大提灯が「志ん橋」なのは、広重が浮世絵に描いたデザインだから。
噺家の柳家さん喬から、つい「さん橋」を連想してしまった。「提灯に釣鐘負ける浅草寺」の川柳を江戸っ子は残した。
本堂はご本尊が聖観世音菩薩なので、観音堂とも呼ばれる。
本堂中央が秘仏本尊を安置する宮殿(くうでん)で、天井画は、中央の「龍之図」と左右の「天人之図」。
参拝の際は「南無観世音菩薩(ナムカンゼオンボサツ)」と唱え . . . 本文を読む
雷門の元々の名は「風神雷神門」。
門に向かい左側の「雷神」(赤肌)と右側の「風神」(青肌)。どちらも、水を司る龍神さま。雷神は太鼓を叩いている。
背後の「北の間」に天龍と金龍が本堂の観音様を見守る。向って左側の「天龍」(男神)と右側の「金龍」(女神)。
浅草寺の創建は西暦645年。「雷門」は、942年に浅草寺を再建した平公雅(タイラノキンマサ)によって造られた。
それも、いまの位置ではなく駒 . . . 本文を読む
江戸時代(寛永)の浅草寺境内図には、本堂の東側に五重塔、西側に三重塔が建ち、境内に二つの塔が並存していた。焼失後、慶安元年(1648)に再建するも三重塔は復興されずにいる。
以降、何回か失われては建て直された。
現在の塔以前は、本堂に向かって右側にこのように建っていた。
それが東京大空襲で焼失したので、その跡地に標石した。
冒頭の2008年03月撮影の標石が、いまでは立派な石柱に直ってい . . . 本文を読む
1925年3月22日朝9時30分、此処芝浦・愛宕山頂の東京放送局仮放送所から、日本のラジオ第一声「JOAK(ジェーイ、オーウ、エーイ、ケーイ)」が流れた。
その跡地に、NHK放送博物館が建つ。山の放送局の愛称で呼ぶ、
放送は、ラジオからテレビへ、さらに衛星放送、ハイビジョン、デジタル放送へと大きく進歩・発展してきた。
放送博物館では、こうした放送の歴史に関するさまざまな実物展示をはじめ、「番組公開 . . . 本文を読む
愛宕神社は、標高26メートルの愛宕山の山頂にある。 池を張っていた。
1603年(慶長8年)、江戸に幕府を設く徳川家康公の命により防火の神様として祀られた。
NHK放送博物館の展示室では、愛宕山にまつわる浮世絵などが見られた。
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1634(寛永11)年、3代将軍、徳川家光が増上寺に参詣の帰り、愛宕山に咲く梅に気づき、
「誰か、馬であの梅を取って参れ!」と命じた。
居合わせた多くの武将がひるむなか、四国・丸亀藩の曲垣平九郎(マガキヘイクロウ)が馬で急な石段を上り降りし、家光から「日本一の馬術の名人」と讃えられた。その名声が知れ渡ったことから「出世の石段」と呼ばれるように。
冒頭は、1865年の愛宕山からの眺め。工場で . . . 本文を読む
「らくらくコミュニティ」に1月15日登録したiinaブログのアクセスが15日を境に日ごとに増えた気がした。
ご覧のとおり、先週の一週間のランキング状況が上のとおり。
1月30日は100番台、先週一週間が300番台。^^
「らくコミュ」にはブログのアドレスを公開してなく気のせいかもしれないが、或いは「浅草とiina」で検索して探し出したか
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シニアを対象にした「FUJITSらくらくコミュニティ」に、新年から参加している。
ただし、このコミュニティに登録しないと、閲覧もコメントもできない。
コメントするには登録が必要だとするブログはあったものの閲覧はできたから、もっと閉鎖的だ。
さいきんは、こんな閉鎖的なサイトが流行っている風だ。次は、その一例。
スマホに「男女交流アプリ」があって、登録者の要望を満たした相手を紹介した上に、位置情報から . . . 本文を読む
桃太郎や一寸法師で退治されるのは、いつも鬼。そのうえ、節分になれば豆まで投げつけられる。可哀想。
俗に幽霊が出るという夜中の2時は「丑みつ時」と呼ばれ、十二支の方角からきている。
干支の順に12時がネズミ、1時は牛、2時は寅・・・とふっていくと夜中の2時は丑が最も満ちた時間つまり「丑みつ時」になる。
方位にすると「艮(うしとら)=鬼門(きもん)」になる。幽霊の出る時間と鬼の来る方角が一致する。
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