八十路徒然なるままに

今ひとときは心も浮き立つものは、春の景色にこそあめれ。徒然草より

桜の開花日

2024年03月30日 14時07分15秒 | Weblog

昨日とかわって、今日はちょこっと暖かい。テレビで桜の開花の予報を報じている。画像は、福島市での、桜の開花日のグラフ。緑色の折れ線は、二月一日から開花した日までの日数で、右端の2023年は、三月24日に開花で52日間になる。観測を開始以降、最もて早い。左側の2012年は、開花が4月16日で、基準日の2月1日から75日目になっている。水色の右下がりの線は、開花日の移動平均したもので、年々開花日が早くなっている。横軸の赤色の点線は、開花日の平年値で、基準日から、66日目の線になる。当いわき市の小名浜測候所は、生物季節の観測は、2008年で、終了になつている。グラフには無いことだが、旧暦の元旦が、二月に入ってからの年は、桜の開花日までの日数が、41日、43日、44日と、短い年もあった。グラフの作成をしていて、なんだろうなぁでした。桜の開花は、2月1日からの、最高気温の積算で判断するようで、別の考えでは、日中の平均気温の積算するともいう。季節は巡り、七十二候では、今の時期、「桜始開」、「雷乃発声」、「はじめての、むいなびかり」とか、歳月人を待たず、明後日は、四月になる。

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春の雨

2024年03月29日 12時58分54秒 | Weblog

当地方、風雨が強い。お天気予報では、午後には、雨が止むようだ。菜種梅雨にしては、風雨が荒れている。一雨ごとに気温が上昇するとか。日本の季節区分を読むと、今の時期、「四月四日ころ、春の荒れ」、「四月二十四日ころ、寒の戻り」とある。今日の雨の後は、気温が上昇すると予報している。寒暖を繰り返して、季節が巡ってくるのだろう。別の事だが、暦を見ていると、三月二十一日に、「十方ぐれ入り」とある。辞典をめくると、「天空が暗く曇っていながら雨の降らない天候」とある。「暦で甲申の日から、癸巳までの十日間」とある。ちなみに入梅は、「二十四節気の芒種の最初の壬の日」」とある。現在は、気象学的には、黄経八十度の日」。六月十日ころと読んだ。暦は、農暦だったので、農作業などの目安としていたのだろう。寒々しいので、寒々しい画像を載せました。ピンボケだが、寒々しいのには、いいかなぁです。

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添えた一文

2024年03月28日 11時54分55秒 | Weblog

拙い冊子は完成。順次、スマートレターで送る。宛名を書きながら、元気でいるかなぁと、顔を思い出している。ここ何年も会っていない人が、ほとんど。画像は、添えた一文。あえてブルー色で書いた。送られても有難迷惑と、返信不要としている。昨年一年間の拙いブログから、めぼしいものを、拾い出したものだが、この歳なので、綴ったことは、年寄の繰り言ばかりだなぁと、聞えそうだ。昨年のある日、ある人に、こんなものいらないだろうと、送らなかったら、出会ったとき、そろそろ来るかなぁと、待っていたという。また、ばあちゃんを看取っててただいた先生からは、丁重な励ましの手紙が届いた。介護で世話になった事業所の職員の方からも、丁重に、以前からの物を、読み返していると、手紙がとどいた。拙い冊子は、第九集だが、亡ばあちゃんの、百歳の記念に綴りはじめたので、これも九集になっていた。面白いなぁが半分、興味ないなぁが半分と、思っている。次回は、10集になる。なんとかして、作ろうとする意欲は持つ。題材は、どおする。時間をかけて、考えてみる。

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ちょこつと贅沢

2024年03月25日 11時55分26秒 | Weblog

画像は、食い気が先で、二種食べてしまった残りもの。美味いなぁと、喉元を過ぎるまではいいが、食べ終わってから、ちょっと贅沢だったかなぁでいる。時々食べているのは、もう一口、二口欲しいと思うことがある。食べ終わったケーキは、イチゴが二層に入っていて、二回りも大きかった。食べ応えがあった。いつもと違い、ちょこつと走行したところの、フランチャイズ店からで、画像のケーキも、ずっしりと重さがある。別のことで、数日前の新聞に、「2023年のエンゲル係数27.8%、食費の割合40年ぶり高水準」とある。我が家はと、見ると、大同少異。食料品の買い物は、どっちが美味いと見比べれば、やっぱりこっちだなぁと、籠に入れる。買い物に行く間隔があくと、二つのかごになる。支払いの額は、二つのかごになると、カードから、お札に羽がついて、飛んでいくなぁと。今のところ、食べるものは、何でもいい。定期の診察のお医者さんは、「塩分注意」だけ。老域になっての日常は、「腹へったなぁ」はない。仕事をしていた時分は、何度もあった。「ひもじい時にまずい物なし」と、いうことが頭にあり、スーパーでの買い物をしている時に、空腹になると、あれも美味そうだ、これもとなる。辞典をめくって、知ったかぶりで、Hunger  is  the  best  sauce ー 空腹は最上のソース ーとか、これまた、失礼しました。

