四十九年間の明かりが、消える。JRいわき駅から、歩いて、すぐに、位置していた。終わることは、何でも悲しいこと。始まりがあれば、終わりがある。企業の事情は、致し方のないこと。惜しまれながら、明かりを消すのだろう。
イトーヨーカドーが、今日で閉店になる。大きい店は、大きい店なりの、大きな変化があるのだろう。一口に、時代の流れの変化なのだろう。経済学には、時代の変化には、ほぼ十年周期の、ジュグラーの波という、中期の循環周期があるとか。クズネッツサイクルという、約二十二年の波があるという。比較的長い、五十年から六十年周期の、コンドラチェフの波があるとか。ぞれぞれの波が発生する要因があるのだろう。難しいことは、分かりません。これらとは別に、その店舗には、採算の度合いもあるのだろう。ひつとの時代の変化なのだろう。食料品の買い物には、便利だった。
先13日の地震のあとも、地震が発生している。揺れを感じると、大きくならないことを、願っている。26日の、福島民報に、「首都直下地震が発生した時は、全国の警察が、自動出動の、災害派遣計画策定と」の、記事があった。地震が発生することを、念頭に入れておくと、いうこと。首都直下地震は、いつ発生してもおかしくないと、言われている。予知はできないという。別のこと、先13日の地震で、福島第一原発では、タンクのずれの被害がが、53基あったという。処理水の漏れはないという。一号機では、圧力の低下がかくにんされたと、また、格納容器の水位低下も、確認されたと、報じている。今以上の、原子力災害が発生しないことを、願っている。
先日13日の地震には、驚いた。すぐに頭によぎるのは、原発のこと。報道では、1号機と3号機が、損傷が拡大かという。原子炉への注水は続けている。溶融核燃料の冷却は、問題がないと、報じている。画像は、8メートル50センチの高さの、大津波が襲った海水浴場の監視塔、地盤が沈下しているという。大きな地震が発生するごとに、避難するような事態に、ならないようにと、願っている。避難行動要支援者は、いわき市では、15325人と、報じている。数字を見ただけでも、びっくりしている。
先日、大きな地震があったあと、震度3ぐらいのが、ぐらぐらっと、ゆすられている。数日前は、福島県沖のほか、別の地域でも、起きている。なんか不気味になる。画像は、先の東日本大震災の、一年後に、撮ったもの。震災前は、この場所は、海水浴で大賑わいだった。画像の左側の堤防沿いに、海の家が並び、白い砂浜が大きく広がっていた。画像では、はっきりとわからないが、右端に、もう一つの監視塔が、写っている。大きな海水浴場なので、監視塔が二つあった。監視塔の足元に、満潮の時かもしれないが、波が打ち寄せていた。大震災の時は、沖合の岩盤がずれたという。断層のすべりの量は、最大で、20メートルから30メートル程度という。震源直上の海底の移動量は、東南東に、約24メートル移動、約3メートル隆起という。断層の大きさは、長さ450km、幅約200kmというので、かなりのひずみが、あるのだろう。地殻で、ひずみの動きが、これからもあるのだろう。大事にならないことを願っている。画像は、別のデジカメのもので、デジカメ本体がだめ。読み出しができないので、パソコンに保存してあったのを、今のデジカメで、撮った。
昨夜の地震は、びっくりした。画像は、神棚から、落下した榊。これのほか、それぞれの部屋で、ものかが落下した。大き目のガラスの花瓶が、落下して粉砕をした。まずは、足元から掃除機で小さい破片を吸い取り、大き目の破片は、手で拾った。介護で使う手袋を、二枚重ねをした。破片をつかむと、破けるように感じる。仏壇に供えていた水の、ガラスコップが落下して破損。水が流れてしまってので、仏壇は、小さいものが、いろいろとあるので、いったん全部取り出した。家庭内での物の散乱は、整理をすればいいこと。大事にならなくてよかった。別のこと。先の大地震で、陸地が引きずられ、地盤の沈下があったと、記憶をしている。海底で、ひずみが発生しているという。震源地点が、50キロの深さという。数字では、長さが理解できる。地表で、50キロ先はと、考えると、地震の威力の、長さが理解できる。表題のように、災難の先触れは無い。直下地震とか、東南海地震とか、何時発生しても、おかしくないと、言われている。大地震が発生しないことを、願うしかない。災害に遭われた方々に、お見舞い申しあげます。
