甘橿丘から眺めた西から畝傍山 耳成山 天香具山
大和三山の配置は、ちょうど三角形になって調和の美をかもす。
香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より かくにあるらし古昔も
然にあれこそ うつせみも 嬬を あらそふらしき
・・・ 《大和三山を詠んだ万葉歌 中大兄皇子》
冒頭は甘橿丘からながめた三山。右が、橿原神宮からの畝傍山。
下は、甘橿丘から飛鳥坐神社と談山神社 方面。
ガイド本で読んだ甘橿丘を、田んぼにもみ殻で盛り上がった程度の小高い丘のイメージを抱いたが、実際は標高145mのそれなりに低い山だった。
この丘の中腹と麓に、蘇我蝦夷・入鹿親子の邸があり、大化改新によって入鹿が中大兄皇子に倒された直後、蝦夷はその邸に火をかけて自害した。
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iinaも大阪に赴任していたころは、何もすることがないと家族でよく奈良に出掛けていました。
いま、興福寺を復興しているらしく、全貌が現われるのを楽しみにしています。
40歳を超えて、急にこの奈良の良さがわかるようになってきました。
毎週のように、奈良公園にいって古に浸っております。。。
大和三山と二上山を望める絶好のビューポイントです。
ここからの夕景を撮り始めたのは、日本を代表する写真家故入江泰吉氏だと思います。
戦後直ぐ、入江氏が撮影した写真には、畝傍山の手前には、田畑以外何もない絶景です。
奈良の夕景は、海に沈む和歌山の夕景とは異なる素晴らしさがありますね。
香具山を登る入口まで行ったことがありますが、誰も歩いてなく不気味に思えたものですから、
引き返しました。
耳成山を車で一周し、畝傍山は橿原神宮から見上げ、傍の神武天皇陵にも寄りました。
一度くらい大和三山を登ってみたいです。
という香具山をよんだ歌を覚えてますよ。
畝傍山と耳成山を加えると、大和三山になるのですね。
もともと三輪の先住民の王であった大物主命が、大和朝廷に敗北し国譲りして出雲に流され、
後に出雲大社として祀られたとする「神々の流竄」梅原猛説がありますが、・・・果たして?
日本書紀に安倍氏の祖、大彦命生まれるとあるくらい安倍文殊院は有名で、文殊菩薩像は
日本三文殊のひとつですよ。他の2つは山形の大聖寺と京都の智恩寺です。
家紋の五稜星はこの宗派のデザインですが、最近人気の陰陽師・安倍晴明は亜流にすぎません。
それよりも、ユダヤ星の六芒星形に似ているのが不思議?ではあります。
三文殊や大和三山、・・・三輪と、三を特別視したがるものです。
鳥が作物を盗りにくるとは、鳥もおいしい箇所を知っているのですね。
幼いころは、夏には他におやつもなく冷やしたトマトに塩をふってかじってました。
それにしても、収穫までいろいろと手数がかかるものですね。
飛鳥には、大阪時代の後半に車や電車で遊びに行きました。
(タミリン) さん へ
「コンスタンティング」を観たかったのに、見落としています。
コンスタンチノーブルを連想します。
さらにその前進のイスタンブールを連想するのは、歌が明るく軽快だからです。
http://www.youtube.com/watch?v=RhM6EHboV-I
イスタンブールはトルコの飛鳥です。
(ぼたん) さん へ
おしゃれなワイン会です。
飛鳥のロマンを知ると、甘糟丘から大和三山を眺めてみたくなります。
あまりに二等辺三角形に位置しているため、人口の山といわれたりします。
むかしのテレビでは、福岡の八女に邪馬台国があったとする説もあり、そこに三山に似た配置
の山々もあるそうです。
えっ? ボタン山じゃないかって?
(くだん庵)さん へ
反歌もあったのでしたか。
「香具山と耳梨山とあひし時 立ちて見にこし 印南国原」の意味を調べてみました。
「大和三山の争いを諌めようと、出雲の阿菩大神がみこしを上げたが、播磨国揖保郡の上岡まで
やって来た時、争いがやんだと聞いて、その地に鎮まったという。 」
その地は、今の加古川市から明石市あたりだそうですね。
次の歌は、返歌らしくないがペアで記されているとありました。
いい勉強になりました。 m(_ _)m
に反歌があります。
○香具山と耳梨山とあひし時 立ちて見にこし 印南国原
○わたつみの豊旗雲に入り日さし 今夜の月夜 清明くこそ
やはり、見下げる風景ってステキ~
今から1360余年も前に、大化改新の舞台となった地を堪能してきました。
①「香具山は畝火山はいとしい女だと耳梨山と争った」
つまり、「畝火山を愛しいと」と解釈した。
「畝火山を雄々しいと」と解釈すると、
②「香具山は畝火山は男らしいと耳梨山と争った」となる。
畝火山はやや険しい山で三山の中では一番男らしく、耳梨山も香具山もおだやかな山に見えるのだが・・・。