柿の実取から考える「私の総選挙の争点」

2014-11-19 13:39:32 | 日記

     柿の実取から考える「私の総選挙の争点」

 

  今年も柿(みしらず)の渋抜きを行った。豊作であったため実は大きくない。そして甘さは今一である。素人の剪定でもあり、その後の木の姿がどうしても気に食わない。今年実のなった枝には来年はならないと言うが、それがわからない。

  昔は、竹の先を二つに割り、実のなっている枝を挟んで折ったものである。それが「剪定」になるというのだが、その竹もなかなか手に入らない。ホームマートに行くと結構な値段である。そこで今は脚立なるものがあり、高いものでもさしたる値段ではない。そこで脚立を使うことになる。そこで問題なのが、まず「踏み面」(脚立の最高部)での作業はしてならないとなっているが、柿の実が上にあるとどうしても上りたくなる。また身体を前方、左右に延ばして取ろうとする。そこに脚立が傾き、軸足がめり込むなどもあってバランスを崩して転落でする。

  現役時代、建築現場の安全管理に携わっていた。建築現場での転落事故の上位3に入るのが「脚立作業」であり注意を促してきた。その時に使用した言葉に「1メートルが1命を奪う」というものである。現に、僅か1メートルの脚立から、バランスを崩して転倒、運悪く金属の角材に頭を強打し死亡というケースである。ヘルメットをかぶっていたが保護をしてはくれなかった。

  さて、「柿の実取り」であるが、私の知人が庭の柿を取るために、踏み台に上がったのだが手を伸ばして転倒、大きな事故にはならなかったようであるが骨折したという。

  今年の柿もぎは、無事済んだが来年はどうするか。記念の木でもあり大事にしたい。とは言え取らずに鳥の餌にするのは多すぎる。また、「たる抜き」の甘さも確実である。

  来年も、注意をしながら、その年の行事は済ませたい気がする。また、そのくらいはできるようでありたいとも思う。しかし、お金を出して取って頂き、剪定も一緒にしてもらうかとも考える。いずれ収入は一定、いや年金の減収は今後も続くだろう。しかし、支出の増大は考えなければならない。その最たるものが医療費・介護費であろう。

  「ぴんころと言ってはいるが 今は嫌」。これもまた本音である。

  柿の実取りから考える、私の「総選挙」の争点である。