八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

毛筆書写技能審査

2013年01月30日 20時32分51秒 | Weblog
いわゆる書道検定。37年前の合格の知らせ。下手の横好きで、毛筆の文字を習っていた。あるとき、習っていた教場に、学校の宿題だといって、習字の先生に手本を、書いてもらっていた女児がいた。その手本をじいっと見ていた。聞くと、「無」の字が、習字の先生の手本と、学校で教わったのと、違うという。横にひく三本の線うち、真ん中の横線が、長い短いの違いだと云っていた。小生が、そおぉっと小声で、「家に帰って書きなぁ」って。下手の横好きでやっている分には、別にどうでもいいことなのだが、生徒に教えるには、学校で教えるものと、同じであるべきと、思ったものだ。同じ筆文字を習いにきていた、高校卒業したばかりの、女性が、将来、書道教場をやってみたいという、その女性と、二人で、検定を受けにいった。ふたりとも、合格。実技六問、楷書、行書、ひらがながあり、古典の楷書、行書、草書の臨書があり、掲示文を書いたり、また、自由作品を書いたりした。一問につき、半紙二枚で、仕上げた。理論が四問、高等学校の書道の教科書が、理解できて、教えられる技能と、知識の審査だつたと、記憶をしている。恥ずかしながら、ひけらかしです。
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国歌 君が代は千代に

2013年01月28日 19時48分57秒 | Weblog
半分居眠りしながら、見るとはなしに、大相撲の千秋楽を見ていた。取り組みが終わり、表彰式になり、国家斉唱で、音楽隊の力強い前奏で、館内に「君が代は千代に八千代に」と歌声が響いた。久しぶりに聞いた。どこかの国では、「国歌」が聞こえたら、その場で、なにをさておいても、直立不動で、歌わなければならないと、聞いたことがある。国があって、国民がいる。国民がいて、国がある。偉そうなことを書いているが、祝日に、「日の丸」を掲げていない。国旗、「日の丸」をどこにしまいこんだかも、忘れてしまっている。いまさら掲げては、おこがましい気がする。せめて小さいのでもあればと思っている。画像は、「かな文字」の基本を習う手本にあったもの。ずうっと昔の、古本。「君が代はちよにやちよに さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで」。
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暮色

2013年01月23日 19時58分01秒 | Weblog
冬のある日の夕暮れ空。いつも見慣れた空だが、秋の夕暮れと、くらべると、夕暮れの明るさがある。二月になれば、「立春」になる。日中の陽射しは、春のきざしがする。風は冷たい。今年の旧の正月は、2月10日。去年は、1月23日だった。春の訪れは、まだまだ先なのかもしれない。「立春」の前日は、節分、豆をまく。そのあと、自分の年の数と、プラス1個多く食べる。除夜の鐘も新年になってから、一回打つ。この1の数字が、意味があるのだろう。よけいなことだが、豆まきの豆は、79粒食べる習わし。59粒食べて、若返れば、いいべぇって、ひとりよがっている。
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延命措置

2013年01月21日 20時12分23秒 | Weblog
ばあちゃんの自慢の賞状。大正14年とあるので、11才の頃。ベット生活になってから、時々話し相手になる。出てくる話は、いつも同じ。自分の親の名、兄弟の名、子供のころ遊んだ友達の名だ。自慢は「成績優等とマラソンは一番だぁ」って。「あいうえお、かきくけこ、--。算数も一番だぁ、22が4、23が6―--」とやってみせる。「校長先生が、めんごい、めんごいって、なでるんだぁ」って。右手でなでるしぐさをしてみせた。別の話。テレビで、「人の末期がどうの」とか、報じているの見た。なにか物議をかもしているようだが、いろいろな事を考えるの当然のことと思う。人は誰でも末期がある。どんな状態で末期になるかは、誰も予想ができないと思う。一つの状態のことと、思った。在宅のばあちゃんも、当然末期がある。延命装置をとるのか、とらないのか、介護をしていると、そのほうから、話しが出てくる。小生は、その時に、判断をすると、問に答えている。今、家族で介護をしているのが、延命措置をしていると、思っている。ばあちゃんのご飯は、柔らかいので、食べさせいてる。大好きなまんじゅうは、自分で、フォ-クに刺して、食べる。ばあちゃんに限らず、誰もが、自分で食べれなくなったら、あきらめる。日頃、精一杯世話をすれば、悔いは残らないと思う。義父を、11か月、延命させていた、経験がある。普段も豪華な食事はできないが、食べれるだけ、ありがとさんと、自分にも言い聞かせている。
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一分銀

