三流読書人

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ドングリ小屋住人 

「ニュー甲子園」

2008年03月26日 09時35分07秒 | スポーツ

『毎日新聞』のコラム『発信箱』です。
 
 毎日新聞 2008年3月25日 『発信箱』
「ニュー甲子園」  玉木研二(論説室)
 センバツ開会式で「ニュー甲子園ではつらつとしたプレーを」と声弾ませた中京大中京主将の選手宣誓。その新装(ニュー)で狭くなったファウルグラウンドで球を追い、カメラマン席に飛び込んだ安房の三塁手--。彼らの野球が好きでたまらないという表情が、あの春、祖父の世代に当たる球児にもあったに違いない。
 1947年3月30日。戦争で長く中断していたセンバツが復活し、甲子園球場に大観衆を集めた。敗戦直後の45年秋に球場は米軍に接収され、進駐部隊の施設に改装された。47年初め、やっと接収解除を得、このセンバツが甲子園を野球場としてよみがえらせる。出場はまだ旧制中学の26校。用具も乏しく、食糧を抱え、球場に寝泊まりするような状態だったが、グラウンドでは熱戦が続いた。
 決勝は徳島商と小倉中が対戦。内角ドロップの徳島・蔵本忠温、変幻のミラクル投法の小倉・福島一雄両エースの投げ合いは延長13回に及び、徳島が制した。
 自らも戦前、投手として大活躍し、都市対抗の「小野賞」に名を残す毎日新聞記者・小野三千麿は、その戦評をこう結んだ。「勝つもおごらず、負けるも悔いなき優勝戦にふさわしい延長戦となり、両チームの選手がニコニコとフェアプレーに終始したのに敬意を表するものである」
 球児たちはボールも握れなかった長い冬の時を抜け出、新生甲子園の土と芝に解放されたのだ。「ニコニコ」という表現がまことによい。
 そして今も無心の好プレーに、何世代も継がれてきたその喜びがみなぎっているようだ。時まさに球春である。

 筆者の気持ちはよくわかります。
 マスコミに携わる人々がそのことを忘れないで欲しい。
 プロ化され、商業ベースにのせられ、勝利至上主義に走るいまの風潮を招いた責任の多くは、煽り立てたマスコミにあると思う。
 TV・新聞をはじめとするマスメディアが、初心を忘れないことが大事なんじゃないか。

 


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