日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

これを嫉妬というんです

2016年05月14日 18時28分48秒 | 思うがままに

「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬というんです。
一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間は、なかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと言ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿という」『赤めだか』 より

昨年の暮れに観たドラマ「赤めだか」そして、先日のEテレ「立川談春×古川周賢」があまりに面白かったので立川談春さんのエッセイ「赤めだか」をこの旅先で読み終わりました。とにかく洒脱な文章で、描写が細やか。あの師匠にこの弟子あり。

立川談春さんが、弟弟子の立川志らくさんに嫉妬していたことを感じ取っていた談志師匠の鋭い指摘に「ハッ」とする談春さん。談志師匠のこの言葉もすごいけれど、ここから大転変をする談春さんもスゴイ。

彼は、この優秀な弟弟子の志らくさんから学ぶことを決し実践しました。

厳しい落語の世界を生きのびていくことは半端な決心と情熱では成し遂げられないのですね。オススメの本です。フライト中でもインターネットに無料で繋がる…ただし無料は15分のみです。もう少しで着陸します。それではよい日曜日を…。明日は水戸です。(荻山貴美子)

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毒があるから惚れる!

2016年05月09日 17時31分08秒 | 思うがままに

立川談志師匠は、その昔「古典(落語)で言えば、どんな落語家よりもコイツが一番。俺の領域まできているし、俺よりも上手いかも知れない」と目を細めて弟子の立川談春さんを絶賛していました。

現在の談春師匠の寄席チケットは一番取りにくいと言われています。

その人気絶頂の談春師匠と恵林寺の古川周賢禅僧の対談は本当に面白かったです。(一昨日のswitchインタビュー 達人達)

古川周賢師は禅僧には珍しく早口。田原豊道先生は「そうかなあ、私にはよく分かったよ」とおっしゃっていましたが「それは字幕が流れていたからではないですか ?」に「あっ、そうか!わっはっはっ」と。

とっても人柄の良さが滲み出ている禅僧でしたね。

話のクライマックスは、師匠と弟子の関係になります。

談春師匠は談志師匠を好きで好きでたまらなかったようです。

その魅力は
無条件に自分の道を行く人…であること。
毒があるから惚れる…そうです。

教育と師弟関係は違う…とも。

なるほど!

仙台からの帰りの新幹線です。(荻山貴美子)

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情報

2016年05月07日 14時27分25秒 | 思うがままに

ERIKOさんからの情報です。

5月7日(土) Eテレ
午後10時00分~ 午後11時00分
「立川談春×古川周賢」
談志の無理難題には禅に通じる深慮があった!?知恵とズルの違いは?人生の失敗例は全て落語の中にある?生きていくのが楽になる、異色の名問答!

 

今晩楽しみです。ERIKOさん、ありがとうございます。(荻山貴美子)

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貧者の一灯はもっと尊い

2016年05月07日 13時46分07秒 | 思うがままに

人の心には誰にもマハートマ・ガーンディーとアドルフ・ヒトラーが住む、とエリザベス・キューブラー・ロスが語っています。
マハートマ・ガーンディーの慈悲の心とヒトラーの無慈悲な心が同居していて、環境によって左右されるということでしょうか。

そのヒトラーでも、慈しむ心はあったようです。
子どもを微笑みながら見つめている写真を見たことがあります。

極悪非道なアルカポネが、オペラを鑑賞しながら感動の涙を流す…というシーンを映画「アンタッチャブル」で観たことがあります。

人はそもそも善なのか、悪なのか?

性善説と性悪説かで、分かれるところですが…

『ヨーガ・スートラ』では、真のヨーギー(ヨーガ行者)には善も悪もない。つまりその行為は善悪を超越していると言っています。そういえば、マザーテレサは、ご自分の活動を「これは善い行為」…だなんて思ってはいなかったと思います。

面白いのは、その他の人々です。
その他の人には善と悪と、それらの混じりあったものの3種あり…と。

混じりあったものとは…
ひとつの行為の中に善と悪が混じりあったもの…です。

何かすばらしいことをします。
たとえば今回の熊本の被災者に役立つようにと多額の寄付金をした…。その行為は善い。しかし、その背後に少しでも利己的な動機があれば悪い…というように。

しかし、利己的な思いと言っても、誰も傷つけていないならば「不謹慎狩り」をする輩のほうがよほど責められるべき人…と私は思うのですが…。
しかし、それでさえ、ただのつぶやきでしかありません。

言わせておけばいい…

長者の万灯もありがたいです。
できる人はたくさん寄付したらよい。
しかし、貧者の一灯はもっと尊い。
仏教では、貧しい人の誠意のこもったわずかな捧げ物は、どんなお金持ちの世間体を飾った多くの捧げ物よりまさっている…という教えがあります。

いよいよ連休も終わりですね。

私は、片付けに、「ヨーガまんだら」のプリント作りに、『ヨーガの四季』71号に取りかかりました。

今日は青山NHK、明後日から仙台に移動します。(荻山貴美子)

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