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なぜここに和泉式部の墓が?

2015-04-07 08:59:45 | 散策
小倉百人一首56番
「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな」



木津川のほとりに、和泉式部のお墓があることは知っていましたが、
先週、満開の桜のなか、郷土史家の先生の案内で、尋ねることができました。



いづみがわ 水のみわたの 松のうえへ 山かげ涼し 秋のはつかぜ




和泉式部のお墓は、京都にある誠心院lにあるとされます。
しかし岩手県から佐賀県まで、10か所以上にも墓や供養塔が存在しております。
一説には、誓願寺に所属した女性たちが、説話を各地方で広めたためだとも言われております。

この誓願寺は飛鳥時代、天智天皇6年(667)、天皇の勅願により創建され、
もともとは奈良にあり、1200年代に京都市内へ移っております。
その誓願寺の塔頭に誠心院(以前は「じょうしんいん」)があったとされており、
生まれがここ木津で、誓願寺という名のお寺もあるそうで、
その関係からと話されておりました。
しかし木津の墓は5輪塔の形式から、中世:鎌倉時代と考えられており、
ここ木津のどこかに和泉式部のお墓があるのではないかといわれました。


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