八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

これもレトロ❔

2024年04月30日 14時10分57秒 | Weblog

そういえば、これもあったなぁで、載せました。シャッターを押して、撮影、ちょっと間をおいて、写真を取り出した。写真は、厚さがあって保存はダメ。写真が出たのをみて、あっはぁっはぁと笑ったのを思いだしている。この方式の物は、40年ほど前に、大き目の箱型のを使った憶えがある。フイルムの入手は、注文をしないとダメとか、安易に使えない額だったかなぁ。もの珍しいだけだったかなぁ。「バカチョンを あとでわかった 無駄使い」。今頃になって、「後悔、先に立たず」です。

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これもレトロ

2024年04月30日 12時10分38秒 | Weblog

ずうーっと昔しは、街中にカメラ屋さんがあり、撮影済のフィルムを持ち込んでいた。店内には、カメラが10台くらい飾ってあった。その中にあったのが、画像のカメラ。フィルムは、6mmのカセット式だった。馴染みで、しゃべっていたら、購入する、はめになった。その頃は、山容水態なんて、出歩くこともあった。持ち歩くにはいい。露出は、晴れ、うす曇り、曇り、と、変えればいい。ほとんどが、人物撮影で、写っている人にあげてしまい、残っているのは、ZOOMが使えたので、パノラマ状に、風景を横四枚につないだのがある。一応、ストロボがあるが、飾りだったかなぁ。使ったぁなぁとの、記憶はほとんどない。極小フイルムは、無くなって、終了。懐かしさだけ、残っている。今回、レトロと思い、「無用の用」で、引っ張りだしました。

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レトロなドライャー

2024年04月29日 11時43分27秒 | Weblog

最近、「昭和99年」とかを、来年は「昭和100年」とか、目にする。昭和レトロ、平成レトロとも、目にする。と云うわけではないが、画像のドライヤーで、製本テープを剥がしてみようとした。指先が、熱ちちぃで、ダメだった。用途が違う。数年前の、不要品の破棄の際に、これはと残しておいた。はるか昔しの、出張の宿泊に、数回携行した。その頃は、ふさふさだったので、寝ぐせの髪を直すには、家でも使った。その後は、ぺたぺた髪なので、櫛にみず油で、ことが済んだ。今は、ひたいの境目はなくなった。このものは、懐かしいなぁで、しかない。ドライヤーに貼り付けてあるのを見ると、電圧の違いなのか、国内国外供用とある。一時期重宝したのかも。前述の不要品の破棄の不用品は、二眼カメラ。露出計付カメラ。和文タイプライター。ロール紙に印字できる計算機、インクリボンが、赤黒の二色で、マイナスは赤色数字が印字できた。手回しの計算機、大きさは電話機くらい、なんか航海士さんが、使っていたとか。これは、珍しいと、いただいたもの。破棄したものを、列記したって、しょうがないべぇと、自嘲をしている。

 

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順番で班長に

2024年04月27日 11時28分07秒 | Weblog

画像は、町内会の総会での、報告と議案の綴りの目次。14年ぶりに順送りの番で、隣組の班長になった。現在は、七軒で、以前より、半減している。町内会の会費用の分担額のこともあるが、三つの班の合計額で、賄えるようだ。20年ほど前に、町内会の部としての部長を担当していた時に、三つの班の交流の会を考えて、上部の区に納入する額の一割を減額するのを、町内会に申し入れた。その減額をしたもので、部として、三つの班の総会と懇親会を、コロナ禍まで催行した。部と班の長は、二期担当をして、担当順送りで、退いていた。長になったからといって、あれこれとはやらない、回覧する物を、担当すればいいこと。先の大震災のときのような、隣組に緊急に連絡するような事態は、発生しないだろう。川からの越水の時の対応は、考えてはおく。数年前の平窪地区の大水害の時の、当地区は、別の川の越水があり、当地区へ迫るかもと、二階へ必要な物へ、最悪を覚悟して、在宅介護中のばあちゃんを、二階に避難をする手順を考えていた。この時は、隣組に一人、平屋に居住している人がいた。もしもの時は、我が家の二階に避難をすることとして、普段の時でも、何かあったら、連絡するようにと、ガラケーのワンタッチに、登録をさせていた。想定外の災害が発生するかもと、考えている。