2013年01月19日 20時35分44秒 | Weblog
画像は前にも載せた。これが、使われていた頃の話。この一分銀を、一枚、旅篭に支払うと、ごちそう付の食事で、10日間、宿泊できたとか。これが、本当かどうかは、わからない。まぁ、そうゆう話があったそうだ。今ならば、10万円に、相当してんのかぁって、げすの小生が、考えている。
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初雪や二の字二の字の下駄のあと

2013年01月19日 19時58分20秒 | Weblog
ちょつと古い俳句だなぁ。日本各地に、雪の被害が、報じられていた。当地方、今のところ淡雪の、風情だ。大分前のことだが、葬祭場ができる前、日中雪が降っている最中に、葬儀があって、その家にいかねばならなかった。はじめての所なので、場所が不案内。携帯電話で、連絡をとっていたが、あたり一面、真っ白。道路から、少し脇道に入った家だった。車を止めて、携帯で、場所を尋ねたら、「そこから花輪が見えっぺぇ」だった。雪が大降り、視界が不明瞭。車の中から、あたりをキョロキョロと見回わしていたのを、思い出して、笑ってしまう。自分の車は、雪に備えているので、真っ白な雪道を、チエ-ンを付けて、わあぁっと走行してみたいと思う。雪国の人々には、怒られそうだ。
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薬より養生

2013年01月17日 19時35分44秒 | Weblog
在宅で介護をしているばあちゃんの、ある日のおかず。見た目も、味も、勿論美味しい。やわらかいので、スプ-ンで食べさせている。かれこれ、もう一年近くになる。飲み込む口の動作を、忘れてしまった時があった。口に入れても、舌で押し戻してしまう。この、舌で押し戻すことを忘れさせようと、小さいカップのアイスクリ-ムを、一時間かけて、飲み込ませた。ひと匙口に入れては、のどぼとけをさすったり、飲み込めるように、下あごを指で押したり、両耳の上のこめかみのところを、タイミングをあわせて、ぐりぐりと押したりしたものだった。こんなことが、二週間も続き、食べ物を口に入れると、舌で押し出してしまった時は、無理に食べさせないようにしていた。ダメかなぁと、あきらめたこともあつた。その間に、通院をして、点滴はしていた。今でも、週に二回、在宅で点滴をしている。食べることが楽しみになったのは、自分でフォ-クに刺して食べるまんじゅう、ようかん、自分の指でつまんで食べる赤ちゃん用の柔らかいお菓子を、食べさせてからだ。生きていく基本は、食べることなんだなぁと。たまあぁに話し相手をしていると、「おれ、死んじゃうのかなぁ」って。「大丈夫だよぉ。まんじゅうを食べて、おしっこが出て、うんちも出っから、大丈夫だよぉ」って、言い聞かす。おちょぼ口をあけ、目を細めて、笑ってる。
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うわさをすれば、影を差す

2013年01月15日 19時52分09秒 | Weblog
在宅介護している、ばあちゃんの「おせち」の一品。画像のほかに、「ちらしすし」とか4品あった。限定注文だった。一度は完売となってしまった。暮れ近くなって、キャンセルが出たのでと連絡があった。その日は、正月にばあちゃんに食べさせるのがないと、話しをしていた。「どうでしょうか」って連絡があった時、「ばあちゃんのおせちがなくて、残念だったなぁ」って話をしていたところだったと伝えた。「うわぁ、こんなこともあんだなぁ」って、びっくりした。画像のように、形があるものは、見た目でも、美味しい。おせちばかりでなく、日常の副食品も、普段でも品数が多くあるので、助かっている。目の前に並ぶと、指を指して、催促をする。食べれることが、長生きできるのだろう。
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餅の青かび

2013年01月14日 11時31分14秒 | Weblog
正月飾りの松を、七日に送った。お供えの餅も下げた。画像のように、「青かび」が生えていた。昔からの言い伝えに、「お供えの餅に、青かびが生えると、その年は、雨の多い年になる。」とか。今の時代は、ス-パ-コンピュタ-で、計算をするので、言い伝えは当たるのかどうか。「青かびが」が生えた年は、全般的に、気温が低く、湿度が多いという。当いわきの山間部に、言い伝えられているのに、「巳年のときは、凶作が多い」と、読んだ。なんかこんなことを読むと、今年も、お天気は順調ではないよに思える。昨年は、旧暦で三月が二回あった閏年だった。来年は、旧暦でたぶん、9月が二回ある年になる。この関係で、今年の季節はちょつと早めにずれるのかもしれない。まぁ、スカスカの脳味噌で考えるのだから、はずれて当たり前。コンピューターがはじき出すもとの、4000年前からの、旧暦の考え方と、比べるのが、楽しみだ。仕事で盛んに使っていた旧暦の考え方を、ちょっと思い出した。
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5円紙幣

2013年01月13日 19時54分17秒 | Weblog
よれよれの紙幣。使い忘れたのか、5円で買えるものがなくなったのか。日本銀行券とあるから、5円として使えると思う。この紙幣を使っていたころ、どのくらいの物が買えたのか。たとえば、今の1000円くらいの、使い勝手があったのか。世の中、景気が良くなって、みんなが喜ぶという。喜ぶというのは、お金がたくさん入ることと思う。右から入って、左から出ていく生活をしているので、こういう生活者にも、お金が入ってくるのかと。結局、「糠喜び」だっぺぇなあぁ。
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お金の価値

2013年01月10日 20時15分38秒 | Weblog
江戸時代の後期に、通用していた銀貨。これが4枚で、小判一枚、一両になるという。仮に、小判一枚が、現在の一万円だとすると、2500円になるのか。仮に、これを預金をしていたら、どのくらいの利息がついていたのだろう。なあぁ-んて、考えてみた。しかし、景気回復のために、年率2パ-セントのインフレを、目指すという。この一分銀は、明治の初めには、役目が終わったようだ。大正時代の、関東大震災、昭和初期の、経済恐慌とか、大戦争の敗戦で、焼野原になった。そのあとで、戦後復興で、ハイパ-インフレになったという。一昨年の、東日本大震災の復興のために、国債を刷りつづけるという。今後、世の中は、景気が良くなつていくという。後期高齢者の小生は、食料品や生活用品が高くなるのは、困る。たまあぁ-に、食料品の買い物について行く。「わあぁ、高くなったなあぁ」って、思う品物もあるようだ。その店の、販売政策で、価格設定をしている品もあるから、一概にはいえない。価格は変わらないが、量が変わっているのもあるかもしれない。買い物に付き合って、退屈しのぎに、品の値段をみているのも、また、一興だ。暇人だなぁって、自嘲をしている。
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古いお金

2013年01月09日 19時55分28秒 | Weblog
前回に続いて。二銭銅貨は、明治と、一銭銅貨は、大正と、アルミ貨は、昭和と、刻してある。お金の価値が低下したのか。現在流通している貨幣の中で、アルミ貨は、一円貨だけなのだろう。画像のほかに、記念硬貨もある。記念の硬貨は、将来高くうれるのかもと思いったが、誰もがそう思って、保存をしているのだ思う。たとえば、100円硬貨で、自販機から、缶コ-ヒ-を買った。10年後も、同じように一缶買えるのだろうか。年率2パ-セントのインフレにしたいというのだから、今の100円は、五年後には90円くらいの価値にしかならないのかなぁ、って、単細胞の脳みそで、考えてみた。
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年率2パ-セントのインフレ