あしたの、NHKのBS放送の、こころたびは、いわき市小名浜の、龍神岬とへそ石。画像は、鴨志田義康著「いわきの伝説」、絶版、より。こころ旅は、前回、2018年11月ころに、放映されたもののようだ。そのころ、拙いブログに、何回か書いてある。「へそ石」にまつわる話は、三話あり、いずれも、へそ石を、もとの岩の穴に戻すと、騒ぎが収まるという。一つは、へそ石を、手遊びをして、ほったらかしにしたら、海が荒れて、漁にでれなくなり、思いついて、へそ石を、穴に戻したと。また、海が荒れたある日。死んだ馬が流れつき、へそ石にぶちあたり、へそ石が、かっとなって、姿をくらまし、利根川の河口の村にたどり着き、村人がわら打ちに使っていたら、悪病がはやり、へそ石は、永崎へ戻せと告げたとか。戻したら、その村の悪病が無くなったとか。また。へそ石が出歩き、白髪の老人に化け、龍神のお咎めをうけ、砂に埋められたとか。村人総出で、砂を掘り起こしたとか。老人の告げたように、砂浜から掘り起こして、もとの岩の穴に戻しとか。それ以後は、悪病がなくなり、漁もできるようになったとか。今は、昭和59年に、セメントで、固定いてあるという。別の話。へそ石がある竜が埼に、武蔵坊弁慶がきたて、大あわびを、踏ん張って、取ろうとしたが、取れなかったとか。弁慶が兜を置いた兜石や、取ろうとしたアワビ石、1メートルほどの大きさのがあるという。
拙い小冊子を、作っている。前にも書いたが、千曲川旅情の歌の[二]を、書き直した。[一]と同じ字体だったので、ちょっと面白くなかった。画像の左側が、以前に載せたもので、右側が、今回のもの。日数をあけて、五、六回書いた。下手なりに出来上がった。「やそじおりおりに」と題して、第六集になる。カラーのページは、A5判で、六十頁になる。写真はA4判で、4枚。千曲川旅情の歌の[一]と[二]も、A4判で綴り込む。文字だけのは、震災と原発事故があった当時に、市役所からの「お知らせ」を、10枚と、ほか10枚ほど、綴り込む。面白いのに、仕上がるだろうと思う。
毎月、月刊誌を買ってくる。店主と立ち話をしながら、書棚を見廻して、面白そうだなあと、一冊、二冊買う。読みだすと、難しいものは、積んで置く。画像も、「笑って生ききる」の、表題につられて購入をした。「生ききる」というので、難しいのかと思いきや、対談やインタビュー、エッセーなので、読んでる途中でも、半端にできる。「生ききる」というので、「生きる」というのと、考え方ゃ思いが違うのだろう。現在の我が身は、老化のこと、病いのこと、家族のこと、などなど、将来に必ず変化がある。一つ一つの事柄に、思いを浮かべると、気が滅入る。その事柄に対処する方策を、考えておく。でも、なかなか、できるものではない。将来の、変化に付随することに、金銭が発生をする。一応の対応はしている。しっかりとした対応を、考えているのが、「生ききる」こととだと、心しておく。まずは、難しく考えないで、読み始めた。
在宅介護中の、ばあちゃんの部屋に、置いてある。テンドロビューム、イエローソング、キャンディーと添付してある。十日ほど前に、花屋さんから買ってきた。つぼみだったので、どんな花なのかと思っていた。添付してあったのには、小さい花が重なった絵だった。説明文には、温度の低いところ、週に一回、ごくわずかな量の水やり、開花中は、直射日光は必要がないとある。手間がかからないんだぁと。添付文には、無断増殖、交配親としての、使用は禁止とある。花屋さんに行くのは、仏壇への供え花を買いに行く。彼岸や盆に供える花は、白色と黄色の菊の花の、単品を買う。長持ちするので、助かる。供え花よりも、鉢植えののものを、買ってくる。
昨年九月頃買ってきた。そのころは、紅葉をしていた。そのうちに、緑の葉になって、寒くなって紅葉になり、落葉になった。屋外で鑑賞をするもので、寒暖の差がない玄関先に、置いてある。木そのものの季節の変化がずれているのかも。別のこと。暦をみていると、二月八日は、「こと始め」とある。ならばとみると、「こと納め」が、十二月八日。作物を作るには、器具の手入れや、肥料の準備などなど、ことを始める日という。説には、いろいろとあるようだ。また、八日は、針供養ともある。針を使うこともあまりないと思う。衣服は、縫ったものを、着ている。着衣できるのにも、まあ、ありがとさんだなぁ。
昨日、花屋さんから買ってきた。蕾んでいるので、花が咲く楽しみがある。気分的にも、春になる。別のことだが、ものの本を、ぺらぺらと、めくってみると、「一陽来復」は、冬が終わり春が来ること。新年が来ること。悪いことが続いた後で、幸運に向かうこと。陰の気がきわまって、陽の気にかえおるという意があると、読んだ。世の中、新コロナウイルスで、大変なことになっている。ワクチンのことも報じている。昨日の、豆まきで、災害や疫病が、退散になれば、ありがたいこと。「食うに倒れず、病むに倒れる」ということもある。年寄りの愚痴は、食べることは、なんとかなっている。今の世の中は、一番は、予防すること。感染をすると、大変なことになると、心して過ごす。
我が家でも、豆まきをした。日々、何の変哲もなく、暮らしている。「鬼は外、福は内」と、小声で、豆をまいた。鬼追い払うのだが、災害や疫病を払うのが、本来の意味があるともいう。何時の日にか、災害にあうかもしれない。また、新コロナウイルスに、感染するかもしれない。感染予防は、している。外食は、全くしない。買い物する時間も、少なくしている。先日、知人の葬儀があったが、通夜に焼香し、告別式は、欠席して、弔電で済ました。在宅介護中なので、もろもろのことを、厳重にしている。画像は、ひと月、玄関先に掲げていたのを、替えた。