八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

しぃぃずぅかぁなぁしぃずかなぁぁさぁぁとぉのぉあぁきぃぃ

2010年10月25日 21時33分32秒 | Weblog
歌の文句にある状景は、街の中では感じられない。車で走行している時に、遠くの山野を眺めて感じている。たまぁぁに夜空を見上げげて、お月様を見る。中秋の名月があって、今月は、栗名月だった。先日ちらっと輝きを見た。菊の花も、今が旬なのだろう。雑草の中で、花がひらいた。普段は無信心なのでが、たまぁあに、仏壇を見ると、いつも白と黄色の菊の花が供わっている。買ってくる花よりは、見劣りがするが、野外での菊の花が、季節をめでられる。カレンダ-に、霜降とある。七十二候でも、落ち葉の季節とある。朝晩、寒さを感じるのは、ふところが寒いだけでは、なさそうだ。昼間ちょつと、太陽の陽射しがあったが、夜になって、雨音が激しく、屋根を打っている。
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天気晴朗なれど波高し

2010年10月19日 21時08分04秒 | Weblog
ちょつと古いなあぁ。何んか入ってきた船を捕らえて、解き放つったら、関係のないところで、国旗を破いたり、焼き棄てたり、店舗が壊されたりと、ニユ-スで見る。なんなんだっぺぇと考えたって解らない。まぁぁ、解らないのが当たり前っと、またまた自嘲をしている。それよりも、猫に入りこめられたりで、難儀をしたっけ。暑いさなかに、戸を開けていたすきに居座られた。棒で殴りかかっても、さあぁっと、かわされてしまったり、ジェツトの殺虫剤を噴射してふりかけ、ようやく追い出したら、どこかの隅に入られたりと、はぐらかされてしまった。猫に入られないよう、油断も隙も無いよう、戸をがっちりと閉めることにしている。「静」はいいと思って、思っているが、そうはいかない現実がある。下衆は下衆の、日常のことがいろいろとある。
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枯木の心

2010年10月13日 19時48分23秒 | Weblog
こぼくのこころ、正眼眼蔵。室井玄しょう著より引用。「枯れ木に葉がないのと同じく、妄想がなく、とらわれない心をこう呼ぶ。よけいな枝葉をとって、楽になりましょう」とある。物思う秋になって、なにか、かにかと下手な思いをしている。まあ、シンプルに生きていればよいのだろう。たまあぁ-に、ペラペラっとめくっている「徒然草」に、「命長ければ辱多し。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」とある。勿論、その前後は、意味深いことばかりが、著されている。すかすかの脳味噌では、理解出来ないのが当然と。百回も繰り返し読めば、ちょつとは解るべえぇつと自嘲している。後期高齢者になっても、あれもしなければ、これもしなければと、日々の生活に追われている。「遊んでいる日は暮れるに早い」って。「秋の日は釣瓶落とし」って。時間のたつのが早く感じるのは、この事ばかりではないようだ。秋の夜長に、ちっとは、ぼおぉぉっとしてみたいと、思うこのごろでもある。
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天高く馬肥ゆる秋

2010年10月04日 13時29分29秒 | Weblog
今の時代、馬は見られない。競馬場ならば見られるか。これからのお天気は、ひと雨ごとに、木々の葉が色ずき、日の暮れるのが早くなってきている。急に秋が深まると、感じる頃になる。当地方の日中の最高気温の平年値は、上旬で22.5度、下旬では19.7度のようだ。寒暖の差が大きい月でもある。中秋の名月は見られなかったが、今月の栗名月をみたいものだ。先日の青空はまさしく「天高く--」だった。歴史上の「関ケ原の戦い」は、新暦では今月二十三日だ。その時は前夜からの雨で、視界不良だった、硝煙立ちこめていたと、ちょろっと読んだ。晩秋の冷たい雨だったのか。七十二候では「むしたちがつちにもぐる」から「みずがはじめてかれる」と、稲刈りの季節だ。秋のお天気は女心とか、男心とかに例えられるほど変わり変わりやすいのか。来月は「小春日和」の穏やかな陽気になるのを、期待している。
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