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甘樫丘

2006年04月13日 | 歴史街道
あまかしの丘とは、なんと甜やかな名だろうか。丘陵のいたる所に平地を造った痕跡がある。東麓の谷間から七世紀の建物5棟と塀の跡と焼けた土が現われた。

645年大化改新で中大兄皇子や中臣鎌足が蘇我入鹿を殺害し、父の蝦夷も甘樫丘の邸宅で自害した。そのとき、聖徳太子と蘇我馬子が編纂したとされる歴史書「天皇記」、「国記」、珍宝をことごとく焼いた。

天皇家に対する逆賊とみなされてきた蘇我氏をめぐる評価が、近年考古学や歴史学の進展によって大きく変わろうとしている。激動する国際情勢を乗り切る外交手腕を発揮したとの評価や、構造改革を進めた忠臣だったとする説も出ている。
あるいは、甘樫丘の地中に誰も見たこともない「国書」の燃え残りでも発見されて、大豪族の謎に迫り、解き明かすかも知れない。

*参考:『飛鳥



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3 コメント

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入鹿はすごい人かも… (オギノフ)
2006-04-14 15:25:13
はじめまして。

TBありがとうございました!



あの僅かな一文に反応していただき、恐縮しております(笑)

「古代史」は好物ですので、今度機会があったら蘇我入鹿だけじゃなく、当時の人物などに関して自説を展開したいと思いますので、その時はまたよろしくお願いします。



それにしても「天皇記」や「国記」なんかの燃えカスなんか出てきたら、さぞかし面白いでしょうね~。



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歴史の舞台 (文披月)
2006-05-07 11:56:22
初めまして。

1ヶ月近く経ってしまってからで申し訳ない。

TBありがとうございました!



もはや懐かしくなってきてしまいましたが、

奈良への旅、とてもよかったです。

談山神社を訪れたり、明日香を歩いたり、

神話のように思っていたものが、本当に

起こったことなのかもと感じられました。



私達の知っている歴史はその一面。

誰も見たこともない「国書」の燃え残りから

新解釈が生まれたら面白いでしょうね~
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古代日本史への情熱 (go-hot-ai)
2006-05-13 00:40:35
やっと初のトラックバックできました。

もののはじめ様の「トラックバックの仕方」を読ませていただきました。ありがとうございます。

gooの練習板もやってみましたが、どうも自信がありませんでした。

あら、こんなに簡単だったんだと、驚きました。

ところで、私のブログは、たぶん、これから長い間、ずっと、未完成だと思いますので、よろしくお願いします。
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