八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

菜根ー6

2016年11月27日 20時13分06秒 | Weblog
菜根譚で、老い道のしるべをみている。生きていることへの、感謝が、一番のようだ。画像の銀杏は、閼伽井嶽薬師、常福寺から、いただいた。拾い集め、匂いが強い果肉を洗い流し、乾燥する。その苦労は、手数が多くて大変なことだ。写経前の法話は、初耳の「加持」。仏様の力を、お札に写し替えることだ。拝受するお札は、祈祷の炎にかざすことによって、仏様の力が、加えられ、その力は、一年も続くという。病気や災難から、逃れられることが、願望だ。病気や事故は、十分に注意すること。現世は、想定外の災難がある。一番の気がかりは、原発のこと。このまま、収束を願っている。
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勤労感謝の日

2016年11月23日 20時22分35秒 | Weblog
今日は、幣束を飾って、居住をしている家に、感謝をした。神社から、幣束を受けておいた。幣束には、本幣と片幣があり、白色と赤色と青色がある。日常使っている台所やトイレに、勿論、神棚と玄関、勝手口、別の所にある、猫のひたいほどの土地の、井戸、氏神様に飾った。神棚と氏神様と井戸には、赤飯を供えた。幣束の初穂料が1600円、赤飯が400円。計2000円で、感謝の意を表した。ずぅーと前は、稲の実りに感謝する日だったとか。毎日の食事のご飯には、「いただきます」と、礼を言うべきなのだろうが、もそもそもそと、食べはじめてしまう。その罪滅ぼしのつもりでもいる。まぁ、何ごとにも、感謝の念を、すべきだろう。
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大丈夫だっぺぇ

2016年11月22日 20時40分38秒 | Weblog
地震の時に、原発のことか、必ず頭によぎる。現状は大丈夫という。廃炉にむけて作業が進んでいるという。これには、莫大の費用がかかるという。賠償の費用も莫大だという。国の資本が投入されているようだ。今後、利益を生み出して、返済するようだ。一社での、寡占の時代は、終わったのかも。画像は、NHKのテレビより。
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菜根ー5

2016年11月22日 20時28分40秒 | Weblog
菜根は、粗食という意味もある。毎日、三食は、食べている。以前と違って、体は動かしていない。毎食の量は、少しでいい。粗食は、体重の減量にもいいようだ。消化器の機能は、衰えている。内臓に、負担のかからない、食生活がいいようだ。量より質と思えば、これまた、お金が飛んでいく。まあ、ほどぼどにかぁと、解釈している。
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忘れた頃に

2016年11月22日 20時14分05秒 | Weblog
ちょっと肝を冷やした。東日本大震災の時は、本震が14時46分に、M9.0が発生した。余震は、15時08分に、M7.4が、15時15分に、M7.6が、15時25分に、M7.5が、立て続けに発生をした。震源の断層の大きさは、長さが約450km、幅は約200kmという。この大地震の余震なのだと、報じている。ひずみというのは、あちこちにある断層が、動くのかもしれないと言っている。くわばらくわばらだが、地が静まるのを願っている。
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菜根ー4

2016年11月20日 20時45分40秒 | Weblog
前掲の続き。守屋洋著の「菜根譚」で、人生の終わりを、とんな風に思うのか。「まあまあの人生であったか」と、自分で自分を納得させることだとある。人生の終わりは、必ずある。しかし、それがいつなのかは、分からない。その時までは、「こころ豊かに生きる」ことだという。そのためには、「ゆったりと過ごせる時間をもちたいものだ」とある。この歳になると、時間はある。でも、あたふたとしている。もうひとつは、「自然に親しむ一時を持ちたいものだ」とある。月に一度、深山幽谷のお寺に、写経に行っている。参拝のついでに、季節の巡りを、愛でている。写経が終わって、お茶をいただく。女性の方々の、話し声を聴くのも楽しい。拙く書いているが、結構と、楽しんでいる。写経会の始めに、唱える經文も、ようやく声を出して、唱えるようになった。毎回の法話も、ありがたく、拝聴している。これらも、「心豊かに生きる」を実践している。
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菜根ー3

2016年11月20日 20時24分19秒 | Weblog
前掲の続き。老い道を行くのには、何ごとも、「ほどほどに」という。楽しむことも、食べることも、「ほどほどに」で、暮らすことだとある.楽しいなぁということは、一時だ。毎日毎日、楽しいなぁであれば、いいとは思う。しかし、楽あれば苦ありで、やはり「ほどほどに」なのだろう。拙いブログを書くのも、楽しみのひとつだが、毎回、支離滅裂ばかりなので、ご覧くださっている皆様方は、はた迷惑だろうと、思っている。もうひとつは、月に一度、ゴルフに行きたい。まぁ、弟に誘ってくれるよう、電話することにしよう。ひとりよがっての、楽しみは、拙いブログを、ジャンル別して、小冊子を作るのもいいかなぁと、考えている。今年初めに作った、写経会の「おりおりに」は、写経会の方々と、町内の老人会会員にと、六十年まえの級友、十数人に送った。今年の写経会は終わったので、十数ページになるが、作成することにする。これも楽しみの一つになる。
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菜根ー2

