八十路徒然なるままに

昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなん この命なにをあくせく 明日をのみ思ひわずらう 島崎藤村詩より

二年ぶりにS君の顔をテレビで見た。

2011年11月28日 14時43分08秒 | Weblog
27日の夕方の、テレビの番組で、中学生時代の同級生が、出ていた。地震の時の被害の減少に役にたつ、免震テ-ブルの作成に携わったという、番組だった。横浜の等々力で、町工場の技術屋が、一人一人の技術を結集して、日本で初めて、作り上げたという。免震テ-ブルを作り上げる苦労は、今で言う「絆」なのだろう。今後、免震テ-ブルの用途は、美術品の展示や、仏像の展示など、図書館の本棚など、地震の揺れで、破壊を防ぐのに、有効だとか。画像は「長周期振動」でも、びくともしない本棚だ。町工場の一角で、五人で、乾杯している映像は、晴れやかに思える。まずは、健康に留意して、活躍を、祈念している。
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勤労感謝の日。幣束祭

2011年11月23日 20時55分28秒 | Weblog
日々の暮らしに、感謝をする日。神社から、幣束を受けて、神棚、屋敷神、台所、玄関、井戸、便所に飾って、お祀りをする行事。白いのは、本幣と片幣があり、赤幣、青幣があって、それぞれに飾り場所に、決まりがある。どうゆういわれがあるのかは知らない。親がやっていたのを、続けている。神社からの説明書に、「五穀豊穣」「日々の守護に、報恩感謝し、家庭の安全、幸福をお祈りする行事」とある。先祖からの習わしとゆうので、生家で代々やっていた。以前は「新嘗祭」「神嘗祭」だったのが、戦後になって、「勤労感謝の日」という名称になったという。今でも、神社、宮中では、この呼び名で、とり行われている。毎朝、神棚には、米と塩、水を供えているが、惰性で、ちょんちょんとやっているだけ。親に「忘れねぇで、やれよおぉ」って、言われていた。ご飯をいただける、水を使わしていただける、火を使わしていただける、トイレを使わしていただける、日々の暮らしに、あらためて感謝する日なのだろう。今日は、カレンダーに、「小雪」とある。落葉が終わりになり、冬もこれから、一か月後には、冬至になる。ことわざに「冬至冬中冬初め」がある。暦では冬至は冬の真中、実際は冬の初めと云う意味だそうだ。しかし、今年は、寒さの訪れは早いと思う。今年は家屋に、地震の被害が少しあったりで、なんとなく、余計に、うら寂しく思う。
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導入当時の、ソフト。マイツ-ル=自分の道具。

2011年11月21日 20時15分54秒 | Weblog
昔話しのついでに。画像は25年ほど前に、パソコンを使いはじめた当時の、三枚一組のFDDタイプのソフト。当時は、オフコンが全盛で「ソフトがなければ、ただの箱」、今もそうかもしれない。当時、あれこれと、物色していたところ、いとこに「これは使えるようだ」と、居合わせた、リコ-のセ-ルスに、出会った。従兄弟はその時すでに、オフコンを使っていて、自社専用に、ソフトを開発をしていた。従兄弟が言うのだから、間違いはない。早速、導入をした。高額、プリンタ-を含めて、一口に100万円くらいしたと思う。電源を入れ、システムFDDを入れ、辞書のFDDを入れ替え、プログラムFDDを入れ替えて、仕事が始められた。この面倒な手順は、すぐに、ハ-ドデイスクを導入して、解消した。先日、最新鋭の機種を入れて、ワ-ド、エクセルを学び、これからの仕事の役に立たせようとした。よく考えてみたら、自分の道具にするには、時が経ってしまう。導入当時の、「マイ.ツ-ル」と言うソフトの、歌い文句は、「経営の道具」「ビジュアルマネジメント」「情報の仕掛け人」「右脳の活用」「全脳思考のパソコン」「顧客の創造」「ビジュアルな経営」「トレンドで先見力を養う」「経営力のアップ」と、言っていた。今やっている仕事は、ぽちょぽちょだが、歌い文句は、役にたっている。最新鋭の機器に、この歌い文句のソフトニ種を、インスト-ルをした。ワ-ド、エクセルを使いこなせて、歌い文句の、仕事が出来るまでは、小生の老化した脳では、とってもとっても、出来ないと、今、気がついた。外付けの、FDDドライブは、生産中止になっていて、FDDも、販売されていない。手持ちしているもので、新鋭の機器に、対応をすることにした。ざっと、デ-タ-の入っているFDDで、50枚を移し替えする。ハ-ドデイスクを拡張してあるので、移し変えは、もっとふえる。まだ、「マイ.ツ-ル」は、死んではいない。ことわざに「人と入れ物とは有り合い」って言うのがあるようだ。要するに、その場に有るものを使えば、何とか用がたりるものだ、と、いうことなのだろう。
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湯の岳の霊泉

