八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

あんかんてんせい

2010年07月29日 20時49分26秒 | Weblog
アメエバ-的に生きているものが、言ってもしょうがない。事業仕分けでお金が出てくるのかと、思っていたがそうでもないらしい。テロ対策とゆう看板が、あちこちで見られるが、ほかの国での元死刑囚が、日本に来た。この費用は、税金によってまかなわれたのだろう。予算の削減と、声高く報じられている。議員様方々の数はどうなのか。前の選挙のマニフェストに議員の数の削減と、言ていたように記憶するが。民意によって選ばれた議員様が、施作をするのは、わかっている。とやかく言っても、スカスカの脳みそでは、しょうがない。画像のように「無欲で心騒ぐことなく、ゆったりと過ごす」。これでいいのだ。自分ができればね。欲。今は食欲しかない。いやはや、またまた、支離滅裂だと、自嘲をしている。
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死んじゃうよおぉ。

2010年07月25日 21時09分27秒 | Weblog
たまあぁにペットから、人恋しくて呼んでいる。ある夕ご飯の時、義母とちょつとおしゃべりをした。月に一度、往診をしていただいている先生が、入院をして今月は往診をしていただけなかった。そのことが頭にあったのか、「先生入院しちやっては、しょうがねえぇなあぁぁ」。「お医者さんなのになんだっぺぇぇなあぁぁ」。「なんの病気なんだっぺえぇぇなあぁぁ」。「お見舞いやったのがあぁぁ」。「八十になったのがあぁなあぁぁ。まだ若げえぇのになあぁぁ」。「おれは、96だあぁ、7、8、9、100だあぁぁ」。「4年ちゅうのは大変だなあぁぁ」。「4年ぇぇん生きられんのがあぁぁなあぁぁ」。「4年生きねえぇぇど、100才になれねえぇぇんだなあぁぁ」。「手術してくれた先生は100まで大丈夫だっと言ってたなあぁぁ」。「100才生きっと、市からごほうびもらえんのげえぇぇ。ほおぉぉっ」。「何もらえんのがあぁなあぁ」。ちよっと寂しげに話してる。手をあますほど、おお怒りの時もあるが、目をつむっても、手を動かしているときは、何かを考えているようだ。
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計算違い

2010年07月20日 17時40分03秒 | Weblog
前回の拙いブログに、昭和22年の切手が50銭、27年のに5円になって、100倍になったと記載した。勘定が合わない。10倍である。今ははがきに貼る切手は50円なので、単純的に比較はできないが、100倍になっている。この文言が抜けていた。早とちりか、それとも「ぼけっ」だっぺぇっと、がくっとしている。まずは「ぼけ防止」の本でも、よく読めぇ-っと言い聞かせた。今はデフレの世の中だという。世の中の景気を良くするために、年率1%のインフレにする政策が、必要だと、誰かが言っていたような、記憶がする。これから、物の値段が上がっていくのだろう。物の値段は、何を尺度にするのかはわからない。「これは何年か前からみると、すいぶんと高くなったなぁ」なあぁぁんて、述懐いる時代がくるのかもしれない。
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昭和22年の50銭切手

2010年07月17日 10時30分15秒 | Weblog
前回に続いて。義母のこと。「からすの歌、七つの子」っというのかな。「おっぱいちょうだい、おっぱいちょうだい」っていうのは、幼い我が娘のことか。戦火に追われ、都会から逃れ、着のみ着のまま、疎開してきて、食料もない時代を、認知症の頭で記憶が廻っているのかもしれない。近現代の、若い人達の中で「竹の子族」っていう世代があった。同じ「竹の子」ても、義母の子育ての時代は「竹の子生活」だったようだ。着ているものや、金目のものを一枚、一個ずつ売って、生活をしていた時代なのだろう。その時代の貧困を、さびしげに思い出しているのかもしれない。小生も、かろうじて、昭和二桁生まれなのだか、戦後の占領政策で、祖父が所有していた農地がなくなり、その後は貧困であった。大正、昭和の初期に、一介の国有鉄道の機関手をしていた、小生の祖父が、当時、なぜ農地を持っていたのか疑問だった。農地を持っていると、徴税やら、年貢の取り立てなとで、苦しかったので、手放すのを、買ったようだった。今の時代とは比べ物にならない、貧困の時代のことだった。画像の切手は、50銭、昭和27年は、5円になった。5年で100倍。これがインフレか
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戦争中のこと

2010年07月16日 13時48分51秒 | Weblog
画像は昨年11月にも載せたもの。「かあぁらあぁすぅなぜぇ泣くぅのおぉぉ」は、認知症の義母が、適当に作って歌ったものと思っていた。よくよく観察してみると、義母が30才前後の、終戦間際の頃の、自分のことが頭に浮かんでいるのかもしれない。戦争末期は、東京は空襲があり、焼け野原、義母の姉のところえ、疎開してきたころのようだ。当時、食べる物がなく、義母の嫁入りに、持参した着物を売って、米を買ったようだ。そのころ汽車に乗り、「なんとか屋敷」というお金持ちの家に行き、着物を買ってもらい、そのお金で近在の農家で、米を買い求める。「早あぁぁやく帰ってやぁぁれえぇぇよぉぉ」ってゆうのは、買った米を手にぶら下げ、夕暮れの川添えの道を、家路へ急いだ。父親は、ひとりの娘を背負い、もうひとりの娘の手をひいて、妻を待っている。遠くに、娘らが、母親の姿をみつけ、嬉し声で呼ぶ。戦時中なので、汽車の中で、臨検があり、隠していても、米を持っていると、没収されてしまったこともあったようだ。こんな苦労をして、子どもを守って育てた状景が、認知症の頭の中によみがえっているのかも知れない。--続く--
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静観

2010年07月07日 14時07分42秒 | Weblog
静観--静かな気持ちで物事を良く見る-漢和辞典より。前回の選挙のときは、マニフェストの中の1ヶ所をみて「これはいいなぁ」なあぁんていって、投票をした。今はあまりにも、絵に描いた餅に、期待しすぎたのかも。国会議員の選挙は、大局的な事の判断が、一番必要なのかも。所詮、アメェバ-的存在だから、自戒をすればいのだ。別のこと。ブログを大分ご無沙汰した。今月始めに、ちよっとしたヘルニアの改善手術を受けた。七日間のうち痛みの苦痛は、二日間だけ。外科の手術なので、回復は目に見えている。術前から術後、35時間振りの食事は、ありがたかった。食べて体力が増す。貯えのない日々の生活の保証は、自分でするしかない。「体が資本」を、身をもって体験した七日間であった。
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