
浅草寺境内の未公開のショットをご紹介。まずは、五重塔と写経供養塔。
五重塔は浅草寺本堂・雷門・宝蔵門と同じ天慶5年(942)武蔵守、平公雅(たいらのきんまさ)により建てられたと伝えられ、長久2年(1041)火災によって倒壊し、寛永12年(1635)再建、同19年炎上したという記録が残っている。その後慶安元年(1648)三代将軍徳川家光公により再建され、寛永寺・増上寺・天王寺の塔とともに「江戸四塔」として親しまれ、後の明治44年には国宝指定を受けていたが、惜しくも戦災により焼失。江戸の大地震・関東大震災にも強かった五重塔は人災には弱かった。
写経供養塔には、昭和33年(1958)観音本堂再建を記念して、観音経百万巻写経運動が発願し、毎年4月から10月の間伝法院で行われる写経と各家庭で写経された「般若心経」「観音経」を10月28日写経供養会を行いこの塔に納める。


五重塔は浅草寺本堂・雷門・宝蔵門と同じ天慶5年(942)武蔵守、平公雅(たいらのきんまさ)により建てられたと伝えられ、長久2年(1041)火災によって倒壊し、寛永12年(1635)再建、同19年炎上したという記録が残っている。その後慶安元年(1648)三代将軍徳川家光公により再建され、寛永寺・増上寺・天王寺の塔とともに「江戸四塔」として親しまれ、後の明治44年には国宝指定を受けていたが、惜しくも戦災により焼失。江戸の大地震・関東大震災にも強かった五重塔は人災には弱かった。
写経供養塔には、昭和33年(1958)観音本堂再建を記念して、観音経百万巻写経運動が発願し、毎年4月から10月の間伝法院で行われる写経と各家庭で写経された「般若心経」「観音経」を10月28日写経供養会を行いこの塔に納める。

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