どうなるか。県外処分法案(30年法案)が流れたあとの中間貯蔵施設

2014-11-14 09:24:11 | 日記

    どうなるか。県外処分法案(30年法案)が流れたあとの中間貯蔵施設 

  この数日国論は「解散・総選挙」の風に振り回されている。「ゆとりの自民党」・「慌てふためく野党」などの文字も報道の中で踊る。そして国会議事運営においては、今国会における法案成立の絞りこみと調整に入ったと報じられている。

  さてそこで考えるものに、福島県内に計画をされている「中間貯蔵施設」30年法案である「県外処分法案」の取り扱いがある。県選出の国会議員は、会期内成立にむけた働きかけをしているが微妙であることは間違いない。いずれにせよこの法律は、極めて曖昧なものであり、にわかづくりという内容を持っている。ここに争点を当てることこそ重要であり、総選挙戦においては「自民党陣営」と対決する争点ととらえるべきではなかろうか。

  過日、栃木県塩谷町の「指定廃棄物最終処分場」の反対運動が報じられた。「わが町に降り注いだ放射能による汚染物は、その放射能を発生させた福島第一原発が責任をおいて原発基地内で処理せよ」というものである。さらに福島県の双葉・大熊に予定されている「中間貯蔵施設」は「最終処分場」とする計画に変更をすべきであるとの発言まで発展している。   

  その背景には、井上前副大臣の「福島中間貯蔵施設の廃棄物は30年後には県外移送する」の発言がある。当然にして、福島原発の誘致と稼働とは何のかかわりもない塩谷町の住民にとっては、持ち込まれることは反対となる。強いて言えば、福島原発の電力を受け入れてきたではないかという意見もある。しかし、それは東京首都圏も含め関東圏内すべてに言えることであろう。これに対し、望月環境大臣は「福島の皆さんにこれ以上の負担はかけられない」と述べ地元住民に理解を求めている。

  「放射能問題は住民の対立と分断を生む」と述べてきたが、まさにこのことである。

  そこで考えたい。

  模範解答を得ることができない。現に地元福島においても、除染物を保管管理する「仮置き場」を決めきれないでいる。また地権者の理解が得られ設置をしたものの保管契約3年を経過しようとしている。

  そして中間貯蔵施設である。政府の住民説明会へ参加者は多くはない。また説明を受けても納得しない地権者も多い。さらに消息不明の地権者も少なくはないという。仮に受け入れても、ある地権者は売るとなり、ある者は賃貸となる。地権者にかかわる親族の中でも不一致も生まれる。

  このことは前にも書いている。そこにきて「30年法案」をめぐってはますます混乱するだろう。敷地内から持ちだしの要求も強まるだろう。仮置き場の契約も切れる。そこで予測されるものに、双葉・大熊予定地にある「公有地」への搬入が強行されるということである。これは十分にあり得る。その周辺には住民が住んでいない。反対運動が成り立つだろうか。 

  ここにも総選挙の争点が生まれる。訴える言葉の吟味は必要だがしっかり取り上げ課題にしなければならない。

 

 

 

 


再度提起したい。「派遣労働者」の存在の旨味にメスを入れよう

2014-11-13 08:50:01 | 日記

 再度提起したい。「派遣労働者」の存在の旨味にメスを入れよう

 

  「凪ぎの政局」に強力台風が突っ込んできた。それが「解散・総選挙」の波風である。その件については昨日のブログにも書いた。そして今国会の重要法案の一つである「派遣労働者法案」は廃案になるだろう。チャンス到来である。総選挙の大きな争点になるだろうし、またしなければならない。

