画像は、昨日の十五夜。当地方の月の出の時刻から、一時間ほど経て、撮った。小生の小型のデジカメでは、これが最大。カシャッとしてからは、雲が流れて、真ん丸の月。薄く雲がかかっているのか、ぼんやりの月だった。お月見は、10月27日に、十三夜の月が見られる。この十三夜月を愛でなくてはダメ。愛でないと、片月見といって、忌む風があるという。日本固有の習俗で、かつては秋の収穫祭の一つだったと、読んだ。歌詞全部は分からないが、童謡に、「お月さまいくつ、十三七つ」がある。?。「十三夜の七つどきの月」のことと、読んだ。風情ぶち壊しで、「月が でたでた 月がでたーーよいよい」ってがぁ。これまた失礼しました。
画像は、十五夜様に今夜供えるもの。月見団子と葡萄。今夜の十五夜様は、芋名月とか、里芋と栗とすすきの穂と萩の花が、あれば良いのだろう。買出しの予定はないので、画像の供えで愛でる。葡萄は、頂き物で、シャインマスカットと巨峰。ひと房は、すでに昨日いただいてしまった。「美味だぁ」。スーパーの棚に並んでいるのを、食べてみたいなぁと、横目で見ていた。満月のことで、潮の干満を知ることによって、昆布の生産をしているとか、竹炭を焼くのには、満月がいいとか、お酒の仕込みに、満月の日をえらぶとか、塩を作るのに、満潮の時に汲み上げた海水を使うとか、月の光を愛でる方々がおられると読んだ。齷齪している日々だが、満月を愛で、明日から、月が欠けていくのに合わせて、体に蓄積されたエネルギーが、体内から出ていくとかと、風邪をひくと長引くから注意と読んだ。新月からの二週間は、月が満ちて行くのに合わせて、体にエネルギーを吸収していくとか。手元に残っていた古新聞などからです。「花鳥風月」ー「自然の美しい景色。月をめでるー。「花朝月夕」ー春と秋の気候のよい時ー、花朝は、陰暦の二月十五日、月夕は、八月十五日のこと。「明月清樽」-美しい月と上等の酒の意、と読んだ。古来から季節を愛でる言葉がある。「いつも月夜に米の飯」ー現実は闇夜もあり、米が食べられないこともあると、我が身をいさめている。湿っぽくなったので、今夜の月見は、下戸だが、美酒をなめてみる。
画像は、八月14日に載せた「書きのこして」の歌に、お礼の手紙を送った。後日に、書き改めたのが届いた。「じゃんがらの 鎮魂のかね 空を舞う 母のぬくもり とわに消えぬる」。歌を詠んだ情景は、「じゃんがら念仏踊りのあと、遠方からいらしゃっていた娘さんが、おばあちゃんの仏写真に、何か話しかけられ、そっと涙をぬぐっている姿をみて」とあった。とっさの瞬間の情景を、文字にして残したものに感銘をしている。じゃんがら念仏踊りは、暑い最中の、当地方の盆の期間の風物詩。亡ばあちゃんの一連の仏事は、盆の期間で終わり、秋の彼岸の墓詣りで、和尚さんに会い供養の礼を述べた。近々供えた花をを下げ、墓掃除をする。
秋の彼岸も終わる。画像は、廊下に秋の陽光が、差し込んでいる。午後の三時を過ぎると、日落ちに、秋の夕暮れを感じる。数日前までは、あちぃちぃ、あちぃちぃだった。当地方の、日の入りの時刻は、五時20分に近かずいて来る。冬至の頃の日入りは、16時20分頃になる。猛暑が終わって、秋が巡ってきたなぁと感じて、時が早く過ぎていく。お月見は、29日、もうちょつと、暑い暑いがあるのかも。またまた同じこと。「秋の入り日と年寄は、だんだん落ち目が早くなる」、秋の入り日は、年々変わらず同じ時刻、年寄の落ち目のことは、ここ十数年前から実感をしている。何処まで落ちていくのか。落ちる先は、分かっているが、何時になるのかは、知るよしもない。一番恐ろしいのは、心がさもしくなるという、「貧すれば鈍する」こと。さもしくならないようにするのは、自分次第。「貧乏は達者の基」とある。健康だけの達者を、願いながら、所在無しで、一日が終わる。またまた、年寄の繰り言です。