 

 

 

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花に三春の約あり

2024年03月24日 14時13分48秒 | Weblog

画像は、開花前のクンシラン。「年々歳歳花相似たり」とか、かれこれ20年ほど前に、亡ばあちゃんの娘から、頂いたもの。元気だった時は、水やりをして、愛でていた。昨年から、花が終わって実が二個ついている。茎もまだ青々として、実は、赤く色がついている。これは、初めてのこと。一昨年、夏にばあちゃんが没して、翌年の花が終わった春から、実が付いているのは、なんか不思議のこと。茎が枯れて、実だけになったら、どうしょうかでいる。実が付くのは、今までもあって、茎が枯れて、残った実を、鉢に埋め込んでいた。花ことば図鑑をめくると、クンシランは、19日の誕生日で、花ことばは、「貴い」、「望みを得る」とある。ちなみに、一月一日は、「マツ」とある。昨日まで、寒かった。今日は昨日より暖かいが、寒暖の繰り返しは早い。さくらの開花は、ちょっと先になるようだ。「花に嵐」とか。表題の「花に三春の約あり」は、「花は春になると約束をしてあったかのように必ず咲くということ」と、読んだ。「三春」は、春の三か月のことで、陰暦の一月、二月、三月のことと、読んだ。無風流の「花より団子」がいいし、「花の下より鼻の下」もいい。「花は桜木、人は武士」は、願望。「人は桜の散りぎわに似て,死にぎわの潔い武士がいちばんだということ」。我が身は、果たしてどうなるのだろうと。またまた、湿っぽいことで、すみもせん。

 

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仕上がった

2024年03月23日 13時12分35秒 | Weblog

画像は、完成した拙い冊子。しおりは、「十風五雨」にした。昨年の12月頃から、拙いブログの昨年一年間の記事一覧を印刷をして、めぼしいものを、チェックして、画像と記事を一体にして、印刷をした。記事の部分は、版下に使えるように、文字の大きさを指定して印刷。120件ほどかなぁ。記事が重複してるものや、文が成り立っていないものを、除外をして、関連している記事を、項目別にまとめた。記事に添付する画像は、写真用紙のL 判に印刷をしておいた。そのまとまりのところに、中仕切りにして、項目の文字と、サツキの花を添付した。この作業は、最後にした。冊子の構成を考える時間は、ああでもない、こうでもない、風景写真四枚を、何処に挟みこむかなぁと、長かった。構成は、関連をした記事を、見開きの左右にして、投稿時の日付け順にした。構成が、これで良いとなれば、ページ番号を右上に、左上に書き入れ、版下の完成。印刷は、モノクロ頁、カラー頁、画像入りのページの順した。これらの作業の合間には、風景写真四枚と、花の写真四ページの印刷を、済ませていた。一件ごとの印刷は、写真は、100枚なので、35、35、30枚と分けて、プリンターに負荷がかからないようにした。総印刷枚数は、A5判の大きさで、138頁を100枚なので、13800頁になった。プリンターさん、お疲れさん。冊子は、70件ほど郵送するので、ぼちぼちと、宛名書きをする。

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くわばらくわばら

2024年03月21日 12時30分21秒 | Weblog

今日も地震。当地方は、震度2、ゆれているなぁーと、これは遠方かなぁと。地震は、くわばらくわばら。画像は、市役所からので、阪神淡路大震災のあと、配布された冊子の一ページ。画像とは関係ないことで、13年前の21日は、車載して置いたものを車から降ろして、整理をしていた。前日は、夕刻に帰着して、まずは、介護用のベットに、亡ばあちゃんを寝かせた。我が家に戻って安心をしたのか、眠り続けていたのを、思い出す。東日本大震災が発生した時は、バイパスを走行中。先方が渋滞になり、市街地への道におりたが、ブロック塀の倒壊、電柱の倒壊などで、迂回迂回して、ようやく、幹線道に出て、帰着した。すぐに、断水前に、数個の鍋や、風呂に、水を貯めた。電気とガスは使えたので、夜間の不安はなかった。でも、余震は、またゆれた、又揺れただった。強い余震だった時は、隣組の数か所のブロック塀の状態を確認に行った。夜は、給水場所に、大き目の容器に、ごみ袋二枚を重ねて、水を入れた。食器洗い用に使った。夜は、給水に来てる人が少ないので、あまり迷惑が掛からない。あっちゃこっちゃでした。くわばらくわばらと、呪文をして、難を逃れればいい。