  そこで、あらためて今般提起された改定法案の中身を吟味してみたい。そこから安倍政権の狙いと、そのスポンサーである経団連の意図を見抜きたい。さて、その改定の中身は次にまとめられる。①「派遣労働者(有期雇用の場合)は同じ職場で3年間働ける」②「人材派遣会社に無期雇用された労働者は同じ職場で働ける」③「派遣受け入れ先の事業所が、同事業所の職場代表(労働組合)の意見を聞けば、人を交代して受け入れを続けられる」④「すべての派遣会社は国の許可制による」などである。この結果、職場に派遣労働者がいなくなるどころか「生涯派遣という実態が生まれる」と言うのが改定反対の論理である。

  それだけでは基本的な争点とはならない。問題はなぜ「人材派遣会社」が生まれ、その派遣労働者制度を必要とするのかの「根っこの問題」に迫らなければならない。この観点が、国民の間でも、労働界でも、またマスコミでも、そして何よりもその論議が、国会の俎上に乗らないところに強い不満を持つ。

  そのことについては、何回かのログに書いてきたがあらためて提起をしたい。派遣労働者を受け入れる事業所(元請)にとっても、また派遣する「人材会社」にとっても労働者は「人」ではなく「業務(仕事)」である。つまり業務(仕事)に必要な「発注人工・○○人」(はっちゅうにんく・なんにん)なのである。そして派遣側(人材派遣会社)は、元請の発注に対して「人工・○○人」の「納品」なのである。

  くどくなるが、受け入れ側にとっては「人件費」ではなく「発注費」であり、経理上は「仕入れ費」として計上される。このことを見逃してはならない。さらに、それが仕入れ費であるということは次のような仕組み(旨味)が生まれる。事業所は、その売上にかかる消費税を納入しなければならないが、その時「仕入れ費」を差し引いて納める。

  元請は、受け入れた派遣労働者の人件費を「仕入れ費」として計上すると述べた。よって、消費税の申告時に「仕入れ費」を消費税総体から差し引くことができる。「仕入れ費」が高ければそれだけ消費税からの差し引く額が多くなる(仕入れ費控除)。これほどの旨味はない。消費税への節税が生まれる。正規労働者を増やすより「派遣労働者」を受け入れたいとする。

  再度述べたい。正規労働者の賃金は「人件費」であり、派遣労働者のそれは「仕入れ費」である。まず、ここにメスを入れる論議をしなければならないはずではないか。

  一昨日のブログに「1兆円純利益、トヨタの節税」を書いた。企業にとっての「税優遇措置」は旨味のある合法的利権である。この旨味がある限り利権は続くし、その政策の温存を図ろうとする。そのための「政治献金」は惜しまない。そして「派遣労働者はなくならない」。

  ここの対決こそ、真の争点であることをあらためて提起したい。


この期に及んでの「解散・総選挙」に異議あり

2014-11-12 09:09:04 | 日記

   この期に及んでの「解散・総選挙」に異議あり

 

  「今、国会の解散に異議あり」

  「政治の選択はいつあっても不思議ではない。また、その選択権は常にもとめるべき」とする王道からは外れた発言と受け止められるかも知れない。しかし、今この時期の解散、総選挙は自・公内閣。とりわけ安倍政権の『衣隠し』に手を貸すことになるという観点からあえて主張したいのである。

  安倍政権がこれだけの失政を侵しつつも、残念ではあるが世論調査のどれをとってもその支持率は5割を切っていない。また野党の力関係がある。かつてもそうだが今後も続くだろう「小選挙区制」での戦いである。得票率において過半数を大きく割るにもかかわらず、自民党が議席の過半数を確保してきた。そのことは、野党の反自民の共闘が成り立たないところにその原因があることは間違い。まさに小数・多党乱立の間隙をぬって、議席を納めているのが今の自民党である。この実態はしばらくつづくだろう。

  第二次安倍内閣の誕生後間もない国会は、目玉とした女性閣僚の辞任、そして「政治とカネ」の問題(この件については叩けばほこりが出るのは与・野党も変わりはないと思うが)で紛糾をした。そして自・公間に「隙間風」も吹き始めている。早いうちに、そしてボロが余りでないうちに解散、総選挙を行う。今なら若干の落ちこぼれはあっても一定の議席は得られるだろう。さらに「消費税増額は見送る」という看板は追い風ともなる。そして選挙の結果を「国民の禊を受けた内閣」という「サプライと演出」と受け止めれば、今回の解散・総選挙の本質が見えてくる。

  そこに「すべてが一件落着の政治体制」が生まれる。

  集団的自衛権も社会保障制度の改定も、そして秘密保護法も、さらに再度の税制改訂(消費税・法人税)も取り上げられるだろう。すべてが「国民の合意が得られた」との「印籠」を手にして。

  企業にとって使い勝手な労働者の派遣労働法もしかりである。戦後のベビーブーム層が「後期高齢者群」に突入する2025年問題。それこそ少子高齢社会のピークの時代となる中での高齢者医療・介護問題を避けては通れない。さらに「原発」がある。指定廃棄物の最終処分場について候補地は混乱している。それとて除染廃棄物の処分である。その背後に「廃炉に基づく最終処分」という大きな壁が存在することを忘れてはならない。すべてが課題の論議はこれからである。それこそ「国のあり方」にかかわる問題である。600から700億円を使っての解散どころの話ではない。

  国会を「お喋りの場」としてはならない。「政治を有識者会議の場」にしてはならない。そして「国会を与野党間の調整の場」としてはいけない。来年いっぱい時間をかけて(いやそれでも足りないだろう)論議をしなければならない課題である。それを経たのち、その真を問う総選挙こそ「今日の望むべき政治の王道」ではないだろうか。

  しかし、解散権は「総理大臣の手にある」。なればこそ、その解散が「衣隠しの解散」であり「一件落着の総選挙」であることを見破り、またそのことを肝に銘じて望むべきが国民一人一人に課せられた責任であると思う。

 


世界的キングメーカー「トヨタ」が法人税を納めていなかった

2014-11-11 10:18:41 | 日記

  世界的キングメーカー「トヨタ」が法人税を納めていなかった

 

  「純利益1兆円を超える」という見出しのトヨタ自動車、もちろんトヨタのみではない。自動車産業の独り勝ちを表したのが2014年度の3月決算の特徴である。

  ところでそのトヨタであるが、過去5年間法人税を納めていなかったことが一部で取り上げられたのはご存知であろうか。事の発端は、2014年3月期の決算会見で、同社の豊田章男社長は「ようやく税金(法人税)を払えるようになった」という趣旨の説明を行なったからである。

  法人税と言えば、税の三大基幹税(所得税・消費税・法人税)のひとつである。その法人税を、日本のキングメーカーであるトヨタが納税を果たしていなかったというのであるから「何を」となっても不思議ではない。

  さて、その本質である。同社は2009年以降、法人税を払わなかった詳細な理由は明らかにしていないが、大きく影響しているものに2009年に出した約4400億円の赤字がある。法人税の課税の仕組みに、その企業が損失を出した場合最大で9年間、損失額を相殺することができるとなっている。よって、トヨタはその損失額を年次計画で相殺していったことが考えられると専門家は説明している。もちろんそれだけではないだろう。研究開発費や機械設備改善費、あるいは企業内福利費などいくつもの優遇税制をフルに活用したとも考えられる。

  トヨタほどの企業が、税金を払っていなかったと聞くと腹立たしい気持ちになる。しかし、それが合法的であり、脱税ではなく「節税」との説明を受ければ一歩引かざるを得ないのだが、それでも胸の中の苛立ちは消えない。さて、そのトヨタの施策は「節税」だけだったのであろうか。その一つに、損失を理由に数知れない「下請け協力会社」に徹底した原価切り下げを求め、「仕入れ費の削減」を強要したであろうということは言うまでもないだろう。

