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魂魄の塔 翁長前知事の父親ゆかりの地

2018年09月26日 | スケッチ
 新聞に野党代表そろって「魂魄の塔」訪問の記事。
沖縄知事選最終版、翁長前知事の遺志を受け継ぐ玉城デニー候補の勝利を
願い、翁長前知事追悼のためにこの地を訪れたとのこと。
 73年前の沖縄戦で上陸してきた米軍に追い詰められた日本軍と県民。
南部摩文仁の断崖で組織的な抵抗を終える。膨大な犠牲者。
 戦後、米軍占領下で強制的に移動させられた真和志村住民が見たのは
畑や山野に無数に散乱する戦没者の遺骨。占領軍の許可をようやく得て、
軍、民、国籍を問わず遺骨を収集し供養の塔を建立。その先頭に立ったのが、
翁長前知事の父親だった助静氏。当時、糸満高校真和志分校の校長(後に村長)で
金城和信村長の呼びかけに生徒を連れて遺骨収集に尽力。
その後、沖縄南部に散らばる身元不明の遺骨を収集。その数3万5000体。
沖縄戦終結から8ヶ月後の昭和21年2月に最初の慰霊塔が建てられたという。 
 沖縄に支援に行った時、現地ガイドさんに摩文仁の丘の平和の礎に行く途中、
是非にと紹介され、立ち寄った。

ゆっくりする時間がなく、大急ぎでスケッチ。
翁長助静氏の歌碑が塔の前に立つ。当時は塔の裏面に彫られていたが、風雨にさらされ、
判読できなくなり、戦後50年の節目に当時の教え子たちが建立したという。
「和魂(にぎたま)と なりてしずまる おくつきの み床の上をわたる潮風」
  注・和魂(にぎたま):平和でもの柔らかい得を備えた霊魂
  注・おくつき:(奥津城)墓の意

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