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出猩々

2024年04月25日 12時53分14秒 | Weblog

画像は、若芽の出猩々。見た目の方が、濃色。昨年秋に、落葉してから枝切をした。訳もわからず、枝切りして、盆栽状が崩れている。樹高は、25センチほど。未だ小さい葉もあるので、もっと繁ると思う。濃赤紫色の葉が、夏場には、緑緑色になり、秋には、紅葉になるので、楽しめる。ちょっと意味が違うが、「万緑蕞中紅一点」。別の事。昨晩の地震は、びっくり。ぐぅぐぅぐぅぅっと、かすかな音に揺れ始まり、がぁった、がぁった、がぁぁったっと、家具や戸棚の中のものが、揺れ動いいて、大きな音に、収まれぇ収まれぇと。次第に揺れも収まり、ああ、いがったなぁと、ほんとに、忘れた頃だなぁ。隣県が震源地、なんか度々発生しているのかなぁ。「用心は臆病にせよ」とか。地震は、くわばらくわばら。

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柏餅

2024年04月24日 13時15分49秒 | Weblog

ちょっと早い柏餅。あと十日もすぎれば、端午の節句になる。節句には、柏餅を食べる。柏の木は、新しい芽がでると、古い葉がおちるという。代々家が続くという縁起があるとか。庭木にあったが、庭木の呈がなくなり、ずうーっと前に、伐採したことがある。別のこと。桜の季節が終わり、四月も下旬に差し掛かっている。二十四節気で、「穀雨」から「立夏」になる。その間、七十二節気の「霜止出苗」ーしもやみてなえいずるーが、25日頃からで、「牡丹華」ーぼたんはなさくーが、五月四日頃までで、五月五日の「立夏」になる。五月一日は、八十八夜になる。「八十八夜の別れ霜」とか、このころになると、お天気も落ち着き、霜も降りもなくなるとか。今の時期を、「五風十雨」、五日に一度、風が吹き、十日に一度、雨が降る、順調な季節の移り変わっていく。今日は小雨が降り肌寒い。

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姫りんご花

2024年04月21日 14時25分45秒 | Weblog

画像は、鉢植えの姫りんごの花。ちょっとピンボケ。五年ほど前に、実が付いたミニ盆栽で、購入をしたもの。一昨年、大き目の鉢に植え替えた。昨年になると,枝が二本伸びたので、切った。ひと月ほど前に、十数個の1センチほどの、赤紫色の蕾が付いた。秋になって、赤い実になるのが、また楽しみ。辞典を読むと、「姫」の意味は、貴人のむすめ。女子の美称。小さく愛らしいの意の接頭語とある。昨日ちょこつと走行しながら、街路樹が、若葉になっていた。樹々の間に、一本、遅咲きのさくらかなぁを、ながめた。

 

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竹の子

2024年04月20日 16時03分08秒 | Weblog

いただいた京都産の竹の子。すごく大きいのでびっくり。昨日掘り起こして、二日目で、先っぽが、若緑色、硬い葉だなぁと、はがし始めたら、三枚ほどはいだら、後は柔らかった。根元のところを、1センチほど切り落とした。「初物七十五日」とか、二つ食べれば、150日、寿命が延びるなぁと、単細胞の脳みそで、考えた。寿命が延びるのは、良いのか、悪いのか、どっちなんだろう。またまた、答えが分からないことを、考えていた。竹の子は、「筍」、「竹」と「旬」の組み合わせ。「旬」は、「十日間」。竹の子の食べごろは、十日間なのか。辞典を読んでいたら、「竹の春」とある。陰暦の八月のことと、読んだ。またまた、あっちゃこっちゃです。

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2024年04月19日 11時53分56秒 | Weblog

