拙いブログに、ご来訪賜わりまして、ありがとうございます。毎回、支離滅裂。最近特に、そうだなぁと、思いながら、載せています。現在、「今日用が無い」状態で、日々暮らしています。「今日用が無い」イコール「教養が無い」というので、二つとも当てはまります。今年は、拙いブログの中から、拾い出して、「ヘボゴルフ記」。「やそじおりおりに第二集」。、季節の「ヘボ予測記」。ばあちゃんのこと「おかげさまで百三歳」。赤井嶽薬師常福寺の「夏大祭」と、五種の小冊子を作った。独りよがりで、はた迷惑なのかもしれないが、面白いと言っていただく。今、思案中は、「やそじおりおりに、第三集」。なんとかまとめてみたい。ご来訪の皆様、ありがとうございました。来る年も、よろしく、ご閲覧のほど、お願申し上げます。年末の挨拶をさせて、いただきました。
ささやかだが、正月を迎えられる。昨日、飾りつけをした。門松は、松と竹というのだが、松に榊とりんぼうで、門松とした。ちょつと離れたところにある、猫の額ほどの空き地にも、井戸と、氏神様にも、門松を飾った。一休禅師の狂歌に「門松は 冥途の旅の 一里塚」。下の句は、「めでたくもあり めでたくもなし」という。この狂歌を実感する年齢になった。後期高齢者に区分されており、医療のなかでも、認知症の心配がある。体のことは、お医者さんに、「年齢なりにですねぇ」と、これといって、苦になるところはない。何年か先には、末期高齢者という区分になる。来年も、健康を願っているが、いつ、どうなるのかなぁだ。我が家は、つつがなく、越年できる。来る年も、平安を祈念している。
在宅介護中のばあちゃんの、うんちの事を記録しておくのに、二か月横続きのカレンダーを、探していた。知り合いの本屋さんに行ってみた。余分なカレンダーありますかと、物色した。これがいいなぁと、いただいてきた。カレンダーには、排便のしるしをつける。おむつにしたとき、ポータブルトイレの時、摘便をしてもらった時と、印を書く。その印を見て、排便の状況を知り、対処している。そのために、横に二か月続いているのが欲しかった。ヘルパーさん、看護師さんが、カレンダーの印をみて、ばあちゃんの状態は印の記録をみる。そのためのカレンダーにしてしまって、申しわけない。聞くと、毎日新聞社からのものだという。お詫びのしるしに、唄ってみます。「頭を雲の上にだし 四方の山を見下ろして かみなりさまを下にきく ふじは日本一の山」。横山大観の、展覧会の案内もある。
風采で、その人の事を、判断しては、駄目なことと、分かっている、が。ちょっと前の夜に、近所に、徒歩ででかけた。街路灯の明かりが、薄暗いなか、道を問われた。酒に酔って、千鳥足。近寄ってきたので、身構えた。「橋を渡りたいのだが、どっちへだっぺぇ」だった。聞くと、南へ向かうようだ。三つある橋の、西側のようだ。この道を直進すると、大きなスーパーの看板が見える。酔人は、川に出れば、方角が分かると云っていた。酔人は、「秋田の方から、除染の仕事で来ている」と。かなり遠いという、「足は丈夫だから、大丈夫だ」という。宿の名は、云わないので、分からない。感じとしては、宿にもどるには、6キロ7キロあるようだ。そういえば、秋田の人は、お酒が、強いんだっぺぇなあの、印象がある。画像は、たまたまあった秋田の酒、その酒びんをカシャッとした。
在宅介護になってから、孫が、「ばぁちゃん、はい、お年玉」と、手渡される。うれし涙を、右手のパジャマの袖で、拭っていた。元気なころは、着物姿で、お正月を迎え、帯にはさんでいた、お年玉の小袋を、孫娘に、「お年玉だょ」って渡していた。「どうも」なんて、一言の礼だった。ありがた味が、分からないのかぁと、心配していた。今は、「ばぁちゃん」と、声をかけるだけ、いいかぁだ。近年は、お年玉をもらっても、手に持って、裏表を見るだけ。
以前のある日のことだが、四六時中、部屋の中なので、陽光を肌で受けるよう、廊下に出す時がある。ガラス戸をあけ、両手に、直接、太陽の光を受ける。最低15分間は、北風が冷たくても、我慢をさせている。もの珍しく、外を眺めている。「お寺さいくべぇ、あの世さいくべぇ」と、しきりに云う。「暖たかくなったら、車にに乗って行くべぇ」と、慰めるしかない。
いまでも、夜の間、なにか声を出して、しゃべっている。「じっちさぁーん、ばっぱぁさぁーん」と、呼んでいる。ふがいなさを、悲しんで、親に助けを、頼んでいるのかも。薄明りの電灯の下で、大きな目をして、しゃべっている。ばあちゃんの悲しい顔をみると、小生も、悲しくなる。幾つになっても、父親母親を、頼りにしているだろう。
