四字熟語にあった。引用すると「竜が天空に奮い興って、雲をわき起こすこと。徳のある天子が立つと、おのずと賢明な臣下が現れるたとえ」とある。今の我が国に必要な言葉ではないかと思う。今年の干支は、「辰」。「辰」は「龍」なのだろう。今年の干支の「辰」は、十二支の五番目ので、現在の世の中に存在していない動物だ。「神獣」とか、「霊獣」とか、縁起のいい想像上の動物だ。四字熟語に、「竜虎相博。竜やとらのように力が伯仲した豪傑、強豪などが、全力で勝負することをいう。」とある。縁起のいい干支にあたっているので、必ずや、いい年になると、願っている。画像は、今年の賀状に書いたもの。大震災や、原発事故によって、不自由な毎日を送っている知り合いが多い。例年のような新年の挨拶は出来ない。避難生活をしている知り合いが、お茶を飲みに立ち寄ってくれる。明るく話しているが、現実的なことになると、くもり顔になってしまう。ちょつと辛い気持ちになってしまう。今年は干支にあやかって、良い年になるよう、願っている。
けいせいさいみんー「世の中をよく治めて人人の苦しみから救うこと」。類義語に「救世済民」。「経国済民」がある。新明解より。今の時代は、長年の繁栄のつけが、まわつてきて、政府も、「にっちもさっちも」と、いかなくなったのかも。長年、政府に無い袖を振らせた、つけがまわって、その「つけ」は、今後もずうぅぅっと、つづくのかも。はなばなしく、政権の交代があって「事業仕分け」。「埋蔵金」。「給与の削減」。「議員定数の削減」。これらのことを解説した本を、大枚をはたいて買って読んだ。消費税は上がらないとも、読んだ。今年は大震災があり、原発事故があり、放射線のこともあり、大変な一年だった。「弱り目に祟り目」ってうこともあるようだ。今となっては、「なあぁぁぁんだぁ」って、なってしまったように思える。ちょつと、期待しすぎたかなぁ。国会議員様が、離党すると、ニュースで見る。ご都合のいい方に、身を動かしているようにも思える。追い道わずかの小生が、考えることてもないとだと。そんなことより、正月を迎えて、来年は、いい年になるように、願うことのほうが、我が身になる。そうだ、今日は神社に、神札を頼みに行く日だ。
画像は12月になつての、満月。信号待ちしている時に、パチリしたもの。話しは変わって、近隣国で、三代にわたって、独裁国家になるようだと、ニユ-スで見る。同じ言葉で話すことができるのに、国の体制が違っている。昭和20年に、日本が仕掛けた戦争に負けて、終戦になった。その時に、朝鮮半島は、南と北に分断され、共産主義と、自由主義の、占領軍によって、統治されたのだろうか。昭和25年になって、朝鮮戦争が勃発した。境界線の南側は、警察力ほどの、軽装備で警戒をしていたそうだ。北側は、監視して見える範囲は、軽装備のようだったが、30万人の兵力と、戦車、大砲とかの、重装備で、なだれをうって侵入してきたという。当時、日本にはアメリカ軍が、進駐していたが、日本に展開しているアメリカ軍を、韓国に出兵させてしまうと、日本の防衛ができなくなり、北海道が、他の国に支配されてしまうという懸念があったという。そこで、自衛隊の前身、警察予備隊を創設したという。小さい島が点在している日本は、今、領海を越えて、ほかの国の漁民が、魚を採りに来ているという。世界の各地で、いさかいが多い。資源が欲しい、財貨を貯え、勢力をのばす。すかすかの脳で考えるは、ここまで。いずこの国も、「カネ、カネ」ってかぁ。ふうてんで、七十六年、「金銀は世の渡りもの」って、待っていたが、かすりもしなかったし、「食い物のも恨みは怖い」ってかぁ。支離滅裂は、毎度のこと。ご容赦を。
残暑の9月に遠くに出かけた時の、いわき駅の昼下がりのホ-ム。たまたま、積どくだけの「いわき市史」の第4巻の近代を、ぺらぺらしていたら、終戦の年、昭和20年の12月に閣議で「戦災地復興計画基本方針」があった。戦争で、この旧平の市街地も、三回の空襲によって焦土と化したある。その復興計画で、当時の平駅は、菱川町付近に移転をして、南北につらなる、駅前の道路も、幅員は36メ-トルにしようと、計画をしていたとある。もう、60年も前のことだ。今の「いわき駅」が、菱川町付近に出来たら、景観はどのようになっていただろうと、考えてみた。遠い昔の計画のことだ。たまぁに、ぺらぺらと、めくって見るのもおもしろいかなぁ。「温故知新」ってゆうこともあるなぁ。そんな、大げさのことではなく、「へえぇぇっ」て、読めばいいんだと、まあ、ひとりよがっている。
