原発は今後の選挙闘争の争点になるのだろうか

2014-10-28 13:19:57 | 日記

     原発は今後の選挙闘争の争点になるのだろうか

                 

  福島県知事選については、昨日のブログに「低投票率」について書いた。そして、その責任は私たち住民の側にもあるとも書いた。

  そのところを深ぼりしてみたいと思う。まず「原発」が争点になったのかということである。どの候補も、県内原発全基の廃炉については一致していたが、県外原発の再稼働、廃炉という点では不一致があった。しかし、その件については、何よりも汚染水対策も含めた県内原発の収束と復興であり、風評被害対策もある。雇用もある、そして補償問題もあるという中で、原発輸出も含めたそれは全国的な政治課題であり、知事選にはなじまないテーマであるとして県民の争点にならなかった。それが「県民一丸となって」というスローガンに凝縮されている。つまり「目の前の身近な生活の問題」の取り組みこそ、直近の課題であるとの受け止めであり、「いろいろあるが継続の原則と、国の支援が必要だ」という流れになったと判断して、まず誤りは無かろう。

  とは言え、触れなければならないものに「放射能汚染対策と中間貯蔵施設建設」がある。具体的には健康不安である。事例として子どもの甲状腺障害がある。県は18歳未満の児童に対し全員の検査を実施し、その結果をもとに「原発事故によるものとは言い切れない」という見解を出した。この見解をめぐる行政の在り方に対する討論がある。「この結果は明らかに原発被害によるものだ。よって国と東電の責任を追及し、合わせて保障(補償)を求める」との主張、さらには「その責任は法で裁かれなければならない」とするものもある。しかし、今般の論戦の中では、要因が明確でない限り「今後も調査(検査)は継続し、経過を見ることが大事である」という点では一致している。

  そして「中間貯蔵施設」がある。自らも避難をした当時の行政の「長」であった井戸川候補も県内設置を明確に否定はしていない。地元住民に対する丁寧な説明と補償が大事であり、住民の了解が前提であると述べている。選挙政策的にはそのようになるだろう。

  私は、政治評論家でもないが「市民感覚」として述べれば、今後の福島県における政治選択の課題に、「原発事故問題」は前記の論争を続けるかぎり争点にはならないと受け止める。例えば、健康不安は原発事故が要因であるとする限り「18歳未満の健康診断およびその治療の無料化」の法律制定には国は応じてこないだろう。この間、チェルノブイリを通じた専門家が来日し、私たちにメッセージを送っていく。そこには明確な知見の一致はない。つまり国際的知見は定まっていないのである。ならば、まずは「健康診断、治療の無料化法案」を実現させることに専念すべきであろう。そこには必ず論争が生まれる。

  また「中間貯蔵施設」である。残念ではあるが今後住民間の対立が生まれるだろう。また地権者の親族の中でも不一致が生まれるだろう。それは避けられない事実である。私たちは、そのような事実を通して「これが、原発が生み出す元凶なのです」。「だから原発は作ってはならない、稼働してはならない」という視点で訴えたらどうだろうか。そこには必ず争点が生まれる。

  争点が生まれれば、そこに住民(県民有権者)の選択視が生まれる。

  今回の選挙において敗北をした候補者の、とりわけ「放射能論戦」を展開した候補者の結果を見る限り、その論点は住民の支持は得られない。その修正が必要と痛感するのだが、いかがだろうか。