2013年01月06日 19時55分34秒 | Weblog
画像は、暮れの神棚を掃除した時、思い出して、あらためてながめた。2銭銅貨。お金の通貨単位が「銭」で、これで、なにがどのくらい買えたのだろうと、考えてみたが、当然わからない。今の時代の、通貨の単位は「円」。一円、十円では、何も買えない。お金の価値が下がったと、いうのかなぁ。世の中、不景気なので、景気をよくするという。物の値段が高くなるのか。個人的には、ほどほどでと、願うだけだ。
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上寿祝

2013年01月05日 19時31分18秒 | Weblog
時々登場をする、在宅のばあちゃん。今年の八月で、満99歳になる。直接、ばあちゃんが経験をした、戦争中と戦後の、食べ物がなかったときは、苦労をしたと思う。10歳ころの、関東大震災と、今回の東日本大震災は、さほど影響はなかった。原発事故の、3月15日は、小生も不安になつて、福島の妹の家にやつかいになつた。その出発間際の、ばあちゃんの介護に使うものを、車に積むあわただしさに、おいていかれてしまうのかと、大騒ぎをしていた。ばあちゃんが94歳の時は、大腸の腫瘍の切除をした。手術に耐えられるかどうかのこともあった。二年後に脳梗塞になり、脳外科と看板がでている医院に行ったが、診察を断られた。「今、車の中にいるのだが」と、願ってもダメだった。仕方なく、ばあちゃんのかかりつけの内科医院に行き、そのお医者さんに話すと、翌日、総合病院に、入院の紹介をしていただいた。退院する頃には、「家へ帰る」と、何度も言っていた。住み慣れた家が、一番いいのだろう。かもいに掲げた神札をみて、「三島八幡さまだぞおぉ」って、子供のころ遊んだ神社の境内を、思い出しているのかもしれない。
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一月一日

2013年01月01日 19時33分56秒 | Weblog
「年の始めのためしとて 終わりなき世のめでたさおを 松竹たてて門ごとに 祝う今日こそ楽しけれ 初日のひかりさしいでて 四方に輝く今朝のそら 君がみかげにたくえつつ 仰ぎみるこそとうとけれ」。一月一日という題の歌。歌詞を理解するのも、難しい歳になった。きのうの大晦日は、紅白歌合戦がおわりに近く、「あと、四曲になりましたあぁっ」って。ぼおぉつとしながら、見ていた。「ほぉたぁるのぉ、ひぃかあぁりぃ---」が声高く終わり、テレビが静寂。突いた除夜の鐘の余韻の間、静かに手をあわせる様子が映している。なんか不満足だった一年が終わるなぁ、って。すぐ近くの神社から、力強く打ち鳴らす大太鼓の音が、一年の始まりを告げた。 部屋に居たままで、賽銭をにぎって、参拝にでた。二十日の月が、輝いて、足元が明るい。街中の神社で、お詣りも、二人。四、五人の男女が道いっぱいにひろがって、携帯電話を見ながらの話し声も、ちょつと小声だが人影がない街路に響いていた。携帯電話の画面の明かりが、顔がぽおぉっと、照らしていた。ちょっと年配の女のひとが、道路から、鳥居越しに、神殿に向かい、深々とこうべを下げ、手をあわせて、なにかを願っているようだ。祈ることが、願いごとが多いのか。それを、じゃましてしまっては、願いも届かないなぁって、鳥居をくぐるのを待った。その女の人は、近所のなのか。神社の世話人と、顔を合わせないで、神様に、ゆっくりと、話しをしたかつたのだろう。その方のわきをすり通り、お祈りと、願い事が届くよう、参道の端をいって、柏手をうつた。顔見知りと新年の挨拶。神社の世話人と、挨拶。アマ酒をいただき、「神札」のお釣りのお金を、また、賽銭箱に入れた。「今年一年。いや、その先も」と、自分に言い聞かせ、新年を迎えた。
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