会津若松観光の定番の一つ、白虎隊で知られる飯盛山。白虎隊戦士たちの墓所がある。
白虎隊は会津藩が幕末に設けた少年隊の一つで16~17歳の若年で編成された予備兵であった。
戊辰戦争の折に新政府軍に攻め込まれたため、白虎隊も前線に出て防戦することになる。
若松城の東、猪苗代湖に近い戸ノ口原の戦いで敗れ飯盛山に落ち延びた末、自刃した。
ほんの少し歩いて自刃の地とされる場所まで来ると小学生たちが記念写真を撮っていた。
この日は小学生から中学生まで修学旅行、遠足、社会見学などいろいろと来ていた。
小学生たちの並んでいたところへ下りると、白虎隊士の像があった。
背丈や顔つきはまだまだ子供のような隊士が手をかざして遠くを見ている。
森が見える辺りが鶴ヶ城。
今はさまざまな家が建ち並んでいるが、昔は城の周りに武家屋敷や城下町が見えたのだろう。
鶴ヶ城の天守は、ほぼ中央の森の中に見えるが詳細な様子は分らなかっただろう。
付近に煙が見えたので城が焼けたかと思って、もはやこれまでと隊士たちは潔く自刃をしたらしい。
うんとズーミングすると、たしかに鶴ヶ城が見える。
その方向に細長いものが立っているのはNHK・中波放送の送信アンテナらしい。
飯盛山は江戸時代には山全体が正宗寺というお寺の境内だったそうで、
これは寛政8年に観音堂として建立された円通三匝堂(えんつうさんそうどう)だ。
木造六角三層の形から会津さざえ堂として親しまれている。
中に入ると2重螺旋構造で上りと下りの参拝者がすれ違わないで通行できる。
白虎隊士たちも、この傍を通って自刃を決断する地に進んだのだろう。