まず・「トイレなきマンションを考えよう」・再度の福島からの訴え

2014-11-10 09:55:19 | 日記

       まず・トイレなきマンションを考えよう

 

  政府は、最長30年間保管する「中間貯蔵施設」を、大熊、双葉両町の第一原発周辺計約16平方キロメートルに設置する方針を決めた。建設費用は1兆1千億円程度、そして来年1月から1600万〜2200万立方メートルの廃棄物が持ち込むとした。

  当初は、富岡町も含め3地区の計画であったが最終的に前記の2か所となった。だからと言って、大熊・双葉の敷地面積を拡大することはしない。よって搬入途中で、持ち込みが飽和状態になることが予測されるが、そのことは論議の俎上にはあがってこない。

  さて、政府は来年1月から搬入を開始するとしたが、来春以降と方針が変更された。しかし、その実現も困難であろう。地権者の了解を得るハードルは高いということである。そこで、あってはならないことであるが、「土地収用法」という強制権の発動はないのかという危惧が消えない。

  私は、過去何回か、この「中間貯蔵施設」をめぐる地権者間の、そして住民間の対立の矛盾を書いてきた。

  今般、薩摩川内原発の再稼働を地元市議会、そして県議会が認める決定を行った。その中で伊藤知事は、「国民生活のレベルを守り、わが国の産業活動を維持する上で原発は重要な要素だ。わが国の当面の判断として原発を活用する以外に道がない。安全性がある程度約束されるのであれば、それがベターだ」として「やむを得ない」の理由を説明した。一方、原発事故への不安については「福島であれだけの不幸な事故が起きた。安全神話が全部崩れたのは確かだ」との認識を示しながらも、「もし福島みたいなことが起きても、もう命の問題なんか発生しない」と明言したと報じられている。

  「私たちの生活は原発に支えられてきた。不安はあるが再稼働は必要だ」という地元住民の声はよくわかる。福島双葉地区も、原発の誘致と稼働で出稼ぎは無くなり、生活の改善も図られたことも事実である。よって万歩譲って「原発の再稼働」はやむを得ないとしよう。それでも考えなけれはならないことがある。原発の稼働寿命を40年とされている。それを超える原発は、すでに48基中5基もある。加えて稼働にむけた条件をクリアすることが不可能するのが34基とも言われている。その原発を廃炉するための方針があるのか。最終処分の方策があるのかである。

  稼動したことによって発生する「使用済み燃料」をどうするのか。むつ市に中間貯蔵施設建設の計画はあるが、これとて保管期間は50年である。すべてが「最終処分」の方針にかかわる。

  福島からの訴えは次の通りである。

        「トイレの無いマンション」は作ってはいけない。

       そのマンションには「住まわせてはならない」。

  このことから、原発の是非を考えなければならない。

  もし、そのマンションに住むなら「自分の糞尿に責任を持たなければならない」と。

       それでは「人は生きていけない」。

       「生きていけないことは」すべきではない。