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心の風景 認知的体験

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2016-12-09 | 認知心理学
●勘は身につけることができるか  
勘の良し悪しは天性による部分が大きいようには思う。しかし、「勘を磨く」という言い方もあるのだから、それなりの努力をすれば、勘も身につけることができるはずである。  
さらに、「勘が冴(さ)える」とも言うのだから、持ち前の勘をうまく発揮できる状況とそうでない状況もあるように思う。勘を冴えさせる状況作りもありそうだ。まず、こちらのほうから考えてみる。

●勘を冴えさせる  
勝負好きの人なら誰もが勝負勘なるものがあることを実感しているはずである。勝ちにつながる手がふっと浮かんでくるあの感触である。  
その状況を分析してみると、3つの特徴が浮かんでくる。  
一つは、強烈な目的意識と問題意識である。勝ちたい、そのためには状況の何が問題なのかを明確に意識している。  
2つは、集中である。そのことにだけ心のすべてを集中している。  
3つは、したがって、活発かつ焦点を絞った情報収集と情報処理が頭の中で起こっている。  
勝負の時に限らず、こうした状況に自分を追い込むことが、持ち前の勘を発揮させることにつながるはずである。

●勘を磨く  
では、どうしたら、勘は磨けるのであろうか。  
勝負やパズルでは、解くべき問題がはっきりしている。しかし、日常の仕事では実はここが問題なのである。解くべき問題が何かがわからないのである。そもそも問題が存在することの意識さえないことがある。こんな日常では勘を磨く機会はまったくない。  
日常から離れて新鮮な体験をすると、視界が広くなって、いつもの仕事についても、おもしろい問題意識が生まれてくるかもしれない。
問題意識が強ければ強いほど、見るもの聞くことすべてが勘を触発してくれる。ヒントが外から内(頭)から押し寄せてくるような感じになればしめたものである。  
情報化社会では情報はあふれかえっている。しかし、それは逆に、肝心の情報を隠してしまうノイズが多いことでもある。そこから今の自分の問題を解決する情報を拾い上げるには、漫然と情報とつきあっていてもだめである。強烈な問題意識と、新鮮な体験を求める知的好奇心が必須である。


心はみえないけれど、

2016-12-09 | 認知心理学
「思い」は見えないけれど、「思いやり」は誰にもみえる
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「心」は見えないけれど、「心使い」「「心配り」は見える。
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「心は存在しているけれど、見えない。」



心理学の社会的責任に答えるために

2016-12-04 | 認知心理学
心理学の社会的責任に答えるために

① 心理学はサイエンスであることの自覚
② 社会的諸問題の解決に役立つことの見える化
③ ポップサイコロジーに負けないサイエンスベースの発想力の陶冶
④ 諸心理関係職能団体間の緊密な連携と政治団体化



集中と時間感覚

2016-12-01 | 認知心理学
集中は時間を忘れさせる

ストップウオッチを用意してください。

スタートを押して
課題1)目をつむり、1分たったと思ったら目を開けて、ストップウオッチを止めてください。どれくらい正確でしたか。

課題2)目をつむり、同時に、200から3ずつ引き算をしてください。1分たったと思ったら目を開けて、ストップウオッチを止めてください。どれくらい正確でしたか。

課題3)目をつむり、同時に、2000から3ずつ引き算をしてください。1分たったと思ったら目を開けて、ストップウオッチを止めてください。どれくらい正確でしたか。


課題3)
「解説」
集中して何かをすればするほど、時間は短く感じられます。課題2)より課題3)のほうが課題が難しくなっているので、集中度を高めないと計算ができませんから、1分間が短く感じられたはずです。



知も物と同じ枠組で考える

2016-12-01 | 認知心理学
知も物と同じ枠組で考える

 物は生産され流通し、そして消費される。知もそれが、社会的な存在となるためには、生産され流通し消費されなければならない。 たとえば、1455年にグーテンベルクが活版印刷を発明したことで、知の流通に革命的変化が起こった。そして今、ワープロ、インターネット、ゲームが知の生産、流通、消費の現場を、これまた革命的に変革している。

