八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

古い計算機

2010年09月28日 17時16分45秒 | Weblog
骨董趣味ではない。電卓が使い始まったころ、知り合いのところから、もらってきたもの。説明書がないから、使えない。当時、足し算、引き算はそろばんが便利だった。高度の乗算、割り算には、これがおおいに役だったことだろう。今は携帯電話機でも、計算機能がついてる。ある時、この計算機を見た人が「懐かしいなあぁぁ」って。聞けば若い頃、外国航路の乗り組み員だったとか。白い服を着て、艦橋でこれを使っていたのをみて「かっこいいなあぁぁ」って、懐かしがっていた。計算機とはべつに、白い服。カァモオメェノスイヘイサァァン シロォイボゥシ シロォイシャッツ シロォイフク--」。この白い服も懐かしがっていた。海関係の高等専門学校時代に、白い服を着て実習訓練に励んでいたとか。今でも同窓会に、白い服を着用して来る人もあるとか。計算をするための、パソコンは、小生の所では、1986年に導入だから、もう24年前になるのか。今のパソコンの演算速度の速さには、導入当時の演算速度を思うと、隔世の感じがする。今も勿論、パソコンの恩恵を、ありがたく思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

午後まで暴風雨

2010年09月25日 19時00分14秒 | Weblog
先日22日はお月見だった。だが、曇天でお月さまは、雲隠れしていた。猛暑のあと急に冷たくなった。雨も降り続いた。今日は台風の影響で、雨風、午後には晴天になった。波立海岸は、ちょつと低いところは、波で打ち上げられた砂が、わだち状に道路にあった。むかぁ-し、同じところで、波が引いた瞬間に走り抜けたことがあった。普段は海を横目で見ながら走行する。夏は海水浴で賑わい。沖行く行く船が遠くにみえたりだ。太陽の光が、季節によって、波の輝きを変える。波打ち際に、かもめが羽を休めていることもある。今日は波が泡立ち、大波が幾重にも重なって、荒れていた。大潮とか干潮は、月の満ち欠けでおこる。近年、月の満ち欠けのリズムを、生活に取り入れている人もいるという。柔らかい月の光りでのんびりしたいともおもう。今夜の月は「立待月」という。立って待っていても月はは見えない。曇り夜空のようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ろうしょう ふじょう

2010年09月21日 11時53分09秒 | Weblog
新明解より。「人間の寿命がいつ尽きるかは老若にかかわりなく、老人が先に死に、若者が後から死ぬとは限らないこと」とある。徒然草を拾い読みしてると、「生。老。病。死の移り来る事」。「死はついでを待たず。死はまえよりしも来らず」。死は思いがけなくくる、とあった。昔は、人生五十年と云われたが、今は長寿になった。誕生日を境に、後期高齢者医療に、移行した。今は、病になれば、その苦痛を取り除いてもらえる。勿論負担する額も多い。個として生きているが、家族があり、仕事をしていれば、その関連に義務があり、その義務を背負っている。この歳になると、難しいことを、考えてもまとまらない。今、精神的には、肉体的には、物質的には、どんな苦痛があるのかと、自問している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小欲知足

2010年09月13日 13時06分06秒 | Weblog
新明解より。「多くの物を欲しがらず、少しの物で満足すること」。必然的にこんな状態で生きてきた。去年の選挙で、きれいなイメエージで、政権が変わったのだろう。刑が確定して、収監されるような、議員様が、国会のなんとか委員長とかを、取り仕切っていたと、報じられた。その議員様を、投票で選んだのだから、その地元には恩恵があったのだろか、どうなのか。「銭」が集まれば、潤うところもあるのだろう。前にも書いた、「銭あるときは、鬼をも使う」っとか。「銭なれば、木仏も面を返す」っとか。金の音がするほうには、顔が自然に向いていく、っとの、意味のようだ。世の中は「銭」「銭」。いくらきれい事を言ったって、「銭」がなけばしょうがないこと。「武士は食わねど、高楊子」なあぁぁんて、やせ我慢をしてみても、どんな「銭」でも、欲しいなあぁぁって、またまた自嘲をしいる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2010年09月07日 19時17分52秒 | Weblog
今日は雲の多い日だったが、残暑は厳しい。夜になって、ふうぅぅっと強く風が吹いてきた。アスハァルトの熱気を巻き上げている。明日8日は、旧暦で8月1日だ。二十四節気で、白露だ。七十二候では「いねがみのるころ」とある。仕事で移動する車のガラス越しに、黄金色に実った稲が見なれる。明日から台風の影響があるようだ。折角実った稲穂が、台風にやられないことを、願っている。別の話し。「選挙、選挙」っと報じられている。投票権がなければ、無関心でいればよい。誰かが、コップの中の争いに、なってはいけないと、言っていたように,記憶している。「絵に描いた餅」を、また、見ているようだ。政策を「画餅」といっても、それを実行すると、声高に言っている。すかすかの脳で考えたって、どうしょうもないって、またまただ。税金が、増えないことを、願っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む

2010年09月03日 17時56分21秒 | Weblog
「ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む ぎんぎんぎらぎら 日か沈む まっかっかっか 空の雲 みんなのお顔も まっかっか ぎんぎんぎらぎら 日が沈む」。二、三日前の夕方、ふと戸外を見たら、まっかっかだった。それっと、デジカメを手に、あれこれっと、シヤッタ-を押していたが、まっかっかぁは、撮れなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いっちはんかい

2010年09月03日 17時32分22秒 | Weblog
新明解より「少ししか分かっておらず、十分に理解していないこと」。党の代表の選挙が報じられている。前の政権も短命だったとゆうが、「政治とカネ」で短命になり、このあとはどうなるのか。「失われた十年」と言っていたのが、今はもう十年がプラスされていると、いわれている。この混迷の時代に、新たに、また十年が加わってしまうようだともいわれている。「カネ」とか、「基地」とか、昨年は「天皇」のこととか、六百数十人の訪問団が行ったとか。今、日本は「たたきのめされている」とか、「沈没」とかの文字で言い表わされているとかと、目に入ってくることがある。これから将来そんな方向に、日本はなっていくのか。しもじものアメエ-バ-には、分からないのが、当然と、またまた、四文字熟語を見ながら、自嘲している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする