八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

月いちゴルハ-

2006年03月17日 20時04分26秒 | Weblog
「 春うらら ナイスシヨツトが こだまする 」
今頃から ゴルフ日和が つずきます。 当地方は 雪の クロ-ズは ほとんどなく 今年は 一度くらいかな。 冬でも プレ-をして 19番ホ-ルも 楽しみです。雪は なくても風が吹き 風にめげずに
「 寒風に オナ-のショツトに 目をこらし 」 今年の 元朝参りには
「 初詣で スコア-アツプを まず祈り 」です。
体力の 衰えで せめてもの パツトは 
「 ちじれ芝 なでて広げたい スリ-パツト 」となつてしまいます。
では またね。
   
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憲法第二章第九条について

2006年03月11日 11時19分33秒 | Weblog
goo 掲示板 自衛隊 に メツセ-ジした文です。
はじめまして 門外漢です。 私の兄が 28年前仙台で 勤務していたとき48歳で 病死しました。その節は 大変お世話になりました。
九条がどのようにして できたのか 興味をもちました。 最近改正論が ありますので マツカ-サ-回想記{昭和39年朝日新聞社発行}を 読んでみました。
マツカ-サ-いわく 「「戦争放棄」条項は、私の個人的な命令で 日本に押し付けたものだという非難が、実情を知らない人々によつて しばしば行われている。」と 記述してあります。
時の幣原首相が マツカ-サ-司令官を訪ねた際に「「戦争放棄」条項を含め その条項では 同時に軍事機構は一切持たないことをきめたい。」と 提案した。
それを聞いた マツカ-サ-いわく 「私は腰が抜けるほど おどろいた。」と 記述してあります。 それが 当時連合国が 日本に求めていたものと ぴつたり一
致することも 知つていた。と あります。「それが戦勝国によつてでなく 日本人自身によつて達成されたのである。ただし第九条は、国家の安全を維持するため、あらゆる必要な措置をとることを さまたげてはいない。だれでも、もつている自己保存の法則に、日本だけが背を向けると期待するのは無理だ。攻撃されたら、当然自分を守ることのなる。」とあります。
また「憲法第九条は最高の道義的理想から 出たものだが、挑発しないのに 攻撃された場合でも 自衛権をもたないという解釈は、どうこじつけても出てこない。」とあります。 マツカ-サ-回想記のポツダム宣言や、原子爆弾の投下、大戦最後の十五日間の歴史上まさに類をみない爆撃、厚木に降りた第一歩、など 一読にあたいすると思います。
当時軍事秘書官ホイツトニ-将軍は 「マツカ-サ-は 日本が国家的にもつている、あの「武士道」とよばれている伝統的な 騎士道の精神を知り、また信じていた。」と 記述してあります。 

 
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気象の変動

2006年03月01日 23時52分20秒 | Weblog
今日の テレビニユ-スで 桜の 開花は 1週間から 2週間 早まると 報じていました。  旧暦からみると 当然の 事象、春の訪れは 早いと 思います
まさしく そのように なるのかな。
   梅の 開花  2月 18日  {小名浜測候所 生物季節 観測です}
 たんぽぽの 開花  3月 16日   左記は 平年の 値日です。
    桜の 開花  4月  8日
 あじさいの 開花  6月 18日
梅雨入りは 平年 6月 10日ころで 梅雨明けは 7月 23日 ころが
平年の 値です。  4月 4日ころ 春の荒れがあり 寒の戻りが 4月
24日ころに あつて 梅雨入りと なります。
今年は 長雨 梅雨寒が あつて 冷夏 なのでしょうか。 
       
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