あまかしの丘とは、なんと甜やかな名だろうか。丘陵のいたる所に平地を造った痕跡がある。東麓の谷間から七世紀の建物5棟と塀の跡と焼けた土が現われた。
645年大化改新で中大兄皇子や中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害し、父の蝦夷も甘樫丘の邸宅で自害した。そのとき、聖徳太子と蘇我馬子が編纂したとされる歴史書「天皇記」、「国記」、珍宝をことごとく焼いた。
天皇家に対する逆賊とみなされてきた蘇我氏をめぐる評価が、近年考古学や歴史学の進展によって大きく変わろうとしている。激動する国際情勢を乗り切る外交手腕を発揮したとの評価や、構造改革を進めた忠臣だったとする説も出ている。
あるいは、甘樫丘の地中に誰も見たこともない「国書」の燃え残りでも発見されて、大豪族の謎に迫り、解き明かすかも知れない。
*参考:『飛鳥』
645年大化改新で中大兄皇子や中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害し、父の蝦夷も甘樫丘の邸宅で自害した。そのとき、聖徳太子と蘇我馬子が編纂したとされる歴史書「天皇記」、「国記」、珍宝をことごとく焼いた。
天皇家に対する逆賊とみなされてきた蘇我氏をめぐる評価が、近年考古学や歴史学の進展によって大きく変わろうとしている。激動する国際情勢を乗り切る外交手腕を発揮したとの評価や、構造改革を進めた忠臣だったとする説も出ている。
あるいは、甘樫丘の地中に誰も見たこともない「国書」の燃え残りでも発見されて、大豪族の謎に迫り、解き明かすかも知れない。
*参考:『飛鳥』
TBありがとうございました!
あの僅かな一文に反応していただき、恐縮しております(笑)
「古代史」は好物ですので、今度機会があったら蘇我入鹿だけじゃなく、当時の人物などに関して自説を展開したいと思いますので、その時はまたよろしくお願いします。
それにしても「天皇記」や「国記」なんかの燃えカスなんか出てきたら、さぞかし面白いでしょうね~。
1ヶ月近く経ってしまってからで申し訳ない。
TBありがとうございました!
もはや懐かしくなってきてしまいましたが、
奈良への旅、とてもよかったです。
談山神社を訪れたり、明日香を歩いたり、
神話のように思っていたものが、本当に
起こったことなのかもと感じられました。
私達の知っている歴史はその一面。
誰も見たこともない「国書」の燃え残りから
新解釈が生まれたら面白いでしょうね~
もののはじめ様の「トラックバックの仕方」を読ませていただきました。ありがとうございます。
gooの練習板もやってみましたが、どうも自信がありませんでした。
あら、こんなに簡単だったんだと、驚きました。
ところで、私のブログは、たぶん、これから長い間、ずっと、未完成だと思いますので、よろしくお願いします。