画像は、墓に供えた菊の花。彼岸や盆、命日、その他の日に供花する時に、スーパーに行くついでの時に、花屋さんに予約をして、購入をしている。供花すると、大きく花が開き長持ちもする。小生は、云われれは、買いに行くだけ。今の時代は、注文をすれば、何時でもある。旧暦では、九月九日は、「重陽の節句」という。菊の花が開花するころで、中国伝来の易学で、陽の数字の九が重なるので、重陽の節句で、五番目の節句。旧暦では、今年は、十月の23日になる。その昔は、節句ー節供ーは、年中行事行う上で重要だったとか。一月、三月、五月、七月は、節供になっている。九月は、菊の節句で、酒に菊の花を浮かべて楽しみ、栗ご飯を食べて、不老長寿を祝うと読んだ。あちらこちらと、めくって、へぇとか、なるほどなんて、読んでみたが、ますまわからなくなった。「命、長ければ恥多し」とある。また、「命、長ければ蓬莱に会う」とか。「蓬莱」とは、「不老長寿の仙人が住むという、古代中国の伝説上の神山」と読んだ。我が身の命は、なんて考えてみても、わかるはずがない。浮世の波まかせで生きていく。「貧乏に花が咲く」ということは、先日の市役所からの敬老祝い金だったなぁ。あっちゃこっちゃのことで、「恥多し」。ご容赦。
88歳の祝い金が、月末に振り込まれる。ありがたく頂戴をする。先日、運転免許の更新をした帰り足で、市役所に寄って手続きをした。昨日のテレビのニュースで、あちらこちらの自治体で、敬老の祝い金の支給が多額になって、可にするか、不可にするか、議論をしていると、見ていた。それぞれの自治体が、決めること。いただいた敬老祝い金は、高齢者のくくり。医療保険の使い額も、低額、介護保険は、今のところ使っていない。これから先の事は、知る由もない、今は、高齢者なりに、過ごしている。いただく祝い金は、我が身としては、個人名宛で、納税をしている、その一年間に納税をした額の、半分にも満たない。不満を云うわけではない。以後も納税をする。76歳過ぎまで、零細会社だったが、それなりに働き、納税をしていた。個人的にも、納税をしていた。納税のためのお金の、苦労も味わった。過ぎ去った納税の愚痴を言う前に、それなりに働らいていたのが、楽しかった方を、思い出すのが良い。敬老祝い金は、ホットひと息入れられるありがたさだ。
「温故知新」と、麗麗しく書くほどではないと、承知している。今の時代は、気象の事は、テレビ、新聞などで、詳しく知ることができる。連日の猛暑も、週明けには、和らぐようで、「暑さ寒さも彼岸まで」の言い伝え通りになるようだ。画像は、5月30日ころに載せたものの、今年と来年、再来年の部分になる。帯グラフの1本は、一年、365日。帯グラフの、上段は、今年。旧暦で、二月が二回ある閏月で、春の期間が長い。秋9/16は、九月十六日頃から、秋が訪れる。2024―令6ーの、秋9/4は、今年より12日早く、九月四日頃から、秋が訪れる。また下段の、2025ー令7ーは、9月23日ころから、秋が訪れると、旧暦を基に、グラフにしたもの。このグラフから見ると、再来年は、今年以上に猛暑が続くかも。この年の夏は、五月28日頃からで、旧暦の6月が閏月で、58日間、六月の異名の、水無月のように、日照りが続くかも。時代遅れの旧暦からの、へぼ予測をしている。今年の中秋の名月は、九月29日、旧暦の八月十五日、芋名月という。十三夜の月見は栗名月とか、旧暦の九月13日で、10月27日になる。昨年より、遅くなっている。秋の季節の訪れは、イチョウの黄葉や、コスモスの開花、紅葉の見ごろで、観測をするという。山野を愛でる出歩きはないので、テレビの画面で、季節の到来をみている。
若かりし頃の、思い出のゴルフボール。数年前に、草刈りゴルフはやめた。画像の右端しは、一ダースを買い置きしていたのを、忘れていた。箱にUXとあるものは、数年前に、コンペに誘われたときに、三個入れを三箱、購入をした。三個入れのボールは、同じ数字なので、ほかの箱の数字が違うのを入れて置く。へぼゴルフなので、ひん曲がりして、ラフに行く。暫定球を打つので、数字が違っているのがいい。誤球もなくなる。キャディさんが付いていたので、キャディさんに「これを使います」と、申告をしていた。山岳コースで、OB二発。その時の、同伴プレーヤーは、初対面だった。右下にある二個は、ゴルフ場からの景品だったもの。一時期、同業他社との交流の意味もあって、コンペの幹事をしていたので、コンペの賞品として、ゴルフ場から、ボールの提供があった。左側のネームタグのゴルフ場は、新設だった。思い出のゴルフボールの使い道は無く、廃棄処分になる。
