近年は、団扇を使わなくなった。在宅のばあちゃんが元気だった頃、毎年夏に呉服店から頂いた。介護するようになって、少しでも癒しになればと、二、三枚を柱に飾ってみた。お気に入りなので、呉服店に事情を話して、もし別の図柄があればと、所望してみた。毎年1枚の図柄だったので、六枚を頂いたので、六年分なので、今、思うと恐縮してしまう。普段は上品なばあちゃんで、二十歳の頃はこんな顔立ちだったのかも知れない。ベットの上でする、すまし顔をみると、吹きだし笑いをしてしまう。そんなばあちゃんでも、ある朝、「おはぁよおぉ」って声をかけると、不機嫌な顔をしている。聞くと、「生きているほうがいいのがぁ、死んじゃったほうがいいのがぁ、わがあぁんねえぇんだあぁ」って云う。眠らないで、考えていたという。白寿の神札を飾っていたのを、思い出しているのかも。生きていれば、食事も、オムツ替えも、手数がかかるのを、承知をしているのだろう。生きているつらさを、考えているのかも。94歳の時に、腸の手術をした。その先生が「百歳まで、生きられっかんねぇ」って、云ったぁぺぇって、元気をつけている。たまあぁに、食事のあとに「ごっつおぉさま」の感謝の礼に、「お粗末でした」って、礼を感じとっている。
風で吹き飛ばされてきたのか、ひっくりかえっていたのを起こした。足をふんばって立っていた。蝉の鳴き声は、さっぱり聞こえない。この暑さで、変調をしたのかなぁ。蝉は、地中で数年から十数年もいて、折角地上に出てきたら、この暑さで、鳴き出す前に、くらっくらっとして、熱中症になったのかなぁ。街の中では、木立がないので、近所の神社の木立で鳴いているのを聞くしかない。「ジイィィィィィ」、「チィチィチィチィ」、「ジィジィジィジィ」、「カネカネカネカナネ」、どうも日頃の生活癖がでてしまって失礼しました。「カナカナカナカナ」です。「ミイィ-ンミンミンミイィ-」、「ツクツクボ-シ、ツクツクボ-シ、ツクリョ-シ、ツクリョ-シ」って、木々の葉陰の、涼み台で、午睡しながら聞いていた、はるか昔ぁしのことを、思い出し懐かしがっている。
ときどき、拙いブログに登場するばあちゃんの、お気に入りの団扇。このほかに、6枚美人画の図柄があるが、これだけは手に持つ。「おれだぁ」って。聞くと「40ぐれぇがなぁ、若がぁったなぁ」って。団扇を上から下へ、下から上えと眺めて、目を細め、おちょぼ口をあけて、笑う。このような浴衣姿の自分を思いだしているのは、二十歳前後の、昭和10年頃かも。昭和16年に戦争がはじまり、戦中、終戦、戦後は、世の中が荒れて、食べるものを手に入れる苦労をして、浴衣を着る余裕はなかったと思う。話し相手をしていて聞くと、田んぼや、土手で遊んだ「西のともちゃん、下のかっちゃん」とか、幼いころの友達のことのようだ。ばあちゃんには、兄ふたりと姉ふたりがいた。「誰ぁれもいねぐなっちゃったぁ、さびしもんだぞぉ」って。半年前の三月頃、食べなくなってしまい、だめかなぁって思った時があった。しかし、今は、「なんか、甘ぁくって、うめぇものもらえんのがぁなぁ」って云う。「死ぬぅだぁ」っていう話しは、またの機会にのせます。
数年前、航空自衛隊のトップが著したもの。防衛という現場での苦労話し以上に、この日本の防衛の苦労が読める。災害に出動した隊員は、被災者の前では、座らない、食事をとる姿もみせないと、頑張っているとか。いろいろあった事故や、事件の詳細も読めた。国の防衛は、世界の動きの中で、考えるのかなぁ、って、すかすかの脳で読んでいた。
画像の「球」を使ってやる、プロスポーツの大会に、参加をしないとか。単細胞の脳味噌では、自分の利益に叶わないからと、思える。選手会の判断とか。選手ひとりひとりの、総意だったのだろうか。テレビ観戦者なので、別段どおぉつてゆうこともない。画像の「球」には、ずうぅっと前に、ちょっと名の知れた投手のサインがしてある。
報道は、不安のことなど、暗いニュ-スが多いようだ。政治も経済も、世界のあるところでは、殺しあいのニュ-スも見る。長い長いトンネルから抜け、明るい光りがパアァァっと。こんな光景が見られるよう、願っている。
