがあると思う。「ただ」を手放して、喜べないなぁ-。二十一世紀は「金を奪い合う時代」と言った人がいると、記憶をしている。奪われないように、防衛しよう。
無いのだから、考えることもないじゃないかと、自嘲をしている。
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