画像は、小生の居住地近くの、水位観測地点の、八日にネットで見ていた値を、書いていた。この観測地点の観測値で、当該地区への浸水が、どうなるのか、自己判断をしていたた。前述したように、水位の最高値は、23時20分に、5m87cmになり、その後は、水位が下がり始めた。数値の事は別にして、22時20分に、水防サイレンの、吹鳴が聞こえ、必需品を二階に上げた。事無きで安堵をした。以前から、ハザードマップで、2メートルの浸水が発生となる。8日の15時に、防災メールで、土砂災害の発生が、考えられて、高齢者などの避難が発令されている。まあ、たいしたことねぇべぇだったが、降雨がはげしくなり、テレビの気象情報で、当該地区が真っ赤になっていて、何かと準備が必要になるなぁで、動きだした。テレビの気象情報と、ネットでの水位情報を、交互に見ていた。当該地区は、難を逃れたが、これから先、水害が被るかもと、心して置く。
昨日の水害にあわれた方々に、お見舞い申し上げます。画像は、昨日の22時25分の、新川の水位の梅本観測点の図。このあと、23時20分に、5m87cmが計測された。その10分後に1cm、水位が下がり、日付けが変わった0時10分に、5m68cmと水位が下がりはじめて、当居住地への浸水は無いと判断をした。小生のガラケーは、防災メールの着信音が響く。「ルゥルゥルゥルゥゥーー」着信音は、「線状降水帯の発生」、「緊急安全確保」、六件の「河川の氾濫情報」、から、「いわき市全域河川流域」への、「緊急安全確保」の発令が、立て続けに、着信をした。先ずは、水位の上昇の確認をしていた。22時20分頃に、消防署の水防サイレンが、風雨の中に、尾を引いたり途切れたり、聞えた。緊急の消防車のサイレンの音が、消えては、また聞こえ、何台も、雨の中を走って行くのを、聞いていた。氾濫になるかもと、身の回り品を、まずは二階へと、運び上げた。テレビの気象情報で、線状降水帯の動きをみたり、水位情報をみたりだった。降雨も小康になり、数年前の大水害が発生した夏井川は、山間部からの水量は、氾濫するほどではないようだと、判断をした。河川の情報は、カメラで見られる場所もある。遠くから、消防自動車が、「かーんかーん」と鐘を打ってるのが、風雨にのって聞こえてきた。見回りしてるようで、ありがたかった。昨日の夕刻時から、風雨が激しくなり、安堵するまでの、七、八時間は、長かったなぁです。水害に合われた方々の、早い復興を祈念しております。
またまた、サザエさんをめくっていた。画像は、「よりぬきサザエさん 4 」の、ひとこまです。現在の小生の診察風景と、同じだなぁ。お医者さんは、代替わりして若い子息に、診察をしていただいている。この歳になると、あちこちと、生化学検査の健康基準値より、高い数値が三点ある。近日中に、再検査がある。前回に、薬を服用するほどではないが、経過は知った方がいいようだと。体のことの先々の事は、現状維持であればありがたい。とはいっても、劣化していく。どのような劣化になっていくのかは、分からない。手相で知ることができるとすればと、手をひろげて、この線のことかぁと、ながめてみた。生命線が、長いのか短いのか、比べるものがない。平均寿命という数字からは、上回っているので、生きている今は、儲けもので、生きているのだろう。「老少不定」は、「寿命はだれにも予測できない」という意と読んだ。人生の無常をいう仏教語と、またまた、わからなくなった。別のことだが、市役所から、88歳の祝い金を支給するから、手続きをするようにと、案内書が届いた。ありがたく頂戴をする。サザエさんのこと。サザエさんの第一巻は、昭和23年に刊行で、昭和55年ー1980年ーに、第68巻で終わったと読んだ。朝日新聞での連載は、昭和48年-1974年ー二月が最終回になったと読んだ。手元にあるサザエさんは、再刊のもが、段ボールに詰めてある。昭和を懐かしくというので、近年購入している。