 知を物と同じように、その生産、流通、消費の3つの側面からとらえてみることができる。これを縦糸して、横糸として、これまた3つの知の現場を設定してみると、知の現場がみえてくる。

 その横糸の1本は、知の科学の現場である。
 知の科学は、認知心理学/認知科学として研究されている。ほぼ半世紀余の研究の蓄積がある。

 2本目は、知の陶冶の現場である。
 知力の時代になれば、高度の知を身につけた者が勝者になれる。今の日本では、学歴社会が建て前上、批判の的にされているようなところがあるが、学歴が知の高度化の指標であるとするなら、その批判は筋違いである。どんな知を身につければ知力の時代にふさわしいのか。それを保証する教育システムはどんなものであるべきかを考えてみる必要がある。
 
 3本目は、知の道具の現場である。
 紙と鉛筆だけからコンピュータへと、知を支える道具は進化を遂げている。こうした知的活動を支援する道具の進化は、知の質を変える。そうした道具と人との関係の最適化のためには、どのような問題があり、どうしたらより良いものになるかを考えてみる必要がある。

 

妥当な研究評価とは

2016-11-26 | 認知心理学
妥当な研究評価とは

 評価には、評価される人が、評価結果に納得してくれる、ということも結構大事になる。納得してもらえない評価は、やる気を削いでしまうからである。時には、大騒ぎになることもある。

 そこで、評価規準を「ある程度まで」透明化した上での、エキスパートや仲間による「主観的な」評価を行なうことになる。
 
ここで、「ある程度まで」と「主観的」について一言。
 評価規準を「完璧に」定めることは不可能であるし、また、あまりに細部に渡ってまで定めてしまうと、評価コストがかかるだけでなく、被評価者も目標が見えなくなってしまう恐れがある。
 「主観的」とは、最終的な評価は、評価者の主観に頼らざるをえない部分があることを言いたいためである。「主観」のない評価は、過去の数量的な実績に依存することになりがちで、ともすると、将来への展望をにらんだ評価にならない。審査者の主観の質が問われる。



人がからむと因果認識は複雑

2016-11-24 | 認知心理学
人がからむと因果認識は複雑

①複数の原因が絡まりあってくる
②原因を求めて、無限に後戻りする

過去の生育歴   性格  動機
            行動傾向           殺人
  社会情勢       対人関係 
                       状況
 
 

知の生産、流通、消費

2016-11-21 | 認知心理学

1部 知の生産
1章 半世紀にわたる認知研究がもたらしたもの----知の研究
2章 「なんとか力」大流行の背景---知の陶冶
3章 知的活動を助ける----知の道具

2部 知の流通
4章 書け、さもなくば、朽ちろ---知の研究
5章 今教育は----知の陶冶
6章 活版印刷に電子メディアがとって代わる---知の道具

3部 知の消費
7章 研究が評価される---知の研究
8章 知が劣化する---知の陶冶
9章 使い勝手が悪い---知の道具

心理学の講義

2016-11-21 | 認知心理学
 多様化する学生のある層、とりわけ将来心理学を専攻する層には、割り切って、たんたんと「心理学」の講義をしてもよいと思う。というより、すべきだと思う。それは、「心理学」への本格的な学びのためには避けて通ることはできないステップである。

 しかし、教養や興味から選択するような学生層には、そうした授業は、心理学への拒絶反応だけを学ばせてしまう不幸を与えることにしかならない。それだけは避けたい。ポップサイコロジーを活用した「おもしろい」「期待通りの」心理学を講義することが効果的である。

研究評価

2016-11-14 | 認知心理学
業績主義がかなり日本の大学研究者の世界でも一般化してきた。
ポストを得るにも昇進するにも、査読のある論文の数が問われる--もっともこれは理工系の話---。したがって、投稿論文の不採択は、たちまち不利益につながる。
 
また、研究に投入される税金が格段に増加してきている。
たとえば、文部省・科学研究費は2000億を越える。
当然、どれだけの成果が上がったかが厳しく問われることになる。
短期的かつ金銭的な費用対効果だけを考えれば、その低さは、公共投資の比ではないはず。
最近、会計検査で、文部省・科学研究費の成果報告書の未提出があることが指摘されたとの報道もあるが、研究成果は論文にしてはじめて成果であり、補助金対応の報告書のほとんどはジャンク・ペーパー(ごみ箱行きの紙)である---もっとも、文科系の世界では、この報告書が業績審査として提出されることもあるのだから驚く---。