2016年11月16日 19時53分18秒 | Weblog
前掲は「有生のたのしみ」で、今回は、「迷惑をかけない」ことだという。車の事故で、まずは、家族にたいしてだ。テレビのニュースで、高齢者の車での事故を報じている。車で走行時は、前方注視でいる。追い越し車線からの、割り込みには、注意だ。一番危険なのは、交差点での、割り込みだ。予防運転の意味で、交差点に差し掛かるときは、意識をして、ブレーキペタルに足を当てている。もう一つは、自分の健康のこと。これは、まずまず心配はない。でも、いつ不健康になるかもしれない。定期に受診しているお医者さんは、「おいしく、食べられてますかぁ」と、いつも問診がある。事故と、不健康の二つは、家族に迷惑を掛けないことを、肝に銘じている。きゅうりは、夏という旬が終わった。でも、一年中食べられる。
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菜根―1

2016年11月16日 19時20分51秒 | Weblog
大分前から書棚にある、「菜根譚」を、ぺらぺらとめくってみた。「まえがき」を読むと、直訳は、葉っぱの根っこのことだが、「菜根」は、粗末な食事のことで、貧しい生活に耐えて、成長することとある。今は、成長は止まり、古木に向かっている。古木に向かうこの歳になると、良い悪いは、別にして、これから先をどのように生きるのかになる。八十一年生きてきた後を振り返ると、まあまあかなぁと思う。「わが人生に悔いなし」とは言えない。「守屋 洋 著」の菜根譚によれば、老境は、「こころ豊かに生きる」とある。まずは、「有生の楽しみ」。生きることの楽しみとある。楽しめることを、二つほどあれは、充実感がある日々を送られるようだ。画像は、使い忘れた「にんにく」。春の終わりのものは、みずみずしく、旨いなぁだ。
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夏井川渓谷

2016年11月11日 21時05分37秒 | Weblog
今月はじめころのカシャッとした。景勝地、夏井川渓谷の、籠場の滝の上流。少しもやっていて、不鮮だった。画像のすぐ下流は、籠場の滝がある。紅葉見物の人が多く、車は、この場所に止めた。その昔ぁーし、滝は、水量が多く、高さもあるので、魚はのぼせれないとか。滝ツボには、魚がうようよいて、籠を投げ入れて、魚を取ったので、籠場の滝と呼ばれたとか。また、平の殿様が、籠を止めて、四季おりおりの景色を、楽しんだとかで、籠場の滝と、いわれたとか。夏井川渓谷沿いは、徒歩での、景勝を楽しむのが、一番なのだろう。夏井川渓谷の支流には、「背戸峨廊」という景勝地もある。
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路傍の花

2016年11月11日 20時47分06秒 | Weblog
昨日から、雨降り。夕方になっても、霧雨だった。この時期、一雨ごとに、寒くなるのだろう。画像は、今月はじめ頃、前掲げの、山門の前の、道端に咲いていた。我が家の仏壇には、一年中、白色と黄色の菊の花が、供えられている。路傍の菊は、色鮮やかなので、カシャッとした。「野菊の墓」という文学の名作かあったなあと、思いだした。なんか、純愛を描いたものと、記憶している。いつも見ている、白色と黄色の菊とは違った、思い出しだった。
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秋天一碧

2016年11月07日 20時37分59秒 | Weblog
「秋天一碧」-しゅうてんいっぺきー。ただ青一色の、雲一つない秋空のさま。小春日和のいい天気だった。北国の方では、雪が積もると報じている。冬は駆け足でくるようだ。車のタイヤーも、早めに冬用にしなくては、ならないようだ。画像の南天の実も赤い。なんてんは、「難を転じる」とか、縁起のいい、庭木なのかも。
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今日は立冬

2016年11月07日 20時26分10秒 | Weblog
早いものは、落葉している。木枯らしが吹けば、枯葉が舞うようだ。テレビでは、霜に注意と、報じている。「露往霜来」-ろおうそうらいー。露が降りる、秋の季節が去って、霜の降りる冬の季節が到来する意。日月が、早い早いと、思いながらすごしている。
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山門の続き

2016年11月07日 20時19分59秒 | Weblog
画像は、コンパクト一眼カメラのモニターだ。前掲と同じの、山門なのだか、風情があるように思える。まだまだ、使いこなせていない。習うより慣れろで、持ち歩いている。
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山門

2016年11月07日 19時42分40秒 | Weblog
山間部にあった、臨済宗のお寺の山門。山門の近くの知り合い宅で、お茶をご馳走になっていたら、和尚さんがきた。「臨済宗なのですねぇ」と聞くと、ずうーっと昔は、武士のかかわりがあったとか。葬儀の時の、読経が終わり、「くわっ」と、大声で、死者を送るという。死者と生者とが、互いに、現世の未練を断ちきるという、儀式だと話していた。この「くわっ」は、臨済宗の特徴だと言っていた。以前に一度、葬儀に参列をした時に、聞いた。びっくりしたものだった。臨済宗が、武士とのかかわりがあったのも、「くわっ」っというのを聞いて、そうなのだなぁと。画像とは、関係がないが、同じいわき市だが、この地区は、原発事故の影響で、放射線量が多いので、そこの土を剥ぎ、その汚染土の運び出しに、静かな山間を、大型車が行き交いをしていた。
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