1945年7月9日深夜、和歌山市上空からアメリカ軍のB29が襲いかかった。いわゆるじゅうたん爆撃。
和歌山市吉田160番地の我が家の防空壕は、あまりにもチャチで蒸し焼きにされる前に脱出、和歌山市の東のはじにある親戚目指して炎のなかをひたすら逃げた。
父は兵隊として、南方アジアを転戦していたらしい。(幸い生きて帰った)
途中、刈り取られた麦畑の隅で降り注ぐ焼夷弾を見ていた。市街地の木造住宅と人間を焼くために開発されたアメリカの兵器であった。
和歌山市で千数百人の死者が出た。
さいわい家族は、生き延びることができた。私は6歳になる少し前であった.
1945年7月9日は、私の原点である。
毎年、このことを書く。
和歌山市吉田160番地の我が家の防空壕は、あまりにもチャチで蒸し焼きにされる前に脱出、和歌山市の東のはじにある親戚目指して炎のなかをひたすら逃げた。
父は兵隊として、南方アジアを転戦していたらしい。(幸い生きて帰った)
途中、刈り取られた麦畑の隅で降り注ぐ焼夷弾を見ていた。市街地の木造住宅と人間を焼くために開発されたアメリカの兵器であった。
和歌山市で千数百人の死者が出た。
さいわい家族は、生き延びることができた。私は6歳になる少し前であった.
1945年7月9日は、私の原点である。
毎年、このことを書く。
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