八十路徒然なるままに

早稲田かりほすなど、とりあつめたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分の朝こそをかしけれ。徒然草より

菜根ー4

2016年11月20日 20時45分40秒 | Weblog
前掲の続き。守屋洋著の「菜根譚」で、人生の終わりを、とんな風に思うのか。「まあまあの人生であったか」と、自分で自分を納得させることだとある。人生の終わりは、必ずある。しかし、それがいつなのかは、分からない。その時までは、「こころ豊かに生きる」ことだという。そのためには、「ゆったりと過ごせる時間をもちたいものだ」とある。この歳になると、時間はある。でも、あたふたとしている。もうひとつは、「自然に親しむ一時を持ちたいものだ」とある。月に一度、深山幽谷のお寺に、写経に行っている。参拝のついでに、季節の巡りを、愛でている。写経が終わって、お茶をいただく。女性の方々の、話し声を聴くのも楽しい。拙く書いているが、結構と、楽しんでいる。写経会の始めに、唱える經文も、ようやく声を出して、唱えるようになった。毎回の法話も、ありがたく、拝聴している。これらも、「心豊かに生きる」を実践している。

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