高齢者も女性も、そして子どもも大事にされる政治こそが望まれる

2014-10-04 15:18:33 | 日記

    高齢者も女性も、そして子どもも大事にされる政治こそが望まれる

  

  私のブログのタイトルは「高齢社会に生きるため、知恵と経験 そして言葉」である。

  過般(8月8日)も書いたが、「2025年問題」をどのようにクリヤーするのか。そのためにも多少の知恵と経験ではあるが、それに基づく「言葉」を発信したいと常々思っている。

  さて、今国会に臨む安倍内閣の政治姿勢であるが、もっぱら「女性の社会進出と子育て支援」を取り上げている。もちろん、これらの課題は長年取り残されてきたものであり「今になって何よ。遅い」と言いたいくらい課題である。だからと言って、例えば企業内組織における女性の幹部登用の比率がどうかなどとなれば「ちょっと待てよ」となる。女性全体が置かれている雇用条件をはじめとする実態を掴んでの提起ではない。それを無視した政策論議には腹が立つ。

  さらには「高齢者が子どものために『お金を使ってほしい』と言ってくれる町の状況を全国に広めて理解を進めるべき」(小泉進次郎政務官)と、高齢者の予算を削減して子育て支援にまわした地方の自治体のケースを紹介して、高齢者対策から「女性・子育て対策」に、社会福祉の軸足に据えるべきという政治を主張してきている。

  よく、「使い分け論議」の展開というのがある。それは、必ず国民の分断を図るために用いる今も変わらぬ政治手法であることを忘れてはならない。

  円安経済による輸入品の高騰は、特に油や食料品と言った生活必需品の値上がりを招いている。そこに加わったのが消費税増額のダブル上昇である。私も時折買い物を担当するが、レジで示される値段に値上げを実感する。「これって、以前は2.000円以内で済んだはずではなかったか」と考え1000円札を3枚出す。家計のやりくりに苦慮している主婦にとっては、家計補助的な仕事であるパート・アルバイトよりは、正規の、そして働きづけられる環境を求めることは当然である。にもかかわらず長いこと放置されてきた。そこに、「今度は、皆さんたちの要求が政治の出番になりますよ」と述べられれば、その政治はまぶしく見える。

  私は、介護保険制度ができた時、自分の子どもに「自分の親を介護することは難しい。というよりできないだろう。だから『全国の親を介護する』という想いでしっかりと負担せよ」と言ってきた。

  今の政治家は「年寄りは金をもっている。豊かである」と認識している。そして「孫への教育資金1500万円の贈与非課税」などを提案し、その実績をもって「政策は正しい」と唱え。「物価の上昇による実質的賃下げ。多くの中小企業では賃上げどころか賃下げも出ている」との指摘に対しては、アベノミクスは「全国津々浦々」に効果を及ぼしているとの決まり文句を並べたてる。

  国民年金受給者の一人暮らしであるが、医療保険・介護保険を差し引いて6万円そこそこの手取り額(これは平均を上回る数少ない実例)。固定資産税を納めると5万5000円程度になる。食費は日に500円から700円で生きている。(投稿者81歳女性・京都)

  高齢者問題には、もはや軸足をおかないとするなら、「生産性のない高齢者は、税の恩恵を浴さなくとも良い」ということか。安倍政治体制とは、「高齢者切り捨ての内閣」と言いたくなるが、どうだろう。