研究評価

2016-11-08 | 認知心理学
評価が一致しない
 ほとんどの研究評価は、実質的には、2人か3人の専門を同じくする「仲間内」で行なわれる。「仲間内」であっても、しかし、評価者間で判定の一致する割合は、それほど高くはない。したがって、その調整に手間取ることになる。

 ある学会誌で3年間、編集委員をしたときの経験では、最初の段階での3人の査読者間の一致は、採否2分割で言うなら、4割程度ではなかったか思う。

 評価が行なわれるところならどこでもそうであるが、トップレベル(きわめて独創的なものは除く)とボトムレベルの判定は一致する。問題は、採否、合否のボーダーライン近辺である。しかも、これが圧倒的に多い。ここで判定が割れる。

 また、研究申請の審査も経験した。研究費申請の審査では、これからこんな研究をしてみたいという申請についての評価をすることになるが、採用人事と同じような難しさがある。過去の業績のない若手研究者のきわめて独創的な研究申請が落とされがちになる。

形成された習慣の行動的なレベルでの特徴

2016-11-05 | 認知心理学
形成された習慣の行動的なレベルでの特徴を挙げてみると、次の2つになる。

 1つは、その時その場に臨めばいつも同じ行為をする。

 2つは、その行為は最初のきっかけ(トリガー刺激)によって自動的に要素行為が進行していく。多くは、時間がトリガー刺激になるが、場(状況)や声かけなどによっても自動的に進行する。
 



研究の評価規準

2016-11-03 | 認知心理学
研究の評価規準は、さまざまであるが、規準の高低と質が思案のしどころとなる。  

まずは、評価規準の高低。
卒論と博論を同一の規準で評価すれば、誰も大学を卒業できなくなる。さらに、これは明示的に言うのははばかられるところもあるが、学会誌間でも---ということは、学会間でも、ということになる---規準の高低はある。ただし、これは、あくまで主観的で暗黙の規準としてである。

格づけの好きな(?)アメリカあたりでは、あからさまに、これは格が低い(掲載規準が低い)雑誌である、と言う。投稿者も、「この論文なら、この雑誌へ」との配慮をする。  

次は、研究評価の規準の質、換言すれば、評価の観点。  
もっとも大まかなものは、「掲載可能から掲載不能」「優れているから劣っている」まで、2段階から5段階くらいまでの判断をもとめ、あとは、その理由を付すようなものである。

この対極にあるのが、独創性、斬新さ、論理性、方法の完璧性など観点別に点をつけて、それを総合する形式のものである。  
どんな評価規準を採用するかは、学問(学会?)文化や評価する目的によって異なる。そのあたりをつい忘れて「絶対評価」をしてしまうと、評価の「妥当性」が疑われることになる。

知が力なりの時代に 

2016-11-03 | 認知心理学
知が力なりの時代に   
知の時代である。誰しもが知に関心を寄せざるをえない時代でもある。自分の頭の働きへの関心はもとより、自分の周りに多彩な形で遍在する知もひどく気になる時代である。  

A.トフラーの名著「パワーシフト」(徳山二郎訳;扶桑社)に、こんな話がある。  

天照大神の時代の三種の神器とは、剣と勾玉と鏡であった。それぞれが権力(パワー)の源と対応している。すなわち、剣は筋力と、勾玉は金力と、そして、鏡は、自分自身について知り、知を生み出す象徴と考えると、知力と対応している。そして、その権力の源泉が、筋から金へ、そして今、金から知へとシフトしている。  

この知力を機械として具現化したのが、コンピュータである。1938年のABCコンピュータの出現は、金から知へのパワーシフトを強力に押し進め、そして、社会の知の世界も、人のそれをも一変させた。  

時を同じくして、心理学も大きくパラダイム・シフトした。外部の力との関係でのみ人の行動を考えるべしとする行動主義から、内部の知(心)こそ心理学の研究対象とすべしとする認知主義へと、研究パラダイムを大きく転換させた。