九月二十日の、閼伽井嶽薬師の境内の一角。太陽の光が、秋の気配が感じる。月に一度の、写経。始まる前に、いつもの和尚さんは、葬儀のため、20歳という若い僧侶が法話をした。なにを話すのかと、興味しんしんだつた。「出会いについて」話すという。その若い僧侶は、祖母の葬儀で法話を聞いた、その時、感銘をして、仏門に入ったという。その時の和尚さんとの出会いが、自分の人生の中での出会いだという。写経生10人に、「皆さんは人生で、一番思い出深い出合いは、どんな出会いだったのか、目を閉じて、想い出してみてください」と。数分間、目を閉じて、78年間の中で、自分の出会いを、想いめぐらしてみたが、あれもだ、これもだと、確たるものが、想い浮かばない。折に触れて、出会いを、思い出してみることにする。若い僧侶は、「はじめて、法話をする。これも、出会いで、心に残っていくだろう」と。肩ひじはらない語りが、初々しく感じた。昔かぁし読んだ文学書のなかのに、「乞食のなかにも、人格者がいるかもしれない」の、一節を思い出していた。
小生の主義ではないが、お墓も仏壇にも供える花は、きまって、黄色が2本、白色が1本だ。お墓は、春と秋の彼岸、お盆と命日の四回。仏壇も、年中、黄色2本、白色1本の菊の花だ。たまぁ-には、別の花でもいいんでぇねぇのぉって言っている。菊の花は、秋に咲く。野外の花で、季節を感じる。走行しながら、見回す山野は、秋の色になってきている。早いなぁ、もう、九月も終わりになる。
お寺の水洗い場の後ろ側に、咲いていた。鮮やかに、真っ赤に咲いて、本格的な、秋の訪れなのだろう。夜になって、気温が低くなったせいか、聞こえていた虫の声が、弱弱しくなった。別のこと。先日、震度5強の地震があった。たまたまだが、満月の時に風邪をひくと、治りにくいとかと、阪神淡路大震災、満月の夜だ、とも読んでいた。そうなのかなぁって、考えながら眠りに入っていた夜半に、ぐりぐらぁぐらぁって。一応、着替えをしてやこうと、強い揺れの中で、はじめたら、揺れがおさまって、安堵をした。揺れていた最中は、まず、浴槽に水をためることだなあって、頭によぎった。先だっての大地震は、強い揺れがおさまったなぁと思ったら、波状的に何回も、強震がおそってきた。昼間のことだったから、なにかしらの行動ができた。天変地変は、こりごりだ。
中天に、すっきりと輝いていた。十五夜のお月さまの歌を思い出すと、ちょっとさびしく感じる歌詞のようだ。「十五夜お月さま ひとりぼち 桜吹雪の花かげに 花嫁すがたのおねえさま くるまにゆられて ゆきました」。「十五夜お月さん ごきげんさん ばあやは おいとまとりました 十五夜お月さん 妹は 田舎へもられて ゆきました 十五夜お月さん かあさんに も一度わたしは逢いたいな」。「花鳥風月」とか、「春花秋月」とか、自然の美しさを楽しめばいいのだろう。明日は、秋の彼岸の入りになる。「光陰矢のごとし」だなぁ。
昨日の台風一過。近くの神社の木立から、時々、蝉の声が聞こえる。晩夏の風情が、街中で見た。走行した車のフロントから、すすきが穂を広げているのを見ると、初秋の風情も感じる。今夜の中天には、薄雲がかかっているが、十三夜の月が。十九日は、十五夜、中秋の名月、お月見になる。去年より12日早い。仕事をしていた時は、季節の到来が、早いのか、遅いのかを、毎年、毎月考えていた。もうすぐ、秋の彼岸になる。今年は、冬の訪れが早いのか。年が明けて春も、夏も、季節の訪れは早く、秋の訪れは遅く、冬の訪れも遅いのかも。来年のことを言うと、鬼が笑うかも。今年もあと100日あまりかぁ。
大分以前から、使っていないのと、震災で社屋の解体で、使わなくなったので、返還に、水道局に持参をしたが、不審者にみえたようだ。ちゃんと、町の名と、番地と、氏名を名乗って、返還をしに来たと告げた。しかし、水道局員は、「どこから持ってきたの」とか、「どうして持ってきたの」とか、「取り外したら、返還するようにとは、誰が言ったのか」とか、「それを言ったの、検針員の名前は」とか、「何番の工区なのか」とか、「休止の届は出したのか」とか、問われた。一つ一つ返答をした。五、六分間やりとしていた。水道局員、四人に取り囲まれた。その間も、メ-タ-番号を、書き写すこともしないのでいる。なんか、悪いことをして、メ-タ-を持ってきたようにみえたのかも。「休止届は、休止をした時に届でているのではないのかぁ。メ-タ-の番号みれば、わかんでねぇのぉ」っと。「使用中のもの、はずせねぇべぇ」と。「元の所に埋め戻す」と返答をして、持ち帰ってきた。憶測だが、休止の届とか、メ-タ-の保管とか、指針をゼロに戻すとかの、処理は、水道関係の業者に任せて、水道局員は,そのあとの処理だけするのかも。そういえば、検針とか、料金の徴収は、民間に委託をしたようだ。メ-タ-を返還しようと行った二階は、お役所。お役所そのものの雰囲気。素人がなにしに来たんだっぺぇの視線に取り囲まれていた。「メ-タ-の番号を見れは、休止か、使用中とか、使用していた者の名前は、わかるのではないのかぁ」って、捨てぜりふして、持ち帰った。余計なことしないで、土の中に埋めてしまえば、知らん顔でいられるかも。