2011年11月18日 13時14分33秒 | Weblog
前回に続いての昔話し。観音さまのお告げで、発見されたという、常磐湯本温泉のこと。むかぁ-し、合戸という里に、父親と一人娘が住んでいたそうだ。父親は、狩りをしていて、一頭のイノシシを、三箱山の谷まで、追い詰めたそうだ。イノシシは、牙をむきだし、父親を襲い噛み殺したそうだ。一人娘は、父親の帰りを待っていたが、獣に殺されたと思い、獣を討とうと、三箱山に入った。一人娘は、疲れて寝こみ、その夢まくらに、観音さまが立っていて、「感心じゃなあ、獣は、西の方の松の木の下に潜んでいる」と、告げたとか。お告げのあった松の木の下を、手槍で一突きして、イノシシをしとめたそうだ。イノシシの血が、一人娘の手足につき、ひどく腫れてしまい、動けなくなってしまったそうだ。一人娘は、観音さまに祈ると、「南東に行ったところに、湯がでている。その湯を浴びよ」とお告げがあったそうだ。一人娘は、体を湯にひたして、元気になり元の体になったとか。この山の名を、「三箱山-さはこやま」と、呼ばれていたが、湯泉が涌き出た山と、いわれることで、「湯の岳」と呼ばれるようになったとか。「三箱山」は、山頂に箱の形をした石が、三つあったそうだ。一個が転がり落ちて、湯口になったとか。山裾の二つのお寺には、「湯の岳観音」と、「十一面観音立像」が、安置されているとある。湯の岳の南中腹には、観音堂の跡地が、残っている、著している。
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ツルの傷 きれいに治った 佐波古の湯

2011年11月16日 19時49分18秒 | Weblog
断層が動くと地震が起きるとか。4月の大きな余震の時は、湯の岳断層が動いたようだ。断層があるところ、温泉が湧きでるという。常磐湯本温泉の発祥の、昔話しにある。大昔、近江の国から、若い男女の旅人が、巡り歩いて、たどり着き、林の中で休んでいると、鶴が舞いおりた。ぽこぽこ涌き出るお湯に、矢に打たれて、傷ついた脚を、ひたしていたそうだ。若い旅人が、湯を手ですくい、脚にかけてやり、いたわったそうだ。やがて脚の傷も治り、飛びたったそうだ。若い旅人は、不思議なお湯をながめながら、野宿をしていたそうだ。あるとき、女のひとが、稲とアワの種を手渡し、この地は、肥えているので、豊作になると、神のお告げをして、立ち去ったそうだ。林を切り開き、田畑を作り、穀物も豊作になり、人々も集まり、不思議なお湯で、疲れを癒し、怪我も治して、働いたそうだ。二人の男女は、子ができ、孫ができ、人々が賑やかに、生き生きと働き、住みよい里になったとか。その、お湯を「つるの湯」と言ったそうだ。鶴が女の人になりかわり、お礼に現れたそうだ。つるの湯の発祥の地は「三函 さはこ」にあったそうだ。鶴の脚を治した、不思議なお湯と、伝えられているそうだ。鴨志田義康著より、引用しました。絵は、鈴木菜穂子です。スパリゾート ハワイヤンズも、常磐湯本温泉も、震災のあと、復興を急いで、たくさんの人が訪れるのを、歓迎しているそうです。
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腕時計

2011年11月14日 10時14分56秒 | Weblog
画像は小生が使っている腕時計で、はるか昔、四十年も前かの、ゼンマイ式手巻きのもの。故障して、ほったらかしにしておいたもの、昨年、街の時計屋さんが引退したのを聞いて、修理を人伝に頼み、手巻きする心棒が一箇所が腐食していただけだった。修理が終わり、あと十年は大丈夫とのことだ。四、五年前にちょっと、時刻が遅れたり、止まってしまつたりしていた。その都度、電池式のものを買って、七、八個溜まってしまってしまった。電池を交換すれば、よかったのだが、出先で止まったりしたので、その都度代品を買ってしまつた。九月の始めころの、拙いブログに、運転免許証更新のことを載せて。自動車学校に行った時、受け付けしたり、説明をうけたり、注意事項の説明を受けたりしていた時、「はい、はい、はい」って、聞いているとき、この腕時計のゼンマイを、じぃこじぃこじぃこって音を立て巻いていたら、不思議そうに見ていた。「おもちゃの時計だよぉ」って、からかった。若い女性の方だったので、もの珍しかったと思う。手巻きでも、日付けは表示される。時刻を見るのには、なんら差し障りはない。電池が不用なので、微々たるものだが、お金の節約にもなる。普段はほったらかしにしておきけばいい。今の時代は、デジタル。デジタルでなくても、使えるものがある。アナログ的な自分に、合っているのかもしれない。
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おやっと思った瞬間

