八十路徒然なるままに

かげろうの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにもーーー。徒然草より

銭のなる木

2010年01月28日 19時38分10秒 | Weblog
時々、「革命」とゆう言葉が見られる。辞典で意味をみると「支配されている階級が、支配階級から権力をうばって、政治形態、社会組織をかえること」とあった。政権交代が「革命」なのだろう。議員様の数が絶対多数なので、なんでもやれるのだろう。独裁国家になって、先々、社会形態がかわるのかも。ことわざに「銭あるときは鬼をも使う」とか。「銭あれば木仏も面をかえす」とか。世の中は、銭、銭、銭。銭のない、アメェバ-的存在の小生は、せめて「銭のなる木」に水をやって、気をまぎらわしている。
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石--禅語百選より

2010年01月25日 20時23分51秒 | Weblog
禅語百選の中に「石」がある。「石徳五訓」のなかに、「黙々として、山岳、庭園などに、趣きを添え、人心を和らぐは石なり」と、禅者が、よく書き与えたとある。勿論このほかに四訓がある。また童話作話の浜田広介の「石」という童謡もあると、書いてある。何気なく使う「石」には、深い意味があるのだなぁっと、アメエバァの脳で考えている。脳は使わなくては、どんどんと退化するのだろうから、すかすかの脳でも考えることにしょう。**禅語百選 松原泰道著より**
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月いちゴルハァ

2010年01月21日 21時01分07秒 | Weblog
鉢植えの紅梅が満開になった。手入れもしないのだか、梅木は季節のめぐりを感じてるのだろう。陽射しがちよつと春めいたと思える。梅といえば、「ホオォォホケッキヨョ」なのだろうが。今日は寒い。今は暴風、風が唸っている。隙間風が、頭をなてでいる。そうだ、昨日のゴルフ。寒中と思えない、暖かさ。幹事曰く「寒い日だったら、なに言われかぁわかんねかったなぁ」と。集合時刻を見誤り、10分遅れを、連絡して、高速道路を急いだ。せかせかした気分でのショツトだったが、今回はOBが一回。ダブルぺリアのHDが16.8とでた。勿論、ラフも、フエャウエ-も枯れている。グリーンだけは、緑緑で鮮やか。シヨ-ト、ミドル、ロングホ-ルで、パアが取れて、ニアピンも取れて、まずまず楽しんだ。同期会の親睦コンペ。参加の人数がだんだん少なくなり、ちよっと淋しい気がする。足腰は弱って、時々痛む。日頃歩くことが少ないのだから、芝を踏みしめ、野外の空気を吸う。これがまたいい。今のところ、ゴルフができることに、感謝している。
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2010年01月16日 20時48分22秒 | Weblog
この字を書くと、気が滅入る。無智とか、無学とか、無一文とかしか浮かばない。きのう今日のテレビの報道を見ると、選挙でみそぎがすんでいるからとか。守屋洋著の「中国古典の名言録」からの引用で、「官に当たるの法、ただ三事あり、曰く清、曰く慎、曰く勤」がある。「清」については、前段があって、かくし事は、「天知ル、地知ル、子知ル、我知ル、何ゾ知ルナシト謂ワンヤ。」とある。テレビの報道を、野次馬的に見ていればいいのである。ことわざのように「人のうわさも、七十五日」かぁと思う。大人数の前で見えを切ったような、報道も見られる。数がすべてで、議員様の数は多い。前政権もそうであった。事の善し悪しは、国会で議員様が決めるのだから、それでいいのだとは理解している。ことわざに「人くずと縄くずは余らない」がある。議員様を縄くずと一緒にしては、いけないと承知をしている。それにしても大多数の議員様だ。爪に火を灯すような生活をしているので、別世界を見せられているような気がする。無一文だぁと云っても、税金は天引きされる。自分の「無能」をなげくしかないかぁ。
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.無

2010年01月14日 20時38分51秒 | Weblog
またまた「無」。嫌がられるのではと。アメェバ-ならば、生きるに必要な酸素があれば、あとはなにもなくてもいい、ないものねだりはしないで、生きるだけだ。とは云っても、有るところにはあるもんだなぁと、びっくりする。テレビの報道を見ていると、国民が選んだのだからと聞こえる。投票しなかった人もいるのだとも思う。日本の国の、方向が変わるとかもと、危惧する評論家も、あるやに聞こえる。先が見えている者が、とやかく考えたってしょうがないと、自嘲している。どうなるものやら。
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除夜の鐘

2010年01月10日 20時12分27秒 | Weblog
駄作は昨年末の情景ではない。去年の大晦日は、十六夜月で、月は輝いていた。数年前までは、紅白歌合戦が終わると同時に、初詣に行った。神殿の前の、長い列に並び、地面からの冷気を足裏に、冷たさをこらえて、詣でたものだった。見上げれば、揺れ動く木々の先に、星が瞬いていた。川向の小高いところにある寺から、除夜の鐘が終わり、元日になり、初突きの鐘が余韻を残して聞こえた。除夜の鐘は、百八回突くという。煩悩を打ち払うというので、そんなにあるのかと、物の本を読んでみると、ますます解らなくなってしまう。新年の願望はと思うと、この歳になると、老い道を不安に思う。仕事はなんぼ頑張っても、今以上は望めない。「両忘」、今を精一杯に生きる。これしかない、かぁ。近々草刈りゴルフに行く。当面の願望は、OBでボールが無くならないことかぁ。これだもの、煩悩うんぬんしたって、罰当たりめぇ、だと、新年から、自嘲している。
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2010年01月05日 15時51分56秒 | Weblog
前回と同じ日に描いた「無」。草書体なのだが、基本的な筆使いで、習い事の文字のようで、ちょつと面白味がない。アート的ならば、もっとデフォルメなのだろうが、楷書体の文字から、草書体に変形してたので、既にデホォルメされている。ひとりよがって描いたものなので、ひと様にお見せするほどでないのは、百も承知している。もともと、墨と筆で書く。墨を硯ですり、その墨の色具合で、表現する。理屈はわかっているつもりだが、書き込む経験がまだまだ不足していると感じる。まぁ、下手の横好きだっぺと、ご容赦ください。
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2010年01月04日 19時34分04秒 | Weblog
新年明けましておめでとうございます。拙いブログを、閲覧してくださいましてありがとうございます。今回は、気分を変えて、絵の具を使って描いてみた。緑色をべースに、ライトブルーを混ぜてみた。「へえぇぇー」なあぁーんて、ひとりよがっている。描くその瞬間に、筆の走りが出来具合を左右する。それがまた面白い。ちょつと前は、前衛書に興味があり、最近ではパフォマンス書が、テレビで見られる。「無」の文字を書いてみたけれど、無とゆう文字の持つ意味は、なあぁーんて考えてみたが、スカスカノの脳みそでは、考えてみても、しょうがない。解らないのが当たり前、修行が足りないのだ、自嘲している。
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