たまあぁに登場する、在宅介護のばあちゃんが、病院での診察が終わり、待合室で見知らぬ人男のから、話しかけられた。前の椅子から振り向いて、「ばあちゃんは、いくつだぁい」って。「へえぇ、98.俺はあと30年たたねえぇど98になんねえぇなぁ」って。「俺はこの病院で、頭三回手術してもらったんだぁ」って。その男の人がある時、お寺の和尚さんと話しをしていたら、その和尚さんは「人間は病気では死なない、寿命で死ぬ」と、話しをしたそうだ。お医者さんは病をなおしてくれる。しかし、どうにもならない時は、「死」になってしまう。普段、物を「もう寿命だなあぁ」って、捨てるものがある。人間を物に例えては申し訳ない。「寿命-物が使用に耐える期間」と、辞典にある。「寿」の文字の意味は、「生命の長いこと」とある。おちょぼ口して、にこにことする笑い顔のばあちゃんをを見ながら、ふと、思い出した。松原泰道著「禅語百選」のなかに、「死なば死ね 生なば生きよ ものはみな 死にてぞ死なぬ 世に生くるなり」というのがある。知ったかぶりをしている。この歳になっても、分からない。よく考えろと、自嘲をしている。画像は、ばあちゃんが使っている車椅子。ヘルパ-が午前中に乗せて、午後にベットに。病院の行き帰りに。近所の正月荘さんの庭園を見せてもらったり。ペットショップの子犬をながめたり、気晴らしに車椅子で散歩をする。ばあちゃんは、8月10日で、満98歳になる。
時代遅れの、デ-タ-の移し変え、笑われている。95と98に入っているものを、読み取りる。パソコンがもう限界になっていると、あせってしまっている。必要なものはなんとか、移し変えた。画像は、前回のグラフの元の数字。生まれてから、25050日が過ぎたのを、数値化したものだ。身体のリズムは33日、感情のリズムは28日、知性のリズムは33日の周期で、生涯、好調、不調のサインを示すという。それとは別に、この計算をするのに、感心をしてしまう。パソコンを導入当時、仕事をパソコンにさせると、40分も、時間がかかった。今は、まばたきをする間に、仕事がおわる。手抜きしてねぇべなぁって、パソコンに云ってみる。
小生の今月のバイオリズム。何年か振りに見た。XPを入れたパソコンが、フロッピ-ディスクを読みこまなかった。パソコンの立ち上げの時の操作に、相性が悪かった。導入時に、フロッピーに入っているデ-タ-を読みこむよう、念を押したが、駄目だった。今回、画像のパソコンに、別の外付けのもで、読みこんだ。エラ-が出てしまうフロッピ-デスクは多い。一番うれしいのは、自分のリズムがわかることだ。このバイオリズムによって、今の自分の状態が分かる。「ミス」や「ポカ」が出やすい要注意日、曲線が下側にある時は、無理をしないで、上側にある時には、かんばる。日常の生活が、「今日は空回りしているなぁ」っとか、「今日はついているなぁ」っとかがある。このことよりも、バイオリズムのプログラムを読みこんでくれた、このパソコンに、「ありがとさん」だ。
走行をしている道路に、史跡の案内板がある。「山椒太夫」の安寿と厨子王のことが、金山町に、案内されている。「山椒太夫」の物語のはじまりとおわりが、当地のいわきに伝えられているという。「山椒太夫」は、親の仇を討つ話で、物語りを覚えてはいない。画像は、鴨志田義康著、絵は鈴木菜穂子だ。地名やお地蔵さまがあるところには、伝説があるのだろう。昔し話を思い出し、ちょっと寄り道をしたいものだ。
画像は、軽量になった、ポケットカメラ。10ミリフイルムを使い、ズ-ム撮影もでき、ストロボも使えた。露出は、晴れ、曇り、雨天の時の、三種なので、簡単だった。でも、すぐに、デジカメになった。便利な世の中だ。今後欲しい性能は、「昼飯」って、端末に云うと、カップラ-メンに、熱湯が注がれて、「はいぃ、どうぞ」って、出てくるのがいい。そんなことあるわけないがあぁってがぁ。
写真機の性能の発達は、早い。今のデジカメも同じだ。露出計が付いたり、発光ができたり、便利になった、が、重い。使ったきおくがない。ただ、持っていただけだった。性能はどんどんと新化をする。使おうとする、脳は、劣化をしていく。生来よりの劣化と、経年による劣化だ。あたりの人人を見まわすと、頭の形は、大小あるが、形は同じだなぁ。そうか、小生のは、質が落ちているのかぁって、苦笑をしている。