軽度の、脳梗塞が、発症してしまい、入院治療後に、在宅介護になり、ご飯を食べさせていた。当時は、介護の様子や、ご飯の食べ具合は、知らなかった。日中は仕事、夜も食事のあとは、別棟で仕事の残りをしたりだった。あるとき、なんの気はなしに、朝のご飯を食べているところに、行った。すると、「それ食べろ、それ食べろ」と、無理じいをしていた。眠たいのを起こされて、機嫌が悪い。聞くと、前日も、十分には、食べていないという。まずは、安静にと、ベットに寝かせて。食べるしぐさをみると、口に入った食べ物を、舌で押し出す。飲み込む舌の動きが出来ない。飲み込む舌の動きが、できるようになるのに、ひと月かかった。今でも、半分眠って食べているときは、無意識に、舌で押し出してしまうことがある。
在宅のばあちゃんは、104歳の正月を、迎えられる。十年前に、大腸腫瘍を、切除の手術をした。無事に終わり、普通食になった朝ご飯に、添えてあった味噌汁を、「美味しそうに、のんだんだ」と、付き添っていた妻から聞いた。その状景を、詠んだ。味噌汁、そうかぁ、我が家のを、ポットにいれて持っていき、ご飯の時、隠れて食べさせた。その後は、順調に回復して、退院。約二か月弱の入院で、足の筋肉も衰えてしまった。食べることで、生きている。それも、元気にだ。別の話だが、料理家の土井善晴氏のエッセイに、料理をいただくときは、両手を使って、小鉢にものは、手に持っていただくと、一層美味になるという。短歌も、たしなんでいない。画像は、思いつくまま、書き残しておいたもの。
捨てようとして、奥の方から、ひっぱり出した。昭和60年刊なので、三昔し前に、にぺらぺらと、めくっていた覚えがする。大企業のことなので、「へぇ―、そうなのかぁ」なんて、読んでいた。その頃は、ちらーっと、株式のことに興味があった。「会社の寿命は30年の法則がある」とか。暇つぶしに、ぺらぺらと、読んでみるのも、いいかぁで、捨てない。「盛者必衰の理」、「衰亡招く第二の法則」とか、今の時代でも、当てはまるのかもしれない。読み物としては、面白いと思っている。
画像は、夕刻、五時ころの街中の夕暮れ。日の入りは、夕刻、4時の23分、日暮れは早い。「冬至冬中冬はじめ」のように、寒さはこれからになる。明日からは、畳のひとめずつ、昼間の時間が長くなるという。「冬至十日たてば、アホでも知る」と、いうこともあるので、なるほど、小生のことだっぺぇなぁ。「冬至十日は、日の座り」とか、「一陽来復」は、正月が過ぎてから、感じるのかも。冬至には、「小豆かゆを食べる」とか、「かぼちゃを食べる」とか、「こんにゃくを食べる」とか、「柚子湯に入る」とか、いろいろならわしがある。あと十日もすれば、正月だなぁと、ちよっと、うら淋しく感じている。
ブログの材料に、カシャッとした。柔らかかまぼこに、大根をすり下ろしたのに、濃い口しょうゆで、食べる。大根ずりの、水分は、甘みがあり、すこしの苦味。胃にはやさしく、すっきりする。白菜の味噌汁を作った。量が多かったので、葉のところを、青じそポン酢で食べた。丸大根漬けは、ぽりぽぽりと食べてしまった。器に入っている食材で、買ったものは、味噌と、かまぼこと、ラップで見えないが、数の子のわさび漬け。あとは、いただきものの食材。粗食だが、旬のものを、美味しくいただく、ぜいたくでもある。
大きな丸大根を、いただいた。皮と葉を取り除いたあとは、約8キロあった。二つに分け、砂糖と塩と酢で、ポリ袋に入れて、漬けこんだ。一日置くと、大量の水分がでる。この水分を捨てて、もう一度、砂糖と塩と酢で、漬けこんだ。二日目になると、味が付いて、食べれる。程よい甘さと、塩の味があり、今の時期にしか、味わえない。欲を言えば、もっと寒い、寒中にいたたいた丸大根は、なめらかな食感がある。一度漬けすればよかった。季節の巡りの、旬の物を、味わっている。
これは、簡単。文字を呼び出して、反転させて、色を指定して、出来上がり。背景は、ああしろ、こうしろと、指定するだけ。ウインドゥズになる前に、楽しんでいた。駄作、駄文に、お付き合い、くださいまして、ありがとうございました。
発色がよければ、自身作の一つ。インクリボンが、二回り、三回りすると、色が濁ってしまう。パソコンの画面では、きれいになっている。若かりしときの、自慢話。今では、このなこと、あぁーっと、いう間に、できてしまうのだろう。