  さらには国の施策があった。自動車業界に対してはリーマンショック以降、その業績立て直しのためエコカー減税など1兆円を超す巨額の税金が投入された。とりわけトヨタは、世界的な競争力を持つ大企業である。それが国民の税金によって支えられたのも事実である。原価低減、あるいは節税は、企業の論理からして当然であると言えばそれまでではあるが、前記の理由からすれば「納得する」とはならないのは私だけであろうか。

  現在、法人税の減税が議論されている。国際競争力に打ち勝つためにも、税率の引き下げを求める企業の要求に応じようとしている。その代りと言ってはなんだが「企業の政治献金」も復活した。さらには幾つもの税優遇措置を温存させている。この優遇措置を受けている企業にとっては手放したくない、甘い利権である。そこに「決して損をしない」という企業の仕組みがある。

  ここに「メス」を入れずにして、消費税の増額、あるいはそれとの関連での社会福祉サービスの低下を論ずるわけにはいかないし、認める訳にはいかない。

  解散、総選挙もささやかれている今日、私たちが鋭く対決する政治課題の一つであることを提起したい。

 


 まず・「トイレなきマンションを考えよう」・再度の福島からの訴え

2014-11-10 09:55:19 | 日記

       まず・トイレなきマンションを考えよう

 

  政府は、最長30年間保管する「中間貯蔵施設」を、大熊、双葉両町の第一原発周辺計約16平方キロメートルに設置する方針を決めた。建設費用は1兆1千億円程度、そして来年1月から1600万〜2200万立方メートルの廃棄物が持ち込むとした。

  当初は、富岡町も含め3地区の計画であったが最終的に前記の2か所となった。だからと言って、大熊・双葉の敷地面積を拡大することはしない。よって搬入途中で、持ち込みが飽和状態になることが予測されるが、そのことは論議の俎上にはあがってこない。

  さて、政府は来年1月から搬入を開始するとしたが、来春以降と方針が変更された。しかし、その実現も困難であろう。地権者の了解を得るハードルは高いということである。そこで、あってはならないことであるが、「土地収用法」という強制権の発動はないのかという危惧が消えない。

  私は、過去何回か、この「中間貯蔵施設」をめぐる地権者間の、そして住民間の対立の矛盾を書いてきた。

  今般、薩摩川内原発の再稼働を地元市議会、そして県議会が認める決定を行った。その中で伊藤知事は、「国民生活のレベルを守り、わが国の産業活動を維持する上で原発は重要な要素だ。わが国の当面の判断として原発を活用する以外に道がない。安全性がある程度約束されるのであれば、それがベターだ」として「やむを得ない」の理由を説明した。一方、原発事故への不安については「福島であれだけの不幸な事故が起きた。安全神話が全部崩れたのは確かだ」との認識を示しながらも、「もし福島みたいなことが起きても、もう命の問題なんか発生しない」と明言したと報じられている。

  「私たちの生活は原発に支えられてきた。不安はあるが再稼働は必要だ」という地元住民の声はよくわかる。福島双葉地区も、原発の誘致と稼働で出稼ぎは無くなり、生活の改善も図られたことも事実である。よって万歩譲って「原発の再稼働」はやむを得ないとしよう。それでも考えなけれはならないことがある。原発の稼働寿命を40年とされている。それを超える原発は、すでに48基中5基もある。加えて稼働にむけた条件をクリアすることが不可能するのが34基とも言われている。その原発を廃炉するための方針があるのか。最終処分の方策があるのかである。

  稼動したことによって発生する「使用済み燃料」をどうするのか。むつ市に中間貯蔵施設建設の計画はあるが、これとて保管期間は50年である。すべてが「最終処分」の方針にかかわる。

  福島からの訴えは次の通りである。

        「トイレの無いマンション」は作ってはいけない。

       そのマンションには「住まわせてはならない」。

  このことから、原発の是非を考えなければならない。

  もし、そのマンションに住むなら「自分の糞尿に責任を持たなければならない」と。

       それでは「人は生きていけない」。

       「生きていけないことは」すべきではない。