画像は、以前にも載せた。昨日まで、黄砂の事が話題になっていた。黄砂は、雨が降る仕組みのひとつで、はるか彼方の、黄土地帯などで、風によって吹き上げられた粉塵が、偏西風に乗って流れてくるという。辞典を読むと、「霾」ー読みは、ばいー、意味は、「大風が吹いて土を降らす」、「土砂の降るために曇ること」とある。「霾」は、「雨」と「狸」の、組み合わせ。なぜ「狸」なのかと、「狸」は、「人間をだまそうとすることが、民話とかにでてくる。なんかユーモラスに取り扱われている」とか。雨がふるのかなぁーなんて、空を見上げたら、土が降ってきたとか。だから、「雨」に「狸」なのかなぁと。ながら聴きしていたラジオ番組で、「黄砂は、いつの時代からなんだろう」なんて、聴いていた。パソコンで、「つちふる」を変換させると、「霾る」とでる。たいしたもんだぁと、納得をしている。

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またまたのひけらかし

2024年04月16日 12時32分06秒 | Weblog

以前にも載せて、またまたの知ったかぶりです。画像は、「一華開五葉」ーいっけごようをひらくー。松原泰道著、禅語百選からです。「一つの花は五弁の花びらを開き、やがて果実をみのらせます。一華開く、こころの花を開くのです。五の花弁は、五つの知恵の花弁。第一の花びらは、ありのままに。第二の花びらはは、ほとけのこころ。第三のはなびらは、平等に、真、善、聖を感ずる。第四の花びらは、他によくしてあげる。第五の花びらは、ほとけのこころの現れとうけとれる知恵。この五の知恵を一つに総合して一華となる」と、読んだ。ひけらかしの筆字を載せるために、また、読んだ。テレビで、いろいろのところで、いろいろの花が咲いたのをみている。花の時期に、いいかなぁです。下衆の身では、禅語は難しい。時々読むのもいいかなぁです。筆字も、ずうーっと昔しに書いたものを、よがりして、残しておいた。筆と墨で、文字を書き、表現する、近代の書、現代の書という、別の世界があるという。博学多識の皆さまには、大変失礼なことでした。

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またまた駄筆を

2024年04月15日 12時35分20秒 | Weblog

またまた駄筆の「山河四望春」。今の時期は、植物の発育期で、日差しも、木々も、春色になっている。ここ数日、暑い暑いが、ニュースになっている。今の時期は、暖気が押し上げて暑くなり、寒気が押し下げて寒くなるの、繰り返しなのだろう。当地方の日中の最高気温の平年値を読むと、気温の上昇は、月の始めは、13.5度、半ばは、16度、月の終わりは、18度とある。雨のことも、菜種梅雨、筍梅雨とかで、そして、また、「走り梅雨」、「卯の花くたし」と、巡っていく。「走り梅雨」は、本格的な梅雨の時期の前のことで、「卯の花くたしけ」は、卯の花の咲くころの雨をいうとある。「卯の花」は、「ウツギ」のことで、「花と花ことば」を読むと、六月二日とある。順調に季節が巡ぐるのかも。ちょっと、先走ったことです。

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桜月

2024年04月13日 15時15分43秒 | Weblog

四月も半ばに差し掛かった。画像は、「山河四望春」ーさんがしぼうのはるー。はるか昔しに書いたもの。以前にも、新年の挨拶に使った。数鉢の鉢植えの樹々も、若芽を吹き出して、春めきている。表題の「桜月」は、陰暦三月のこと。「春宵一刻直千金」とか、ことわざに、「春の晩飯後三里」ー春は夕食後も明るくて、まだ三里の道のりを歩けるほど、日が長いということーと、ある。当地方の日の入りの時刻は、18時10分頃になる。日の入りの折り返しは、6月下旬から7月上旬の、19時頃になる。暑さの折り返しを、日中の最高気温の平年値を読むと、八月の10日前後の、28.1度になる。これからが春本番なのに、なにを書いているのかぁです。七十二候を読むと、13日頃までが、「鴻雁北へかえる」、「田鼠化為鶉」ーたのねずみが、うずらになるーで、14日頃からは、「虹始めてみる」になる。別のこと。暦をみていたら、「十三詣り」とある。ではと、めくってみたら、旧暦の三月十三日に、数え歳で13歳になった子供が、仏様の「虚空蔵菩薩」を祭るお寺に、知恵を授かるようにと、参詣をする習わしとか。そうなんだぁです。