画像は11月の雨夕暮れ時。冬に向う氷雨が、路面をぬらしている。ちょっと停車して、パチッとしてみた。別の話し。原子力発電所が、冷温停止をしたと報じている。避難をしてきている人と話す機会がある。あきらめの境地だが、時がかかってしまうのだろうが、帰る日を待っている。まずは、放射線の影響が少ない年齢のひとが戻って、環境を整えたいと、話す人もいる。ある週刊誌に載っていたこと。原発事故で、放出された放射線のセシウムは、内部、外部被爆によって、体内に入っても、身体には沈着しないし、尿として排泄されて、消えるという。福島県民の一部の4463人を、九月末までに検査をしたが、ガンが増えるレベルではないとある。福島県民の被爆の量は、最大でもチエルノブイルの避難民の、六分の一とある。チエルノブイリの避難民が、25年経った今も、セシウムによる発ガンの増加は、確認をされていないとある。今回の原発事故から放出された放射線は、セシウムだけのようだ。ほかの放射線が、検出されても、それは過去の事故によって放出されたものだとある。原発事故が収束されて、ちよっとは、光りが見えてきたのかも。
在宅で介護をしている義母が、使うリフト。ポータブルトイレ、車椅子に移乗する時に、ヘルパーさんも使っている。いつも、上品なばあちゃんで、「いただぁきますぅ」、「ごっつおさまでした」と、礼を言う。ある時は「この世からあの世へいくんだからいらねぇよぉ」っと、いう時もある。「饅頭食べっけぇ」って、声をかけると、「ほおぉあんのげぇ」って、目を細めて食べる。買い物に行ってくると、声をかけると、「甘ぅくて、うめえぇもの、いっぱい買ってこおよぉ」って。食べるのがなによりの楽しみのようだ。そんな、ばあちゃんも、月に一度か二度、頭の中のスイッチが、悪いほうに入ってしまうと、声を荒げたり、オムツ替えの、わが子をこぶしで叩く。娘だとわかっているのだが、認知症なので、わきまえがなくなる。元気の証拠だ。年があけて夏になると、98歳になる。ある牧師さんの講演のなかにあった話し。知的障害のこどもが、施設から、社会復帰の訓練のなかで、お金の価値を、500円、100円、10円で、一番大切なのはと、聞くと、いつも10円という。やはり知的障害なのかと思っていたそうだ。しかし、よく聞いてみると、その10円は、大好きな父親と、娘の帰りを待ちこがれている母親の声を聞く、電話機に入れる、10円だと、言ったそうだ。「かあぁちゃん、とおぉちゃあん」っていたのかなあ。いろいろのな家族があるのだなぁと、いつも思っている。
画像は、ちょつと前の、市街を抜けた、夕暮れ時の、初冬の山野。なんの変哲もない風景。別の話し。70年前の、昭和16年12月8日は、日本が戦争をしかけた日だ。今、沖縄の基地のことでが、報じられている。戦争によって、生じたことだと思う。自国を守るための戦争であったのか、知る由はない。敗戦となって、各地は焦土して、そこから、復興して、現在の世の中になった。今回の大震災は、日本の国土のほんの一部かもしれない。原子力発電所の面積は、狭い日本の国土の、ほんの一地点かもしれないが、原発の事故の影響は、広がってしまつた。日本の国土を守る仕事の、自衛隊によって、除洗という大規模の、復興が始まった。何時までも平和で、四季折々の彩りの、山野であってもらいたいものだ。
放射線は、小生の居住している近辺は、八月に計測した値と、今も変わらないようだ。放射線の風評は、悪い。20キロ圏内に、一時帰宅する知人が、関東圏に避難をしている妹を、最近呼び、同行することになった。そのとき、関東圏からきた妹は、防護服をまとい、帽子とメガネ、マスクをして、靴は、ビニールで包み、完全装備で、来たと話していた。このような防護のいでたちは、20キロの圏に入る、中継地で着用するという。完全な装備に、知人はびっくり、その妹は、兄があまりにも普段着で、出迎えられたのに、お互い、びっくりしたとか。また、新聞のコラムに、仕事で関西方面から応援にきた人の中には、「いわきでは、放射線のこともあり、誰もがいつもマスクをかけている」と、伝えられていたので、いわきの歩行者は全員が、マスク姿と思って、赴任をしてきた。しかし、いわきに来てみて、マスク姿は、数えるほどしかいないので、びっくりしたとか。画像は、4月の12日に載せたもの。原発の事故で、当時、冷蔵庫の中の食料品を積み、介護で使う用品を積み、夜具を、生活用品を積んで、夕暮れが迫る頃、走り出した。車の燃料は、残り250キロは,走れるのだが、渋滞で、どのくらい消費してしまうのか、不安だった。その時の状景を思い出すと、背筋がぞおぉつとする。