働いて、取った金で生活を

2013-05-12 13:56:22 | 日記
 「人間。働いて取ったお金で生活する」

東京ドームにおける始球式、投手・松井、打者・長嶋、捕手・原。そして「背番号96」の安倍主審。今度は「南こうせつコンサート」における飛び入り参加。「あのすばらしい世界をもう一度」をジュエット。よくまあ「サプライズ演出」は続くものである。すると不思議なことに「次は何かな、何をやるのかな」との期待や関心が生まれる。それがサプライズのサプライズたるところである。

 その安倍首相が、今いたるところで発している言葉に次のようなものがある。
 「株価は5割も上昇しました。閉塞感の中で悩んでいた状況を、私は変えることができました。確かに変わったのです」。
 「経済界の皆さんは、なるべく早く、雇用者や勤労者の皆さんに分配をして下さい」。
 「年金財政は、この株高運用益で、今や5兆円以上のプラスとなっている。年金財政はしっかりとしてきたのです」。

 そしてトヨタの社長は「わくわく感」だと頬を緩めている。

 良いことばかり。それ本当にそうなのだろうか。

 株の世界では、次のようなことが言われている。「初めて株を買った人が、買い出し始めたときは危ない」と。また、タクシーの運転士が、お客さんに「株はどうですか、やっていますか。どうなりますかね」と声をかけ始めたら逃げ時だと。

 そこで記憶にある新聞記事を思い出す。4年半前リーマンショックのときである。一人の主婦が、株の上昇ニュースの中で、その運用益をねらっての株買いを始めた。しかも夫に内緒にしての預金引き出しを始める。寝ても、覚めても株価の動きに身も心も集中する。 
証券会社は運用の情報を流し続ける。主婦にしてみれば、今までこんなにも安かったのに、ここまで上がったのだから、これからも、もっと上がるはずだとなる。そこにまた証券会社から情報が提供される。

 そこで前に戻る。「素人さんが買い始めたら危ない」。このことを知っている有力投資家は撤退の時期を探る。「逃げ足は速い」。しかし、逃げ遅れた一般投資家は「ヤケド」をする。かの主婦も、家計を預かる身で、少しでも家計の足しにと考えてのことであったが、結果は貴重な預金が消えてしまった。残ったのが夫婦間の亀裂と「日夜、金を追い求めた荒んだ気持ち」であったと述べその記事は終っている。

 古老は言う。「人間。働いて取ったもので、そして取った範囲で生活をすることだ」と。
 このことを「死語」にはしてならない先輩の智恵ではなかろうか。


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