気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

中宮寺献茶に

2015-04-12 16:47:11 | お茶会・お茶事

中宮寺 第46回山吹茶会
裏千家今日庵千宗室家元御名代 千万紀子様が、本尊様へのお献茶式をされました。



さすがにお道具はすべて素晴らしく、
特に月日貝香合に目が行きました。
よく似たものをネットで検索しました。


本堂






なおあの有名な国宝菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)も東洋のモナリザとも称されるアルカイックスマイルも拝見することができました。

4月の玄関のしつらえは

2015-04-12 08:12:45 | しつらえ


富岡鉄斎 伊勢海老図 大和文華館蔵 色紙

 えびの長鬚は水面を突き破り、
 その水面にはじゅん菜の芽が青々としている。
 湖上に吹く風は水気がなまぐさい。
 たまたま機会を得て画家の絵が手に入ったのであるから、
 すぐに料理して食べてしまわないで描いてみよう。


4月に入り、お稽古がはじまります。

玄関のしつらえです。



なお大和文華館では 特別企画展 風俗画と物語絵が行われています。

敦香合(たいこうごう)とは

2015-04-11 14:27:14 | しつらえ

敦香合 楽山焼 九代目住右衛門空味 号:(無心)

4月初めのお稽古です。
しつらえを考えました。
敦香合(たいこうごう)にしました。

中国古代の黍稷(しょしょく)【きびのこと】を盛る礼器で
三脚のつく半球体の身と三(さんちゅう)のつく半球体のふたから成るもの。
春秋・戦国時代に用いられた。青銅製や陶製のものが見られる。

愛新覚羅溥任氏がお亡くなりに

2015-04-11 09:09:20 | しつらえ


愛新覚羅溥任氏(中国清朝最後の皇帝溥儀の末弟:あいしんかくら・ふにん)96歳が10日に死去された。

”溥儀が辛亥革命で1912年に退位した後の18年に生まれる。日本のかいらい国家だった満州国の皇帝となった溥儀には従わなかった。新中国成立後は教師となり、退職後は清朝史を研究。北京市人民政治協商会議委員も務めた。”

この記事を目にして

15年前ガイドに連れられ、北京の故宮博物院を見学したとき、
一角の小さな建物にて、書を書かれていました。
本当?、中国人に騙されたと思いながらも、
書を一幅いただいたことを思い出し、
急遽、今日のお稽古に飾らせていただきました。

合掌

追記
書は壽石という名で、
中国に寄付したと思えばよいのではと納得しています。
 

今日の主菓子は

2015-04-10 09:12:38 | 主菓子とお干菓子

一休寺の月釜より

今日も冷たい雨が
MADE IN KYOTO 特別編【和菓子のルーツに迫る】のビデオを観て
改めて、茶道と和菓子の深い関連性を思い描くことができました。

鈴木宗康先生の
菓子はよく五感の芸術であると称され、視覚・触覚・嗅覚・味覚・聴覚の

五感を満足させるものですが、特に聴覚の要素である菓銘は、花鳥風月や

風景など清雅な日本的感性のものが多く、それによって一層の味わいと

風情を高めてくれます。



今日の和菓子は
新青柳 虎屋製 だそうです。
京都の菓子歴より


レパートリーをふやさなくては。


スミレを見つけました。

2015-04-09 15:21:02 | 季節の花々
山路来て 何やらゆかし 菫草 芭蕉




花冷えの日が続いておりますが、今日はだいぶましなので、
川の堤防上を散歩しました。
空にはヒバリ、土手にはスミレ。

一部サイクリングロードにもなっており、
三々五々自転車が通り過ぎます。

葉は天ぷらにしたり、茹でておひたしや和え物になり、
花の部分は酢の物や吸い物の椀ダネになるそうですが、
他のスミレ科植物、例えばパンジーやニオイスミレなど
有毒なものがあるため注意が必要ですとのこと。


スイス アイガー山麓にて2014.6
多分ビオラ・カルカラタと思います。
花の色は濃いものから薄いものまで変化に富むそうで、
スイスでは葉と花はスープに入れて食べられ、
救荒食の一つだそうです。


八重桜はまだ盛んに咲いていました。

造幣局の桜の通り抜けも始まりましたね。
今年の花は一葉
行きたいけど、混雑が?


茶碗の真の結びの練習

2015-04-08 10:50:39 | お稽古



茶碗の真の結び

真の行台子をすることになり、台子を設置しましたが、
茶碗をおいておりませんでした。

茶碗の真の結びは、通常の手前に用いられることはなく、
台子の相伝の手前で用いられるます。
本には2通りあり、いかがでしょうか

練習あるのみですね。

なぜここに和泉式部の墓が?

2015-04-07 08:59:45 | 散策
小倉百人一首56番
「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」



木津川のほとりに、和泉式部のお墓があることは知っていましたが、
先週、満開の桜のなか、郷土史家の先生の案内で、尋ねることができました。



いづみがわ 水のみわたの 松のうえへ 山かげ涼し 秋のはつかぜ




和泉式部のお墓は、京都にある誠心院lにあるとされます。
しかし岩手県から佐賀県まで、10か所以上にも墓や供養塔が存在しております。
一説には、誓願寺に所属した女性たちが、説話を各地方で広めたためだとも言われております。

この誓願寺は飛鳥時代、天智天皇6年(667)、天皇の勅願により創建され、
もともとは奈良にあり、1200年代に京都市内へ移っております。
その誓願寺の塔頭に誠心院(以前は「じょうしんいん」)があったとされており、
生まれがここ木津で、誓願寺という名のお寺もあるそうで、
その関係からと話されておりました。
しかし木津の墓は5輪塔の形式から、中世:鎌倉時代と考えられており、
ここ木津のどこかに和泉式部のお墓があるのではないかといわれました。


雨の中、お稽古に出かけ、次回は真の行台子をすることに。

2015-04-05 20:28:32 | お稽古


雨の降る中、前回、都合で行けなかったお稽古にでかけました。

平花月を2回教えていただき、

その後、釣り釜の初炭、唐物点前を拝見いたしました。

次回、真の行台子をすることになり、練習しなくては

帰宅後すぐに、4畳半の荷物を片づけ、明日からのため

台子を設置しました。(完全ではありません)