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所在なしで

2024年04月12日 13時50分25秒 | Weblog

所在無しで、昔しに書いたのを、整頓をした。その一枚が画像。「一日不食」ー意味は、毎日仕事をしてからでないと、食事をしないこと。仕事の大切を説いた言葉。この歳になって、仕事というものはない。時々、仕事をしていた時分を、思い出している。当時、仕事をすれば、それに対しての、対価をいただく。対価は、衣食住のためや税や保険料に、出費をして、残りのわずかの額を蓄えていた、が、目減りが急だ。今は、「一日不食」は、節約をする意味にしている。牛飲馬食はしない。三汁七菜もしない。百味飲食もしない。節険力行と、心はしている。体力の維持は食べること。人には、四百四病があるという。一つの病から、崩れるのかも。四百四病には、「貧」も入っているとか。これから先先に、「貧」に憂いするようになるかも。分かったような、分からないなぁと、分かっちゃいるけどーーだなぁと、またまた、自嘲をしている。

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第二集で終了

2024年04月09日 14時16分29秒 | Weblog

画像は、前回掲載をした同期会開催時の、第二集。表紙と33ページ目。左側の能面は、毎日新聞社刊の「能」よりです。文字は、千昌夫の歌、「おやじ先生」、「いではく作詞、遠藤実作曲」からです。会の主催者、È君と、「追想」と題してA君と、ほかのクラス会のこと等と、学校から校章と応援歌と応援団旗などの寄稿を綴った。手助けがあればいいのだったが、ひとりで判断をして、作成をした。後々になって、会費の残額があると、知らせがあつたが、それは、「追想」と題して寄稿したA君に、原稿料とするようにと、伝えた。これらの事は、昔し話になりそうで、たまたま、ずうーっと前からの知人が、同じ中学校の卒業とのことで、冊子の復刻をすることにした。

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ずうーつと前の同期会誌

2024年04月08日 12時37分49秒 | Weblog

画像は、9年ほど前に作った同期会の、18ページの冊子。右側が、その表紙。左側が綴り込んだ一ページ。拙い冊子、やそぢおりおりにと題したのを、ちょっと遠方の女性に送った。電話があり、話の中で、平一中の卒業で、その女性の兄が、小生と同じ年という。画像の右側の写真は、昭和56年頃の同窓会誌から。この同窓会誌は、図書館での、磐城平城の資料展を、ふらーっと見に行ったとき、書棚にぼろぼろの古本状態であった。貸出禁止なので、急ぎコピーした。平一中の創立当時のことと、卒業した年度の前後の数ページだった。平一中時代のクラス会の幹事をするようになり、クラス会の交流のこともあり、級友からの便りを綴り、俳句の投稿を綴り、スケッチの投稿を綴って、六号まで、作った。ある年に、級友から、「在京同期会があるから、出て来い」となり、のこのこのこと上京した。初めての同期会への出席で、級友数人と同席で、ぺちゃべちゃ。同期会のお開き前に、応援団長だった級友が、「俺らのクラス会は、交流誌を作っている。今回の同期会も、交流誌を作ろう」と、ぶち上げた。その場は、それで終了。後日になって、「お前え、作くれつぺぇ」と、連絡があった。資料も基になる原稿もないので、「どおにも、できねぇ」と、断わった。しょうがねぇなぁで、引き受けてしまった。印刷、製本は、いいとしても、郵送料金は、どおすんだぁだった。まあ、「乗りかかった船」と、あきらめた。今回、知人の女性が、同窓というので、原板も冊子も破棄済み、急遽、妹弟から借りて、「蒼い志」と「追想」の二冊の復刻を始めた。

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