またまた、サザエさん、週刊朝日、臨時増刊号、昭和の休日のひとこまを、載せました。月に一度、ぶらりと知り合いの本屋さんへ行く。「またまたサザエさんをさがして」や、「おたからサザエさん」、「季節刊のサザエさん」を、目につくと、購入をしてくる。懐かしくぺらぺらしている。サザエさんが、刊行していた時の物は、段ボール詰め込んであるはず。画像は、「それぞれの休み方」から。小生の昭和時代の最後のころと平成の始めころは、働いて遊ぶ、働いて遊ぶの繰り返し、はたまた、働きながら遊ぶ。遊ぶは、もっぱらゴルフだったなぁです。ひとコマを載せたのは、介護が終わって、所在なしのボケーとしている時に、山登りを経験していればなぁと、思ったことでした。この歳になっては、日常で二階へ行ったり下りたりで、辟易しているのでダメだと、分かっている。知人からいただく例年の年賀はがきの、登頂したと写真を付けての挨拶は、六枚ほどあった。でも、老い域から去ったり、普通の年賀の挨拶になったりしている。届いた山頂での写真は、若々しく、支度もしてあったりで、サザエさんのおじいさんとは、比べものにならない。小生が、53歳の時に、昭和が終わって、令和、平成と、時代が経ていくなぁと、寂しさもしている。
画像は、週刊朝日の臨時増刊の、「サザエさん」、2023春ー昭和の休日の、ある一コマをコピーして、貼りつけた。掲げた一コマは、パンクで困っているシーンで、小生、これから先、車を運転すれば、困った表情することもあるだろうなぁと、覚悟をしている。事故を起こさないという自覚は常にしている。車由来での事故は、不具合を修理すれば無いだろう。近場への買出しに行くだけなのだが、動かなくなった時の事を考えるれば、手入れをすることに、越したことは無い。先日の連鎖の中で、車検時に、経年の劣化で、ショックアブソバーの交換がある。車そのものは、古い。仕事をしていた時には、トランクには、ゴルフバックが積んであったが、もつぱら従業員が使っていた。仕事をしていた時は、ボディが長めのハイエース。軽油なので、エンジン音を聞きながら、二十数万キロ走行、走っているぞぉだった。今、使っているのは、針か振れ動くクレスタで、ハンドルも手に馴染んでいる。運転免許は、近々更新をする。近距離の運転だか、注意が散漫にならないことだなぁ。
画像は、当地方の八月の気温のグラフ。グラフの下側の水色の点線は、日中の最低気温の平年値で、赤色の点線は、観測をした値。緑色は平年値を、上回った部分になる。夜間が25度前後なので、寝苦しかった。グラフの上側の緑枠の点線は、日中の最高気温の平年値になる。橙色の部分は、当地方の海側の小名浜で観測をした値が平年値を上回った部分になる。その上の赤色の部分は、当地方の内陸部になる山田町で観測をした値で、小名浜を上回って暑い。九月になつたからといって、気温が急に下がることはないので、当分残暑が厳しいのだろう。当地方の今日の日の入りの時刻は、18時6分頃なので、夏至の頃の、18時頃と比べると、日暮れが早くなったなぁと、暑い中でも秋を感じる。秋がきて過ごしやすくなると、「秋の日は鶴瓶落とし」とか。「鶴瓶」とは、井戸水をくみ上げる桶とか、これは説明がないとわからない。「秋の入り日と年寄りは、だんだん落ち目が早くなる」というのは、実感をしている。別のことになったが、書き残してあった過去の九月は、「高温多雨」、「早冷多雨」、「東北低温」、「台風三個上陸」、「戦後屈指の台風上陸」とある。今日もテレビで、台風情報を見ている。温暖な十月になればいいのになぁと、願望をしている。とりあえず、皆様方に、残暑お見舞い申し上げます。