桜川棗
全体に網目が施されており、蓋裏に桜の花びらが数片蒔絵された平棗です。
裏千家十四代 淡々斎好みの薄器です。
【桜川】はお能の演目の一つで、常陸の国の桜川で、桜子という娘が、母と再会する物語で、
そのくだりに、母がわが子を求めてすくい網で桜の花びらをすくいあげ狂い興じたことをもとにしています。
この桜川棗は染付桜川水指や桜川釜などと一緒に
桜の花が散り始めるこの時期の茶会には、その華やかな風雅さも合うようです。
さらに歌枕としても使われております。
「常よりも春辺になれば桜川 波の花こそ間なく寄すらめ」
(後撰和歌集) 紀貫之
この桜川とよまれているのは、
古来より「西の吉野、東の桜川」と並び称されるほどのサクラ(山桜)の名所でした。
茨城県桜川市(岩瀬地区)にある「桜川のサクラ」のことです。
残念ながら、紀貫之自身は訪れてはいませんが、東国の桜川の評判が遠く
平安京の都人にまで届いていた証しでもあります。