横浜から北海道の山村に移り住んだ、我が家のつぶやき

北海道追分に移り住み5年。今度は追分から恵庭へ。毎日が新鮮で愉しい事だらけ。そんな生活を気まぐれにおしゃべりしています。

初めての日本酒

2011年01月06日 22時09分29秒 | 季節

「しわしわはよくないよ」って言った回転寿司屋。

何ヶ月ぶりだろう。

以前はやたらと行ったものだけど、いつの頃から、ぱたって行かなくなった。

食べたいって思わないんだ。

それが無性に食べたくなり、お腹の調子が悪いからと言うお父さんを置いて、一人で行って来た。

何皿か食べてレジに行くと、目の前に大きな樽酒があるではないか。

「これ売り物?」

「正月3が日、お客さんに振舞ったんですよ。」

「わ~いいな~ 飲みたい。」

「お飲みになります?どうぞ」

ぷ~と木の香りがしてくる。樽酒はひと味違うね。

グイと飲みほし、

「もう一杯入れて。」

外ではお父さんが待っている。

今年初のお酒、

う~~~~~

いい気分。

 


雪中保存

2011年01月06日 18時15分40秒 | 

蕎麦屋に入った。

大きな窓から眩しいほどの陽射しが入り込んでいる。

ふと外を見ると、仕事着の若い衆が二人、スコップを持って雪山を掘っている。

その内にムシロが出てきた。

そして手にしたものは大根だった。

何本か掘り出した後は、またムシロを掛け、雪を掛け、元通りし寒そうに戻って行った。

氷点下の北海道では雪中の方が暖かい。

秋、沢山収穫した野菜を雪に埋め、保存する人は多い。

 

 

 


回転寿司屋であろうとも。

2011年01月06日 17時57分33秒 | まちこつぶやき

回転寿司屋に入った。

目の前で握っている、若いスタッフが着ている仕事着が、さっきから気になっている。

しわしわなんだ。

前も後ろもどこもしわしわ。

他のスタッフは?

皆、きれいな仕事着だ。

う~~~~~~~

“ねえ~○○さん、ちょっとそのしわしわ気になるんだけど、客商売なんだし、いくら回転寿司とはいえ、寿司屋は粋(活き)が大事だと思うよ。しわのないきれいな仕事着のほうがいいと思うんだけど。”

“すいません、言っていただいてありがとうございます。“

さ~てこの若者、それからどうしただろう・・・・


注問?

2011年01月06日 17時43分17秒 | まちこつぶやき

ラーメン屋に入った。

割と大きい、客もそこそこ出入りしているラーメン屋だ。

玄関扉になにやら紙が張ってある。

「お客様にお願い。  御注問の時に・・・・」

御注問?

お店の方に、“注文の字が違うと思うよ”

“あっ、そうでしたか? すみません”

直すかな・・・・・


仕立て屋銀次

2011年01月06日 08時51分06秒 | まちこつぶやき

「ケツパーの梅じ~」から「仕立て屋銀次」にたどり着いた。

こんなスリ師がいたんだね。知らなかった。

彼は歴史上最大の掏摸の元締めで、彼の逮捕には二個小隊の警察隊が動員されたという。逮捕のきっかけは「金時計事件」。元新潟県知事の男性が市電の中で金時計を紛失。伊藤博文から贈られた大切な記念の品とのことで、元知事は、「スリの親分に頼めば返してくれると聞いている、頼んでみてくれ」と被害届に百円札を添えて赤坂署に提出。
赤坂署の署長は、当時1,500人ほどいた東京のスリに君臨する二大巨頭、仕立屋銀次と湯島の吉に出頭を求めるが、仕立屋銀次は出頭せず出世の機会と面目を失いそうになった署長は怒り、部下を率いて日暮里村の大邸宅で1909(明治42)年6月23日逮捕劇となったのだった。

署長は、元知事に恩を売り、当時の最高権力者伊藤博文にゴマをするつもりだったとも言われている。

逮捕時の格好は丸顔5部刈り、鼻下に八の字ひげをたくわえ、フラノの単衣にセルの単羽織、鼠縮緬(ねずみ色の一面に細かなしぼを出した絹織物)の兵児帯に紺たびをはき、黒の山高帽、左の薬指に白金の指輪、甲斐絹(かいき=海気)細巻きの洋傘と、一見立派な紳士であった。赤坂署では署長自身が銀次らを取り調べ、一方で子分やその他親分株次々と検挙。銀次は例の如く「今度だけは許されたい」と哀訴歎願したが署長ははねつけ「警察界の大痛快時!」と市民は拍手したという。

捜査が進むにつれ、一大秘密結社のようなおおがかりな組織が浮かび上がった。「金融機関」として質店を開かせ、故売人と連絡して関西と盗品の交換をする。盗品変造には貴金属商、紺屋(染め物屋)、仕立屋などがあたり、文書の往復や盗品の送受に通信機関を設け、電話を架設し、遊興には待合(待合茶屋)を開いて芸妓出張所を営業し、社会的には赤十字功章者となるなど、警察の目を巧みに逃れていたという(朝日クロニクル『週刊20世紀』)。

銀次は元は仕立屋だったが、根岸に住むスリの親分清水の娘と内縁関係となり、ついには東京市内だけで子分は250余人、京阪地方から上京したスリも必ず銀次の元に寄って渡りをつけていた。財産をなした上は、上は北豊島軍日暮里村の村会議員となり、名誉職を利用して上流社会に入り込んで一代悪事をと深謀遠慮を巡らしていたらしい。

以前箱師(車内専門のすり)を専門だったが、徐徐に各地各方面に手を広げ、家に十万に近き財産を蓄え、本所区に数十戸の地所家作を有し、さながら大富豪の生活をなし居ていた。

銀次が君臨していた明治30年代は,国家が近代化して久しいにもかかわらず,刑事警察の方面ではいまだ旧幕時代の因習が残っており,警察とスリとが「持ちつ持たれつ」の関係,今風に言えば,思いっきり「癒着」していたよう。スリ業界にとっては,天国のような時代だった。配下の者の1日の「仕事」の内容と,警察からの被害報告をつきあわせて,配下の者がピンハネしていないか調べていたという。

明治の頃はこんなにすごい親分がいたんだね~。

こんな事が許されていた時代でもあったんだね。

 

                                       

ケツパーの梅じ~

2011年01月06日 07時58分41秒 | まちこつぶやき

スリ歴60年、おん年81歳の通称「ケツパーの梅じ~」が昨年の大晦日、正月準備で賑わう、上野アメ横で20回目のお縄頂戴となった。

男性の後ろポケットから財布を抜き取る。

ケツ・・尻    パー・・財布

お縄を頂戴した梅じ~は、

“すった財布が重くなった。”

“手の動きが鈍くなった。”

と捜査員に言ったという。

寄る波には勝てないか梅じ~

梅じ~の人生はこうやって終わるのかな~

女に惚れたことはあったのかな~

指先の人生。

刑務所で梅じ~はどんな作業をするんだろう~

梅じ~、風邪ひかないように、しっかりご奉公するんだよ。

税金で成り立っているっていう事を忘れないでね。