八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

七十路徒然なるままに

2009年07月28日 18時01分52秒 | Weblog
昨日から今日と、伯母の一連の葬儀式が終わり、法要があった。和尚さんが「大きな輪[りん]を打つから、音が聞こえなくなるまで、半眼で、冥福を祈るように」と。読経中のざわつきが、静まり、残響が少しずつ、少しずつ小さく、最後はかすかに聞こえて終わった。ちょつとの間だろうが「無」になり、心が静まるだろうと。日常、仏壇の「輪」を打ち、手を合わせる。このことが、すべての事象に感謝する。この気持ちに、導かれる、という。俗人の小生には、痛い一言と身にしみた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国会が解散になった

2009年07月24日 21時30分57秒 | Weblog
選挙運動のための、広告が見られる。「もろもろを変える」と主張するところもあれば、将来的に安定をと、主張するところもある。変えるとゆうことは、歓迎することもあれば、負担が増すことになることかもしれない。世の中は、繁栄と衰退の繰り返しの連続なのだろう。変革は、一度「ごちゃ、ごちゃ」になって、その後安定するのだろうが、その時間の間は、大丈夫なのだろうか。費用もかかるのだろう。その費用は税によって、まかなうのだろう。新聞で、支持を得るための、広告を見る。もろもろを変えるゆうのは、雲をつかむようなことなのかもと、考えてみた。方や、現行している事柄について、野党との意見や主張の違いを、改めて見せられた。事の由悪しともかく、判断の基にはなる。諸々を考えてみたが、「がらっ、がらっ、からっ」って、世の中が変わって大丈夫なのか。単細胞的生物の脳では、青息、吐息するだけだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国会が解散になった

2009年07月21日 20時41分13秒 | Weblog
国会が解散になった。現政権には、いろいろと批判があったと思うが、事の善悪は別にして、世の中を落ち着かせたと感じる。現在の政府の施策に「ああだ」「こうだ」と反対するのが、野党なのだ思う。「皆さんとともに、世の中を変えようではありませんか」などとゆう、街頭演説をニユ-ス見る。「あちら立てればこちら立たず」が世の常だといわれている。「変わる」とゆうことは「どう変わるのか」単細胞の脳の小生は分からない。例えば「高速道路の料金無料化」をとなえているが
「すぐになるのか」一年後なのか、二年後になるのか。財源や雇用のこともあるので、「鵜飲み」にはできないと思う。税の負担は仕方ないとしても、「変わる」とゆうのを、自分の良いほうに解釈をして、「税」の負担が軽くなるかもなあぁぁんて、思ってもいる。既に後期高齢者になって、ゴルフ場の利用税の軽減措置の恩恵を受けている。一方、別口の方の税は、増税になったり、新たに課税があったりしている。税の負担の、プラス、マイナスを実感している。あと一カ月後、どんな選挙の結果になるのか。変革がころころ変わっては、まずいと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国会について

2009年07月13日 20時20分47秒 | Weblog
「ああだ」「こうだ」と言っているうちに、国会議員の総選挙になるようだ。「政権政党が変われば、世の中が変わる」と、目にしたり、耳にしたりしている。現況から「変わる」とゆうのだから、庶民の暮らしが、良くなるのか、悪くなるのか。直接には、良く変わるのが「減税」、悪く変わるのは「増税」なのか。そう云えば、高速道路の料金が「ただ」にすると、言っていた政党があったなぁ。「そうなのけぇ」と、疑がってみてたが、政権政党になるかもと、現実味あるような情勢になっているようだ。「いがったなあ」っと思うが、昔あーしから「ただ」より高いものはないといわれている。誰かがどこかで、得をしたとおもえば、誰かがどこかで損をするのが、世の常だと思う。大きい「絵に描いた餅」も、だんだん小さくなつてくるのかもしれない。絵に描いた餅を、ながめていてもしょうがないなぁと思う。小生の単細胞の脳みそでは、こんなことしか考えられないのかぁと、自嘲している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月いちゴルハァ

2009年07月06日 21時07分47秒 | Weblog
昨日、体協のコンペにでた。あたり一面、緑緑で目に鮮やかだ。久し振りにキャディさんがついた。クラブの選択も楽だし、ボールの落下地点の確認も楽だ。右や左と打ち込むボールに苦労したようだ。広いフェヤウエーを大きく使うんだなぁぁんて云ってね。先月の同期会のコンペは、シルバーティを使った。やはり打ちやすいように感じる。今回は、OBが二回、4パットが一回。パーがあったり、惜しいボギーがあったりで、面白い。多たたきのダブルパーは「シャンメェーナァー」でくよくよしない。6インチ移動できる救済措置は、3回使った。ラフにあるボールを、ウッドを使うようでは、欲張りすぎたと後で悔やんでいる。同伴プレイャーに「本気で怒ったなあー」なぁぁんていわれると、ショツトに胸をはる爽快感がある。スコアなぁんか、二の次だ、これがいいんだと云うのは、負け惜しみですがねぇ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暦について

2009年07月04日 00時34分56秒 | Weblog
以前に法要に招かれたときのこと。二年前にも、句をちょつとブログをしたっけ。読経まで間があったので、池のほとりを眺めていた時の事。同じことを書くのは、歳のせいばかりではないなぁと。別の話。あと18日もすると、旧暦の六月一日だ。梅雨明けになる。六月の異名は、水無月だ。猛暑になるのかなぁ。季節の訪れを考えるときは、旧暦を見る。旧暦は4000年も前から、使われている。今の世の中は、あらゆる情報が手に入る。演算速度もああっとゆうまだ。精度も高い。お月さまの満ち欠けをみて、仕事をしている人もいる。ちょつとさきの、お月見さまは、10月30日が十三夜さまだ。去年は十月の十一日だった。このことをみても、秋の訪れは遅いのかなぁと思う。「温故知新」とゆうこともある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする