三流読書人

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ドングリ小屋住人 

殺せと命じ、死ねと命じたものがいた

2008年03月30日 10時28分24秒 | 平和
一昨日の、「沖縄ノート訴訟」判決はごく当たり前の常識が反映されたものといえる。大江健三郎氏の勝訴を喜ぶ。

人を殺せと命じ、死ねと命じ、大勢の者が死んだ。
しかし、死ねといった覚えはない。勝手に国に殉じて死んだのだという。
百姓が、漁師が、職人が、商いをしていた者が軍人だと言われ、「軍人勅諭」というようなものを与えられ、戦場に連れて行かれ、戦争させられた。この者たちの命など「鴻毛の軽きに等しく」といって虫けらのように死なされた。
もっとも戦争で勇ましく戦ったものはほんの一握り、殆どは物資の補給を絶たれ、餓死していったという。
何が「鴻毛の軽きに等しく」か、家族にとって、愛するものにとって、軍人などではなく日本の市井に生きるものとしては地球より重い価値の命であった。

そういう「戦争」の最もひどい地獄に沖縄の人々はいた。
銃後を守るといって非戦闘員、年寄り、女、子ども、障害を持つものの命ももっと軽く扱われ、死んでいった。

いよいよ戦況が絶望的になると「捕虜になるな」と「生きて虜囚の辱めを受けるな」と手榴弾を渡された。
追いつめられて、手榴弾を爆発させて自決した。
そのときの日本軍の指揮官が「自決を命じた覚えはない」と言ったってそれはないだろう。沖縄の民衆が怒るのは当たり前だ。
しかし、文科省はそういう風に言ってる人がいるので教科書には軍の命令で自決させられたと書くのはよくないと教科書を書き換えさせた。

なぜか、どこかにかつての歴史的事実が明らかにされたくない人々がいる。その圧力を受けて文科省が、日本の政府が歴史を改竄しようとする。
南京事件では「大虐殺はなかった」、「従軍慰安婦問題」では「日本軍が強制した証拠はない」など侵略戦争と日本軍の蛮行を正当化する動きと軌を一にし、集団自決を「美しい殉国死」とまで教科書に書きたかったのだ。

この裁判を原告側で支援してきたのは「新しい歴史教科書つくる会」の藤岡信勝会長が主宰する「自由主義史観研究会」。学者とも言えない権力側に買われた狗というほかない連中だが。
さらには日本の侵略戦争を正当化する「靖国派」と呼ばれる政治家たちである。
憲法を変えて日本を戦争できる国にしたいという人々と合致する。

それにしても、係争中の裁判の一方の側の主張を根拠に教科書の検定意見をつけるという文科省、この愚かさには怒りを通り越して悲しくなってくる。


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