2011年11月08日 19時36分45秒 | Weblog
何の変哲もない、画像。バイパス、サンシャインロードの交差点、前方は、上り下りで4車線、右折ラインがあって、行き交う車が多いのだが、たまたま、一番前に停車して、行き交う車がないので、やおらデジカメを出して撮影した。左折して、街中に下りる。左折するのに、いつも一回の信号待ちをしている。ちょっと、拍子抜けした、不思議な瞬間だった。別の話し。今日は立冬。小林弦彦著の「旧暦はくらしの羅針盤」の、「歴史的出来事」の、11月をみると、安政東海大地震、元禄大地震、富士山大噴火が起こっている。10月には宝永の大地震が起こったとある。年代は、それぞれ別の年代なので、たまたま、同じ月になったのだろう。しかし、発生の年代は、旧暦なので真冬の期間だと思う。大気の圧力が何か影響があるのかも。スカスカの脳では、知る由もない。地震は今日も、夜明け前にも、夕闇がせまってきた頃にも、当地方でぐらっぐらっって。気象庁の発表では、3時30分頃と、4時過ぎにと、17時35分頃にも、三陸沖でM4.7が発生したとある。昼前には、沖縄の方で、M6.8というのが、発生している。ぐらぐらぐらが、大きくならないように、念じているしかない。

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昔お世話になったお医者さんの続き

2011年11月05日 19時54分04秒 | Weblog
前回に続いて。先生は、その日は長い時間を、患者の枕もとを離れず、点滴の入る量を見ていた。後で分かったことだが、患者の目尻のしわで、判断をするという。患者が落ち着いてきたのだが、点滴は一晩中続けることになった。先生は、1本づつ、点滴を一分間に落とす回数を指示して、帰った。結局、暮れの大晦日、そして正月三が日、往診をして、点滴を続けたのだった。正月があけ、入院をさせた。その間に、回復は無理と思うと言われたのを、記憶している。入院をさせたが、十か月の間、意思の反応はなく、床ずれもひどく、回復のあてもない、辛い入院しての治療だった。三十年も前のことだった。今、義母が在宅で、介護をしてもらっている。四年前になるかなぁ、脳梗塞の症状なのか、立つことが出来なくなり、ろれつが周らなくなり、よだれがだらだらと流れ、急ぎ脳外科の看板のある医院へつれて行ったが、新規の患者はお断りとのことで、車から下ろすことも出来なかった。新患お断りも、脳梗塞は、入院治療となるのだろうから、入院の設備がなければ、患者を受け入れることは出来ないのだなぁっと、あとで理解した。結局、義母の内科のかかりつけのお医者さんへ行き、紹介状を書いてもらって、入院ができた。今の時代は、そうゆう仕組みになっていると、理解しなけれはならないのだろう。画像とは関係のないことを書いた。秋の夕暮れは、ちょつと、物淋しく感じる。
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昔世話になった、お医者さん

2011年11月03日 17時23分01秒 | Weblog
画像とは別の話。いつも定期に診察をしていただいている医院に行った。受付を終え、秋の夕暮れの陽射しが、長く影をおとして、待合室の椅子を照らしていた。ぼんやりと、待合室のテレビを、眺めていた。後からきた人が先に呼ばれ、また、次の人が診察室に入っていつた。やっと呼ばれて、診察室に入ったら、医院を子息が引き継ぎ、引退したと思っていた、先生がにこにこ顔で、「やあぁ、しばらく、元気だったがあぁ」って。「俺も、七十七になったぁ」って、言うので、「先生は若返ってください」って答えた。一通りの診察が終わり、インフルエンザの予防接種になり、「痛くねぇのは、ここだったっけぇがぁ」って、チクリともしないうちに終わった。この先生には、三十年も前に、大変お世話になった。義父が、年の暮れが押し詰まった、二十九日に、具合が悪くなった。掛かり付けのお医者さんが、留守になって、往診をしてもらえなくなり、どうしたものかと、思案をしていた。近所の人に尋ねたら、「もしかして、往診を引き受けてくれるかも」と。電話をしてみたら、快く往診をしてもらった。「脱水症状があり、尿も出ていない」。病院は、ご用納めをしてしまっている。点滴の器材と、道尿の器具を、持ってくるよう、指示した。その器具類を、持ってきたのが、当時中学生だった子息だったと思う。かいがいしく手伝い、一段落をしてから、店やものを用意した夕飯を、「ご馳走になって、帰りなさい」と。年の暮れ、それも夜の七時をまわり、暗闇のなか、自転車で戻った。今の時代は、救急医療が、整っているので、こんなことはありえない。
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