福島の知事選・ わかりやすい選挙であるにもかかわらず  低い投票率(政治参加」を危惧する

2014-10-15 16:55:25 | 日記

  福島の知事選・ わかりやすい選挙であるにもかかわらず、低い投票率を危惧する

  ここにきて、数人の友より福島県知事選に関するメールが届く。

  ひとつは「どうなっているのか、実情を知りたい」というものであり、さらに「6人も立候補者があったということは熱の入る選挙戦になるだろうね」。あるいは「結局はバタバタ選挙騒ぎになるのかな」。そして「選挙の争点は原発だけでよいのだろうか。政府批判は出るのだろうか」などなどである。しかし、「選挙の結果については強い関心をもっている」という点では一致している。

  そして、強い関心の中身は、相乗り候補が勝つのか、それとも、その候補への批判がどれだけ集まるのかになっている。

  だが、私はどうしても「投票率」にこだわる。

  過去の投票率を見てみる。1988年の選挙は81%であった。連続5期を務めた佐藤栄佐久氏の初当選の時であり、5人に4人が投票場に行ったことになる。そして前々回、佐藤雄平氏の初当選の時であるが、自民党も森まさこ氏を擁立し、計5人の立候補者による選挙戦であった。その時の投票率は58.77%であった。そして前回2010年は42%である。

  今回は6人の戦いである。だが様相は変わっている。しかも12万人が福島を離れている。自民党のみならず、既存の政党も一枚岩となってはいない。

  県民の、新しい県政に対する要求は、「復興・脱原発・放射能被害に対し、スローガンではなく具体的な政策の中身を示せ。そしてわかりやすい言葉で説明せよ」となっている。その意味では、県民にとっては極めてわかりやすい選挙であることは間違いない。だが反面、どの候補も同じことを述べている。誰がなっても変わらないという白けが有権者の間で広がっていることも事実である。

  迷わず、決めた候補に一票を投じることのできる選挙であるにもかかわらず、「投票場に足を運び、投じる一票の重さを感じない」という空気のあるのを感じるは私だけであろうか。

  それが、低投票率の危惧を日増しに大きくしている要因と受け止める。

  イギリスでのスコットランド分離独立の住民投票、あるいはウクライナにおけるクリミヤ分離の住民投票。これらは一重に過去の重い歴史を引きずるものである。地続きの国境を境にする侵略の歴史を知らない日本にとっては理解しにくいものであることは確かである。しかし、国のあり方を選択することの重さについては、日本も、そして福島も変わりはない。問題は、その選択権に参加することへの国民の意識である。そのことを投票権とするなら、どの候補が、またはどの政党が支持・支援した候補の勝ち負けよりは、選択権への参加率(投票率)を重要視すべきと、私は考える。

  そのことが「中央政権の引き回しを計った知事選」に対する批判であり、それを強行した政権党(内閣)への強力な鉄槌となるだろう。そして沖縄へと引き継がれると考えるがどうだろう。

  為政者にとって、一番怖いのは国民の政治選択への参加である。このことは今日においても変わらない。