 

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給油所探して

2024年03月20日 16時24分24秒 | Weblog

先の東日本大震災時に発生をした原発事故で、義弟を頼って避難をした。その三日目に、軽油の補給所探しをした。画像の車列に並んでいたが、前方から歩いてきた人に、「先はどうなっていますか」と、聞いた。「閉所しているスタンド」というので、車列を離れ信号待ちをしていた時、カシャッっと。当時、車の燃料計は、残り10ℓくらいだったかなぁ。今は、避難することは無いと願うしかない日々でいる。今後、避難が必要になったら、指示されているルートで、走行になる。車が走行するようになれば、途中に開設されるスクリーニング検査を受けてからとなる。避難時は、肌を出さないことになる。当地方で、ちょくちょく地震がある。原発立地の町で、震度6弱以上の地震が発生をした時は、「警戒事態」となる。先の大震災は、東北地方太平洋沖地震で、6弱と6強が襲ったとある。先ずは、大地震が発生しないことを願っている。

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帰宅する日

2024年03月19日 13時00分14秒 | Weblog

先の大震災時に、原発事故の放射線の不安におののいて、義弟宅に世話になった。画像は、六日間目に、帰宅するので、身の回り品の車載の状態。ほとんどが、介護で使う物。荷物車だが、後部座席は、取り外して、車椅子とポータブルトイレを固定した。車椅子は、安全ベルトで、体を安定させた。ポータブルトイレは、木製で、背もたれに、蓋に、クッション材が使ったあったので、腰を掛けるには、都合が良かった。ポータブルトイレは、世話になっている間は、リフトがないので、使えなかった。ハイエースバンの荷物車だった。後部座席の取り外しは、改造車扱い。車検の時は、座席を設置しなければだめ。座席は、特殊のねじで、固定されていた。そのねじを、なんとか緩めて外し、車検の時は、座席を設置して、ねじを締めて固定をした。画像は、20日のだが、前日の19日は、義弟から自転車を借用して、食料品が買えるところがないかなぁと、走っていたら、ガソリンスタンドへの列があり、軽油もあるというので、急ぎ戻り、2000円分、補給ができた。と云うわけで、画像になった。冒頭の、放射線の不安におののいては、当時、原発の安全神話だけだった。阪神淡路大震災の後、コミュニティ防災のしおりが、配布されているが、原発事故が発生をした場合のことは、記載がないと、記憶している。現在は、「原子力防災の手引き」が配布されている。屋内退避、避難となった時、どのようにして、その情報を入手すればいいのかなぁです。

 

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安定ヨウ素剤の配布のお知らせ

2024年03月16日 12時16分34秒 | Weblog

画像は、先の東日本大震災が発生して、原発事故が発生した時の、三月18日のいわき市長からのメッセージの一部。当時の12日の夕刻、原発から20km圏内居住地の知り合いに会った。その際、ヨウ素剤を持って避難してきたという。「ヨウ素剤をですかぁ」くらいのことしか、わからなかった。この画像のお知らせを、取っていた時、若いお母さんが、窓口の担当者に「ヨウ素剤は」と、息急切りながらたずねていた。その後は、ヨウ素剤は、無用になった。この日の、市役所からの「お知らせ」は、「ヨウ素剤の配布」、「食事の事」、「ごみ収集のこと」、「給水可能になった地区」、「給油ができる所」、「避難所一覧」、「環境放射能測定値表」等などだった。「お知らせ」を隣組に配布することは、独自の判断だった。町内会に、防災関係の組織はあり、町内会部会の一員だった。今は町内会とは、無縁で、防災会の事は分からない。

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最大震度5弱

2024年03月15日 11時41分19秒 | Weblog

14日の深夜、強い揺れでびっくり。ガラケーにも、「地震発生、地震発生」が、揺れている最中に、着信。揺れが大きく、鎮まれぇ!、鎮まれぇ!って、でも揺れが続いた。揺れは長めだったが、収まり、テレビには、「緊急地震速報」。画像は、NHKのテレビから。地震の際は、東京電力福島第一、第二原発に、異常があれば、放射線量の事が、気にかかる。放射線量の値は変わらずだった。気にかかる一番目は、エアコンの作動で、換気させないこと。今の時期は、作動はさせない。夏の期間の場合で、放射線量が増加した時は、屋内退避になる。当地方が屋内退避ってなれば、原発周辺は、えらいことになるのかも。まあ、そんな事態にはならないだろうと、高をくくっている。昨日の地震は、立っていた時で、ドンって音が聞こえた瞬間に、足元がふわーっと浮き、上下左右に、グラッグラッグラッて、短い時間の揺れだった。最近、地震が多いのかなぁ。

