「もぉぉいくぅつぅ寝ぇるとぉおしょおがぁつぅ」、早い早いと云っているうちに、新年になる。ちょつと早いが、年賀状に載せた。東西南北、四方を望むと、あたり一面春だ。と言う、意味のようだ。旧暦での、正月元旦は、二月十四日なので、これから寒くなるのだろう。年々、正月をうきうきした気分に、ならない。しかし、今日か明日、正月を迎える飾り付けをする。年末になってだが、誘いがあったので、仕事をサボって、ゴルフに行ってきた。すぐ近くのゴルフ場だが、二、三年行ってない。松の大木が、虫にやられたのか、切り倒されていた。見晴らしがよく広広としていた。スタート時刻まで、コーヒーと談笑していて、それっっと、ショットするのだから、スコア-はだめ。オリンピックも、合計6枚の負け。師走とは思えない、小春日和の中で、気分爽快だったと、例によって、負け惜しみを言っている。今年1年の閲覧に感謝致します。来る寅年も、拙い文ですが、「すみからすみまで、どうぞ、よろしくお願い申おぉし上げたてまつりまぁぁす。」
人間の生命のはかなさ、もろさを、日を受けてすぐに消え去る、朝露にたとえたもの=新明解より=。七十五年を振りかえると、やはり長い年月だ。戦前、戦中、終戦の記憶は、少しある。その後の貧しさは三十数年かなぁ。そして好景気、バブル経済、バブルがはじけて、景気は転げ落ち、不況が長く続いている。長い年月の、その時々で、生活環境の変化にほんろうされて、生きてきた。ちょぼちょぼ、ぼちぼちと生きてきた。今のところ、体はまあまあ健康。脳はすかすか。。下手な考え休むに似たり、とか。今を精一杯生きる、禅の言葉に「両忘」がある。あとは朝露、朝露と思い、老い道をとぼとぼと歩むことにしょう。四字熟語は、たいしたもんだなぁ、って。
何かの節目には、こうゆうことが起きるようだ。権力のある下に、集まるのが、世の常なのだろう。権力が、衰えるようになると、離れていく。事業は、大きくなれば、人を集めなければならない。縮小すれば、人を解雇しなければならない。事業していれば、事業主の判断で、当然のことだ。世の中を支配する権力者は、選挙によって、その力を集めるようだ。その力は、なにも恐れることなどないようになる。その権力者の時代の評価は、歴史がするだろう。現時点では、議員様の数が、評価をしているのだから、アメェバーがとやかく言ってもしょうがないことだ。別の話。事業者が、給与を支払い、源泉税を預かり、納付期限を過ぎてしまうと、横領罪になるという。親から、貰ったのか、借りたのか、知らない。なあぁーて、何か書面にして、提出するとか。「知らない」と、なにかの時に言ってみようかなぁ。「はい、これだけ、納めてください」で終わりだろう。
空一面に、帯状の無数の星が輝いて見える様子。と、新明解にある。今夜は闇夜。見上げれば、街路灯や運動場の照明なので、中天の星だけが、瞬いている。お月様は、二日月とかで見えない。昨日16日は、旧暦の11月1日だった。本格的な寒さになる目安と云われている。偶然なのかもしれないが、大雪で積雪のニユ-スを見る。月末28日頃は、年末の悪天とゆう、特異日がある。仕事で使う車は、冬用のタイヤにした。ちょつと雪道を走行してみたいと思う。今年もあと二週間で終わる。飾りものの、丑の置物と、寅の置物が同居している。旧正月は2月14日なので、寒さは始まったばかり。春の訪れは遅いのだろう。今、左右からの温風で、暖めている。時々、ヒユウゥ-と風がうなっている。さっき、台所をのぞいたら、真っ白なはんぺんが入って、大きな穴のちくわも入っての、「おでん」だって。
六十才にになると、人の言葉を素直に聞くことができるようになると、新明解にある。遠の昔に六十は過ぎたので、疑ったりしなくてもいいのだが、世界のどこかの国のように、独裁国家になったしまうのか、なあぁ-んて、すかすかの脳で考えてみてもしょうがないことだ。国の事を決める国会議員の数がものをいう。政党が、相拮抗していないのだから、いたしかたのないことだろう。そう云えば、議員数を、80人減らすとマニフェストにあったようだ。これからのことだろう。
たまーに「ばあちゃんご飯だよぉ」と、夕食を持っていくと「世話かけるねぇ」とか、「おれはいい、おれはいい」と、手で遠慮する。「これはばあちゃんの分、皆いぃなはあっちで食べるから」と云いきかす。機嫌の良い時は、フオ-クを使って口一杯に、頬ばる。「ゆっくり食べんだよぉ」と、声をかける。食べてる間、ずうっと目を閉じている時がある。「眠たいのげぇ」と聞くと、首を横に振る。「何か考えてぇんのげぇ」と聞くと、「いろいろ」とぽつり。泣きべそは、食事中ずうっとの時もある。口をへの字にして、こらえている様子、ポロリポロリと涙が頬をつたる。「ばあちゃん泣ぐさぁんなぁ、大丈夫だから」と、肩をトントンしてやると、堰を切ったように、泣き出してしまう。自分のふがいなさを悔やんでいるようだ。マヒの残る左手を、右手で動かすリハビリをしている時もある。「おいしいがったげぇ、器、下げっかんねぇ」と云うと、「ごっつぉさん」と。九十五歳、もうすぐ、歳女になる。
先月末の日曜日、体協のコンペに参加した。若いプレ-ヤ-に混じってなので、ちょつと気後れがした。レギュラ-ティからの、スタ-トホ-ルのティショットは、フェヤウエ-ど真中に飛んでいった。OUTはボギ-ペ-ス。昼食後のINも、七番ホ-ルまでは、ボ-ギ-ペ-ス、これはと思っての、八番ホ-ルは、一打目がOB、特設テイからもOBをして、がっくりしてしまった。それでもロングホ-ルをパ-であがったり、ショ-トホ-ルではバァディをはずしたり、グリ-ン周りのバンカ-からピンそばに、打ち出せたり、まずまず楽しんでプレ-をした。日頃の運動不足が解消できたと思う。「林間紅葉」は既に終わり、色あせた木々が初冬の風情だ。「林間紅葉」の本来の意味は、落ち葉を燃やし、酒を温めて秋を楽しむ、と云う。今は落ち葉焚きはできない。焼き芋をすることもできないし、酒を温めて呑むなどの、風流もできない。夜になって冬の冷たさが頬に感じる。熱燗で、一杯といきたいところだ。