パソコンを使い始める前に、使っていた。かれこれ、30年も前になるかも。打ち込んだ数字が、赤と黒で、印字ができた。重宝していた。使っていた時代は、毎日毎日、数字、数字の挌闘だった。この後、素人でも使いこなせるパソコンが、リコ―から発売になった。今では、死語になったDOS/Ⅴ。MS―DOSだった。ウインド-ズが使えるようになる前の時代だった。その当時は、納品伝票発行のために、パソコンが2台、ドットプリンタ-を接続して、販売した商品のデ-タ-の蓄積をした。領収書発行ににも、パソコンにドットプリンタ-を接続をしていた。商品発送に、送り状を、二社分のドットプリンタ-を、パソコンに切り替え器を接続していた。その名残で、ちょぼちょぼと仕事をしている今も、ドットプリンタ-は、3台あって、使っている。このブログを書いているパソコンには、写真がプリントできるプリンタ-が、接続している。プリンタ-の使い道が違うが、ドットプリンタ-の3分の一か、4分の一の値段で、買える。昔を懐かしがっていては、歳がわかる。ブログを書いている、このパソコンは、使いはじめて、2年になる。前記した仕事で使っているパソコンは、13年になる。この間に、通販で、オ-ダ-して入れたXPが入っているのは、使い勝手が悪く、ドットプリンタ-には、相性が悪かった。まあ、「安物買いのなんとかだぁ」って、悔やんでいる。
お盆に供えた花を、かたずけたり、掃除をしたり、お墓に行った時に、バチリした。今日は、九月九日。ものの本を読んでいると、「重陽の節供」とある。一月一日、三月三日、五月五日、七月七日は、それぞれ行事があって、よく知られている。「九」という数字は、「陰」と「陽」の「陽」の数字で、一番めでたい陽の数字とある。「九」が重なるので、「重陽の節供」という。日々だらだらと過ごしているのを、気持ちの切り替え、日々の感謝をするとか。一日を大事に過ごさなければと、さも、わかったようなことをかいている。夜になって、窓からの風は、秋の虫の声も一緒。爽やかに吹き抜けている。
この画像は、以前にも載せた。守屋 洋 著、「中国古典の名言録」からの引用。いわき市の市長選挙の投票日が近い。現職に対抗して、新人三人が競っているようだ。時々、マイクから大きな怒鳴り声のように叫んで、通り過ぎていく。面積が広いので、急いで走らなければ、ならないのだろう。現職市長に、不満があるのか、なにかあるのかなぁ―って、かんぐってしまう。この歳になると、選挙に関心が薄くなっている。
ちょっと先月末のこと。原発から20キロ圏から、避難をしている人から、いただい桃。「元気でいっかぁ」って。一年ぶりに訪ねてきた。桃は、勿論、なんの影響もない。原発事故のあった三月の25日頃、困っているだろうと、「ガソリンと灯油」を、貰ったことがあった。別のひとは、「会津の仮設に落ち着いた。町役場に用があったから、ついでにと」、手土産を下げて来た。また別の人は、「いわきの仮設に落ち着いた」と。近くの魚店から、「ついでに買ってきた」と、魚を持って訪ねてきた。なんか、避難をしている人から、いただいてばかりいるようだ。最近は、避難先のそれぞれの場所で、不安を感じながら、過ごしているのかも。桃を持ってきた人は、「2年先に戻る」という。開店できるかどうかは、わからないという。さびしい話に、なぐさめようがない。「故郷の廃家」の歌を思い出す。「いくとせ故郷来てみれば 咲く花鳴く鳥そよぐ風 門辺の小川のささやきも 馴れにし昔に変らねど 荒れたる我が家に 住む人絶えてなく」。
現職と、新人三人の争いという。前回は、現職を熱心に支持して、応援をしていた知人は、今回は、会ってもなんの話もない。支持をやめたのかも。新人三人が、立候補するのだから、素人考えでは、現職は盤石でないのかも。聞き耳を、立てるわけではないが、芳しくないようだ。勿論、門外漢なので、とやかく言っても、どっちゅうことはない。画像は、昨日の、赤井岳薬師堂常福寺の境内。昨日まで祭礼が、行われていた。在宅のばあちゃんの「百寿」のご祈祷札を、受けに行った。ちょっと、秋の気配が感じていた。
八月の20日ころ、パチり。いまはもう、暑さにやられたのか、花はおわり、茎も枯れていた。なにも、道端のコンクリ―トの隙間に、咲かなくてもいいのに。これだけではなく、数本咲いていた。これから咲くのもある。数日間、花が見られた。道端で見た、一服の清涼。