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UPZ

2024年03月12日 12時00分44秒 | Weblog

画像は、先の福島第一原発の爆発事故が発生した、三月13日の市役所からの「お知らせ」。久ノ浜、大久地区の住民の安全確保する予防措置として、避難所へ移動を願うお知らせ。前日の12日は、原発から20キロ圏内の知り合いが、避難をしてきたと、訪ねてきた。「えぇーっ、そんなにダメなのぉ」と、聞くと、朝食の途中に、切迫した防災放送で、直ちに避難をすることで、逃げてきたというので、驚いた。表題の、UPZは、先日、市役所からの防災情報ペーパーにある。そのまま載せます。「いわき市は、福島第一、第二原子力発電所から30Km圏内にあり、市内全域がUPZー緊急防護措置を準備する区域ーに設定されています。原子力災害時には、状況により、「屋内退避ー建物の中に入るー」や、「一時移転ー一週間程度のうちにその地域からはなれることー」、「避難」が必要になることがあります。」とある。最悪の避難になった時は、遠方へ移動するようにと、経路の地図が配布されている。このUPZは、原発が安全になるまで、まだまだ続くようだ。

 

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早春

2024年03月10日 13時31分42秒 | Weblog

画像は、前回と同じ、11時ころ着いた、道の駅ひらた。このあと、どんよりとした雪空が、明るくなった。駐車場に入る車が増え、係の人が雪掃きを、始めた。今日も北風が吹き荒れている。「春は名のみの 風の寒さや 谷のうぐいす 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず」。言わずとしれた、「早春賦」。あと一週間もすれば、彼岸の入りになる。経験則で、「暖冬のあとは、低温の春」とか。「暑さ寒さも彼岸まで」とか。寒さも峠かなぁ。20日は、彼岸の中日になる。その頃の当地方の日の入りの時刻は、17時48分頃で、昼と夜の長さは、同じという。実際は、太陽が地平線に出た時刻とか、地平線に入った時刻とかで、昼間は、16分48秒長いと、へぇーそうなんだぁと読んだ。難しいことは分かりません。当地方の日中の最高気温の平年値をみると、春分の日は、11,8度。秋分の日は、24、8度とある。桜の花の開花が話題になっている。柳の木の芽吹きもいい。寒暖を繰り返して、季節の巡りになる。

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久しぶりの遠出

2024年03月09日 12時00分34秒 | Weblog

今日は北風が吹き荒れている。画像は、昨日の昼頃の、道の駅ひらたで、撮った。いわき市と郡山市のほぼ中間地点かなぁ。知人の葬儀に向かう途中で、道の駅ひらたで、小休止。雪が舞っていた。駐車場は、シャーベット状。当地いわきを、小雨模様の十一時ころ出発。10キロほど、山側に走行したあたりからは、銀世界。対抗車の水しぶきを、ワイパーで払いながら走行、所々の気温の表示は、0度、1度、帰りが遅くなると、路面の凍結かなぁと、思いながら走っていた。道の駅ひらたからは、南下して走行、福島空港付近は、薄日がもれ、中道り南部の斎場到着頃は、温かな陽光だった。車の中は、暖房で暖かく、薄着、車外に出ると、ぶるるっと寒かった。午後三時頃、葬儀が終わり、帰路についた。夕刻の五時前に、帰着できるなぁで、出発をした。冬用タイヤーは、装着してあり、少々の雪道は大丈夫と思うが、シャーベット状は、ダメだろう。大昔の事で、ちょっとした上り坂で、渋滞で停車、いざ発車としたら、空転。ありりゃだった時、後方の車から、二人下りて、押し出してもらったことがある。この時は、アイスバーンだったと思う。近年は、雪道の走行は、何年もない。滑る雪道の怖さは、大昔に何度かある。注意に越したことはない。

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ページ揃えに

2024年03月07日 11時27分08秒 | Weblog

画像は、拙い冊子の中仕切りに使った。印刷は終わり、ページをそろえている。冊子の厚さは、ほぼ1センチになつた。総ページ数は、A5判で130頁ほど。コピー紙と、普通紙の厚紙と、スーパーハァイン紙と、その両面紙。この両面紙が多いので、厚くなった。今回も、三ケ所に穴をあけて、和綴じにする。使うのは、ポリエステルの20番の縫い糸。時代遅れと、分かってはいる。知り合いの印刷所に、持ち込めば、製本できるかなぁ。細かい仕事では、ありがた迷惑かも。手持ちの製本機でも、製本が出来るが、スーパーファイン紙が厚いので、素人の製本にはダメと、あきらめている。今回の冊子で、終わりになるかもと、思っている。知り合いに、送り終わって、そのあと、何か案が湧き出てくれば、いいのだがなぁです。

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